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連載小説『誕生日が待ち遠しい!』[8-9]

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* * * * * * *

# 8

 金田のケータイの表示には、「三上ノボル」と表示された。
「もしもし。三上くん、なに?」と金田は電話にでた。
 しかし、返ってきたのは、三上の声ではなく、女の子の声だった。
「金田くん?」
「え? だれ? 三上くんじゃ……」
 金田はあわててもう一度ケータイの表示を見た。やっぱり「三上ノボル」だ。
 事情がわかっていない安田は、電話口にとどくように大きな声で「ノボル。元気?」と言いかけたが、金田の様子がおかしいことに気づいて口をつぐんだ。
 女の子の声はとてもあわてているようだった。
「ちがう。篠崎。篠崎です。えーっと三上くんのケータイだけど、ちがうの……」
「え。篠崎さん? なんで?」
 その金田のいぶかしげな声と表情を見て、安田と竹本は顔を見合わせた。

 あわてる篠崎ナオミをなだめながら聞いたところ、事情はこうだった。
 三上と一緒にハマキュウデパートで買い物していたところ、中学生三人にからまれた。三上はうまくナオミだけを逃がした。そのときナオミは三上のかばんも持って逃げ、今ハマキュウの四階の女子トイレにかくれている。
 その中学生たちはまだデパートにいるかもしれないので、トイレから出られない篠崎ナオミはどうしていいのか困って、かばんの中にあった三上のケータイに登録してある金田に電話したのだった。
三上はその後どうなっているかはわからないという。
 そのほかにもナオミは、万引きしたとか、わたしのせいとか、マサミにも電話したとか、いろいろ言っていたが、あわてているせいと電話が切れてしまったせいでそれ以上のことはわからなかった。
 三人で話し合った結果、とりあえず様子を見にハマキュウまで行こうということなった。
 自転車を飛ばして行った三人はデパートの前で山下マサミとはち合わせした。
マサミにはナオミのケータイから電話があって、「三上くんとハマキュウにいるんだけど、すぐに来てほしい」という内容だったという。
くわしくは電話が切れてしまってよくわからなかったから、とりあえずここまで来てみたということだった。
 金田がさっきの電話のことをマサミに話すと、すっかり怖がってしまった。
 そこへリツ子が通りかかった。手にはラ・ネジュの大きなふくろ。中にはケーキの箱が入っていた。さっきの会ったばかりの三人とマサミがいるので驚いた。しかも、四人とも緊張感にみちた表情だ。
「なにしてんの? なんかあったの?」
 その声に全員が気づくと、まっさきにマサミが「リッちゃん!」と悲鳴に近い声を発した。今にも泣きそうな表情だった。
 マサミは早口で状況を話しはじめた。しかしあわてているせいで話がまとまっていなかったから、見かねた金田が冷静に話に割って入った。
 金田が説明し終わると、安田がすかさず言った。
「だから、今からおれが行って見てくる」
 金田と竹村が「おれも」と続いた。
「あたしも行く」
 リツ子も言った。
「沢野は山下とここで待ってろ。とりあえずおれたちで様子見てくるから」
「あたしも行く。ナオミは四階のトイレにいるんでしょ。まずナオミを助けに行こう。それに女子トイレにいるんだから、あたしも行かなきゃダメでしょ」
 リツ子はき然と言った。
「それもそうだな。よしわかった。行こう」
 男の子三人とリツ子の表情が固くなり、安田を先頭にしてデパートの入口に歩き出した。
「ええどおしよう。わたしは……」
 マサミがおびえた声で言うと、リツ子はデパートを入ってすぐのベンチを指差した。
