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今、何が欲しいのか分からない。

こんにちは、藍にいなです。


いつも漫画を描いているのでなんだかんだnoteに文章を書くのは初めてなのですが、自分の中に重大な変化を発見したので「これはちゃんと文章で書こう…」と思った次第です。
もしかしたら私の中だけでなく色んな人が感じてる事なんじゃないかな、なんて。


さて、自分の中の変化というと、
最近、何が欲しいのか分からなくなってきました。

着たい服も、行きたい場所も、読みたい漫画も、観たいアニメも映画も、よく分からない。前はたくさん欲していたものがもうあんまりいらない。新しいものが魅力的に映らない。
全部、同じに見える。

なぜだろう。

これは、大人になってしまった証拠でしょうか?
もう、子供の頃のように色んなものに好奇心を抱かなくなってしまったんでしょうか?

そうと言えばそうかもしれない。
でも、考えを巡らせてみて、ひとつ思い当たりました。


私は昨年、漫画を描くならもっと沢山漫画を読まなくては…と今まで読んでこなかったジャンルも含め色んな漫画を手当たり次第読み漁っていました。
「面白いよ」と勧められればとりあえず読むようにしていたので、「漫画としては名作、でも自分の趣向には合わない…」というものでも読んでいたんです。


しかし、
それを続けた私はどうなったかと言うと
漫画を読むのが楽しめなくなりました。

なぜそうなったか?
理由は単純です。
娯楽だったはずのものが、義務化された」から。

今まで好きで読んでいたものを、「読まなきゃ」という義務感の元に読むようになってしまった。
結果、漫画を読むという行為が中高時代の勉強のように息苦しいものになりました。
そこで私は、
「そうか、好きなものでも多ければ良いなんてもんじゃなくて、厳選した本当に好きなものだけが近くにあるから大事に出来るんだ」
とやっと気づいたんですね。

どんなにお餅が好きでもお正月に特別な気分で食べるから良いわけであって、毎日食べてちゃ飽きてしまう、みたいなものでしょうか。(合ってる?)


でそこから始めの話に戻ると、
どうして今、何が欲しいのか分からなくなったかって
面白いものや可愛いものを毎日大量に見続けた結果、神経が麻痺したんだな」って思ったんです。

Twitterを見れば、何万リツイートもされた面白いネタや、タメになる話、美しいもの可愛いもの、色んな良い成分が溢れかえっている。
はたまたInstagramを見れば、Instagram側が選別してくれた自分の好きなジャンルの投稿が無限に広がっている。

まわってきたそれらを無心のうちに選別して、気になったものを3秒眺めては3秒後には忘れる日々。
そんな些細な刺激を受け続けた結果、「何が面白いのか?新しいのか?好きなのか?」そんなものを感じ取る神経が麻痺したんだ、と。

きっと、無料で貰えるものがありすぎて自分の処理能力を超えて貰いすぎてしまったんでしょうね。
実は、とっくにお腹いっぱいだったんです。


刺激が溢れかえり、もはや鈍感に生きるしか術の無くなった今、
大事にするべきだった「好きなものを感じる力」さえ鈍ってしまった。


まずい。
とってもまずいと思ったんですよ。
だって好きなはずのものにさえ感動出来なくなってしまったんですから。
感覚を鈍らせるのが上手になりすぎてこのままでは心が死んでしまうのでは、とさえ思いました。


だから、私はここ最近不必要なものを遠ざけるようにしています。

漫画も最近では試し読みとかサイト連載とか、無料で読めるものが沢山出て来ましたが、手当たり次第読み漁るのではなく、なるべく数を絞って本当に好きなものだけ読むようにしたり。

個人の処理能力の差もあると思いますが、今の時代にはなかなか大事になってくる行動だろうな、なんて思ってます。


そんなことを考えながらこうしてnoteを書いているわけですが、これだって今読んでくださっている貴方の刺激に少なからずなっているわけで。

また今日も誰かの刺激の洪水に加担してしまったことを反省しつつ、インターネットを静かに閉じたいと思います。


藍にいな

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