「マサミはあそこで待ってて。ナオミを見つけたら、すぐ戻るから」
「ぼく、ケータイ持ってるから、なにかあったら連らくして。しばらくしても戻らなかったり、連らくつかなくなったりしたら、学校に電話して」
 と金田は言うと、「で、いいよね?」と安田に同意を求めた。
「うん。じゃあ行くぞ」
 みんな息をのんだ。
 四人はエスカレーターであがった。一言も口をきかなかった。
 四階につくと、リツ子が先頭をきってトイレに向かった。
「あたしが中を見てくる」
 幸い使用中の個室は一つだけだった。ナオミかもしれない。戸を軽くたたいた。
「ナオミ?」
 中から物音がしたので、さらに戸をたたいて言った。
「ナオミ。あたし。リツ子。ナオミだったら返事して。大丈夫だから」
 静かに戸が開いた。
「リッちゃん?」
と戸のすきまからおびえた声がして、ナオミがのぞいていた。
 ナオミはリツ子だとわかると、「リッちゃん!」と泣き出し、リツ子の手をつかんだ。
「大丈夫、大丈夫」
 リツ子は手をにぎり返した。
 おそるおそる歩くナオミを連れてトイレを出た。三人が待っているのを見て、ナオミは少しほっとした表情になった。
 ナオミを休ませてから、みんなで出来事をくわしく聞き直した。
 それによると、四階の本屋で男子中学生三人がマンガをかばんに入れているのをナオミが目撃した。そのまま中学生が本屋を出ていこうとしたので、ナオミは三上に万引きかもしれないと話した。そのとき二人は中学生たちをじろじろ見ていたので、中学生たちは二人に気づき、からんできた。そこで三上が「万引きしませんでしたか」と言ったので、中学生たちは怒って二人を囲み、別の場所に連れて行こうとした。しかし、三上はすきを見て自分のかばんをナオミにあずけて逃げさせた。ナオミはそのまますぐに女子トイレに逃げこんだ。あとは電話で聞いたとおりだった。
 みんな神妙な面持ちで黙ってしまった。まわりを警戒してきょろきょろしていた竹本が沈黙を破った。
「あれ、三上じゃねえ?」
 竹本の視線の先には上に向かうエスカレーターがあって、そこに三上と三上を囲んでいる中学生らしき男が三人いた。
 ナオミは「あの人たち!」と言った。
「よし。追っかける。タケ、これ持っててくれ」
 と安田は言うと、水泳道具の入ったかばんを竹本にあずけ、一人で三上を追って歩き出した。
 ほかの四人は顔を見合わせ戸惑っていた。怖くなってきていたのだ。とくにナオミはまだおびえていた。
 リツ子は混乱していた。どうするべきかと考えようとすればするほど選択肢がふえるばかりで頭がパンクしそうになった。不安、恐怖、勇気、正義感が胸の中で騒いで落ち着かない。自分のものじゃないみたいに体がうまく動かない。連れていかれる三上、勇ましく追いかける安田、戸惑う金田と竹本、おびえるナオミ。
 あー、もう、わっかんない!
 心の中でそう叫ぶと、急に体が動くようになった気がした。口が勝手に動き出す。
「ナオミ、一階にマサミがいるから行って。心配だから竹本くんもついていってくれる。あたしもあの人たち追っかける」
 そう言うと足は勇ましく前へ前へと進んだ。自分でも驚くほどの力強い口ぶりと歩みにどぎまぎした。気持ちが体に引っぱられていく。気持ちは遅れまいと体にしがみつきながら冷静に考える。手に持っているケーキのふくろがじゃまになるかもしれない。引き返すよう体に指示を出し、ナオミに「これお願い」とだけ言ってふくろをあずけた。
 金田は、下におりていくナオミと竹本、追いかける安田とリツ子に不安げな眼差しをいったりきたりさせた。
「ええっと。ええっと。じゃあ、おれも行く」
 と金田はひとり言を言って、安田とリツ子のあとを追った。
 エスカレーターをあがると閑散とした屋上の広場に出た。デパートは中央でたてに割った片側半分が売り場部分、もう片側が駐車場になっていたので、屋上も広場と駐車場で半々になっていた。
 広場のすみに中学生三人がいた。三人は三上を取り囲み、中でも一番背の高いのがまわりから三上が見られないように立ちふさがっていた。
「やばいね。あれじゃあ三上くん逃げられないね」
 と金田がエスカレーターホールのガラス戸からのぞきながら、となりの安田とリツ子にひそひそと言った。
「さすがにあのノッポはおれでも勝てなさそうだ」と安田。
「ちょっと、ケンカする気だったの? やめなよ無理にきまってる」とリツ子。
「わかってる。冗談だ」
「でもそのとなり、なにげにムキムキで、もっと強そうじゃない?」と金田。
「ああ。だからたぶん……あのはしっこのシマシマのシャツが一番弱いかもな」
「ちょっと。どっちにしたってケンカはダメだって。ちがう作戦を考えようよ」
「わかってるって。するわけない」
「沢野さん、作戦を立てるための戦力分析ってことだよ。それでぼく思ったんだけど、ぼくたちだけじゃ、どうしようもできないと思う。警備員さんを呼んでなんとかしてもらおうよ。事情説明すればきっとすぐ来てくれる」
「そうだよ、そうしようよ」
「うーん。そうだな。そうしたほうがいいかもな」
「でも、このへんにはいないみたい」
「下の階を探してくる」と金田。
「わかった。おれたちはここで見張ってる。頼んだぞ」
 安田は金田の肩を軽くたたいた。
「オーケー。すぐ戻る」
 金田は親指を立てるとエスカレーターをおりて行った。
 しばらくすると三人のうち、ノッポとムキムキが三上のところからはなれて、リツ子たちのほうへと歩いてきた。
「こっち来る」
 リツ子はあとずさりして身がまえた。
「大丈夫。きっとそこの自販機にジュース買いに行ったんだ。それに、向こうはおれたちが仲間ってこと知らないだろ」
「そっか」
「今、チャンスだな……」
 三上の前にはシマシマ一人しかいない。ノッポとムキムキはエスカレーターホールの横を通り過ぎ、予想通り自販機の前に行った。
「行くぞ」
 安田はエスカレーターホールから出た。
「ちょ、ちょっと待って」
つられてリツ子も飛び出してしまった。
 リツ子は内心とてもハラハラしたが、向こうはあたしたちのことは知らないから大丈夫、と自分に言いきかせた。
 二人は素知らぬ振りして三上のほうへ近づいていった。シマシマも、自販機の前の中学生たちもリツ子たちを警戒していない。大丈夫だ、でもどうやって助けるんだろう。前進する安田の背を期待と不安が混じった眼差しで見つめた。
 三上がこちらをチラッと見た。安田と目が合う。安田はニヤッとした。表情で「救出」の信号を送る。三上はばれないように小さくうなずいて、「了解」の信号を返した。
 すると、突然安田が「警備員さん、こっちです、こっちです」と大きな声を出した。リツ子はとっさに安田が手まねきしているほうを見たが、警備員も金田の姿もない。芝居をして中学生の気をそらそうとしたんだとわかった。とっさにリツ子もその作戦に合わせて飛び跳ねながら手まねきの振りをした。
 シマシマはだまされて、あたりを確認しようと三上からはなれてきょろきょろしはじめた。
 リツ子と安田は中学生たちにさとられないように、「逃げろ」と声に出さずに口パクで、だけど心の中では叫ぶように言った。
 三上はそのすきをついてリツ子たちのほうへと走って逃げ出した。
「三上!」
「こっちこっち」
 リツ子と安田は、今度は正真正銘の手まねきした。
 三上はやってくるなり、二人と握手をして、
「助かった。ありがとう」
 と息を切らしながらほほ笑んだ。
「大丈夫?」
 心配そうにリツ子はたずねた。
「大丈夫」
「ナイスな作戦だったろ?」
 と安田は自慢げに言う。
「もう安田くん、事前に作戦教えといてよ。急にびっくりしたじゃん」
「とっさに思いついたんだ。へへ」
「さすがだな。ありがとう、ほんと助かった。でもどうしてぼくがここにいるってわかったの?」
「ナオミが連絡くれて」
「そうだ、篠崎さんは無事?」
 三上は顔をくもらした。
「大丈夫。竹本くんとマサミと一緒にいるはず。金田くんはどこか……」
「話はあとだ。やばい。逃げ道がふさがれてる」
 安田は自分たちが不利な状況であることがわかった。シマシマの報告で自販機でジュースを買っていた二人が気づいたのだ。しかも下の階におりる唯一の手段であるエスカレーターホールを背にしてこっちにやってくる。
「こっちだ。ついてきて」
 三上は反転して後ろにある駐車場へと走り出した。リツ子と安田もついていった。
 広場と駐車場はフェンスで仕切られていたが、すみに駐車場との出入口があった。リツ子たちはそこから駐車場に入った。自動車がまばらにあるだけで広々としていた。

 三上が指差した先には、下の階へとつづく自動車用のスロープがあった。三人は後ろを振り返ることもなく、いくつもの車止めのブロックを飛び越えながらひたすら走った。
 スロープに飛びこむ。下り坂で勢いが増していく三人は、四階、三階へとためらうことなく駆けおりる。
 三階まで来たところで、リツ子がおくれていることに三上は気づいて立ち止まった。
「沢野、おせえよ」
 安田も立ち止まって言った。
 少し遅れてリツ子は追いついた。
「しょうがないじゃん。ビーサンなんだもん」
 リツ子は肩で息をしながら、片足を上げて見せた。
 三上と安田は顔を見合わせた。
 クラクションが響く。数台の自動車がスロープをおりてきて、三人ははしによけた。
「車があぶない。いったん中に入ろう」
 そう三上が言うと、三人はスロープから駐車場スペースへと入った。屋上とちがって何台もの自動車がとまっていた。
「いいこと思いついた」
 と安田はニカッと笑い、走っていった。
 放置してあったショッピングカートを押して戻って来た。
「ほら、沢野、乗れ」
「え? これに?」
「安田、グッドアイディア!」
「だろ? ほら沢野乗れって」
「いいよ。いいよ。ここは平らだからちゃんと走れる。もう遅れない」
「いいから、乗れって」
「やばい。来た」
 三上はムキムキがスロープをおりてくるのが見えた。
 安田はリツ子のうでをひっぱった。
「きゃ」
 リツ子はひっぱられた勢いでカートに乗ってしまった。すると安田と三上がカートを押し、リツ子はカートに後ろ向きでしがみついた。
 二人の少年が押す、女の子が乗ったカートがシャーと音をたてながら駐車場を横切る。
 リツ子は怖いのとはずかしいのとで、顔をふせていた。
 少しだけ顔をあげると、安田と三上の顔が近くにあった。必死だけど楽しそうだ。二人は何かを言っていたが、リツ子にはカートの走る音しか聞こえなかった。その向こうに風景が流れていく。あかね色に焼ける空を隠すようにねずみ色の雲が張り出してきているのがかいま見えた。
 三階の売り場の入口まで来ると、リツ子たちはカートを乗りすて、エスカレーターに向かって走った。
「ありがとう。でも怖かったあ」
「へへ」と少年二人は笑った。
 このときには追手は見えなかったから、エスカレーターに乗ったときにはだいぶ安心していた。
「金田くんは大丈夫かな?」とリツ子。
「金田くんも助けに来てくれたんだ」と三上。
「カネケン、逃げたか?」
 安田はふざけた調子で言う。
「そんなあ。みんなと一緒かもよ」
「みんなってどこにいるの?」
「一階にいるはず」
「合流するぞ」
 しかし、あと少しで一階につくというとき、シマシマがエスカレーターのおり口に歩いてくるのが見えた。
「やばい。先回りしてる。いったん上にあがろう」
 と三上が言って三人は振り返ったが、エスカレーターは人でいっぱいで逆行できそうにない。しかもその先にムキムキの姿が見えた。
「どうしよう」
「くそっ」
 リツ子は心臓が強く速く打つのがわかった。
 立ちつくす三人を乗せたエスカレーターは無情にも下へと向かう。シマシマが待ち伏せしている。ムキムキは人をかきわけるように徐々に近づいてくる。
 そのときだった。二人の警備員がシマシマに近より、前方をふさぐようにして話しかけた。シマシマはあわてた様子になった。
 警備員の後ろのほうに金田がいて、リツ子たちにVサインをした。
「ナイス、カネケン。行こう、今のうちだ」
 シマシマが警備員ともめているすきに安田が先頭を切ってエスカレーターをおりて、金田と合流した。
「カネケン。ナイスだけどさ、なにやってたんだよ。おせえじゃねえか」
 安田は走りながら言った。
「そっちこそ。警備員をつれて屋上に戻ったら、だれもいないんだもん」
「話はあとあと。みんなのところに急ごう」
 リツ子は安田と金田の背中を押した。
 しかし、待っているはずの入口横のベンチにナオミも竹本もマサミの姿もなかった。
「どうして? みんないない。」
 リツ子がそう言うと、安田たちはまわりを見回した。
「やべえ、追いつかれる」
 安田は背後にムキムキの姿を見つけた。
「外にもいる」
 三上は入口を出たところでうろちょろしているノッポを見つけた。
「あっちに竹本がいる。エレベーターのほう」
 金田はエレベーターホールで手まねきしている竹本を見つけた。
 四人はエレベーターホールに走った。
「こっち、こっち」
 竹本が手まねきをしている。その後ろにはエレベーターがあって、ナオミとマサミが乗っていた。閉まらないように扉をおさえながら、「早く、早く」と叫んでいる。
 リツ子と竹本と金田はエレベーターにかけこんだ。
 安田と三上は、すぐそこまで追ってきていたムキムキを食い止めようとした。二人はエレベーターホールに並べて置いてある数台のカートで進路をじゃましようと、ムキムキに向かって押していく。カートの押し合いになるが、ムキムキは力いっぱいにカートを押しのけてしまった。ピンチ! そう思ったときだった。ジリリリとけたたましい音が響いた。押しのけたカートがカベにあった非常ベルのボタンにぶつかったのだ。その音で警備員が駆けつけてくる。そう然となった。
「閉めろ」と言って、三上はどさくさにまぎれて安田と一緒にエレベーターにすべりこんだ。
 エレベーターの扉が開くと、そこは地下の食品売り場だった。
「どうしよう。あれじゃあ、もう一階に戻れないよ。どうやって出る?」
 リツ子がそう言うと、みんなさらに不安な表情になった。
「地下の駐車場から外に出られる」
 竹本が得意げに言うと、みんなが「うおお。やるう」とうなった。竹本は鼻高々になった。
「また駐車場かあ。沢野、またカート乗る?」
「遠慮しとく」
 リツ子と安田と三上は笑った。ほかのみんなは何がおかしいのかわからず、三人を不思議そうに眺めた。マサミは三上と笑い合うリツ子がうらやましいと思った。
 全員、駐車場に向かって食品売り場を目立たないように小走りした。
「リッちゃん、これ……」
 ナオミは困った表情でリツ子から渡されたふくろを差し出した。
「これって、ケーキでしょ? さっき心配で、勝手に中をのぞいちゃったんだけど、もうくずれちゃってて……」
「あ……」
 とリツ子は悲しそうな顔で受けとると、笑顔に切りかえて言った。
「いいのいいの、別に。ありがとう」
「ごめんね。中身知らなかったし、あわててたから……」
「ほんとにいいの。気にしなくていいから。さあ、急ごう」
 食品売り場を抜け、薄暗い地下駐車場を走る。地上に出るスロープが見えてきた。スロープの上から水が流れ落ちてきていた。スロープを少しのぼると、すぐに原因がわかった。雨がふっていたのだ。
「雨だあ。すげー雨」
「傘持ってる人?」
「持ってるわけないでしょ。あんな晴れてたんだから。どうする?」
「どうするって、どうしようもない。ここで雨宿りするわけにいかないし……」
 安田は竹本にあずけていたかばんを受けとると、プールで使ったバスタオルを取り出した。金田と竹本には「タオル出せ」と言った。そして三枚のバスタオルをリツ子、ナオミ、マサミに「これかぶれよ」と言って渡した。
「安田くんたちはどうするの?」
「おれはこれで十分」
 安田は水泳キャップとゴーグルを身につけた。みんな爆笑した。
 金田と竹本もまねをした。とくに竹本の水泳キャップに傾いたメガネの姿が笑いを誘った。
「さっきから気になってたんだけど、なんでメガネ曲がっているの?」
 と笑いながらナオミが聞いた。リツ子は「そうそう、なんで? わざと?」と質問を重ねた。
「それは……」と竹本がしゃべり出したところで、さえぎるように三上が言った。
「じゃあ、おれはこれ! 安田かりるよ」
 三上は安田のかばんから水泳パンツを取り出し頭にかぶり、得意満面に「ヒーロー登場」みたいなポーズをしてみせた。

 その日の夕立は激しかった。町を歩いていた人々は雨宿りをよぎなくされ、ぼう然と雨を眺めていた。そのうちの何人かの幸運な人々は、地下から飛び出してくる、おかしな格好をした七人の子どもたちを見ることができた。子どもたちがあまりにも楽しそうに笑っていたので、それを見た人々もみな幸せな気持ちになった。

# 9

 家の前まで帰ってきたリツ子は雨でびしょぬれだった。窓からもれる灯りを見て涙がこぼれた。もう八時近い。お腹もなく。ソウ太はどうしてるんだろう。お腹をすかせているにちがいない。
 玄関の前まできても、扉を開ける気持ちになれなかった。髪の毛や服から落ちるしずくで、地面に小さな水たまりができていくのをじっと見ていた。
 すると突然、目の前が明るくなって体が温かくなった。お母さんがリツ子を抱きしめたのだ。
「リツ。心配したのよ」
 リツ子は何度も何度もごめんなさいと言って泣いた。
「とにかく入りなさい。びしょぬれじゃない。お風呂に入りましょ」
 お母さんはとまらないリツ子の涙を何度もふいた。そして、リツ子が後ろ手にかくすようにもっていたケーキのふくろをそっと受けとった。
 お風呂から出てきたリツ子はお母さんと話をした。
 お姉ちゃんがなかなか帰ってこないし、ぶるぶる寒気がしてきたというソウ太の電話で、お母さんは予定より早く帰って来たのだという。ソウ太は二階で寝ているが、熱はそれほどないから大丈夫とお母さんは話した。
 デパートの騒ぎのことは、さっき学校から電話があってお母さんはすでに大まかなことは知っていた。リツ子は自分なりに、起こったことを正直話した。ケーキのこともあやまった。
 お母さんはぽつぽつともれるリツ子の言葉をやさしく迎え入れた。
「そういうことがあったら、お母さんに電話しなさい。リツになにかあったら心配だから。でも友だちを助けたいという気持ちはいいことね。ケーキのことは気にしなくていいから」
 とリツ子の頭をなでると、出かける準備をしはじめた。
「あとは心配しなくていいから。お腹すいているでしょ。ごはん食べなさい」
そう言って、この件で学校に呼び出されているからとそそくさと出かけていった。
 食卓にはカレーが用意してあった。お腹はすいているのに、二三口でいっぱいになってしまった。とにかくもう横になりたいと思った。二階の部屋に行った。部屋は真っ暗だった。二段ベッドの下ではソウ太が眠っていた。
 リツ子は「ごめんね」とソウ太を起こさないように小さな声で言って、上のベッドに横になった。
 不安でたまらなかった。
 横になりながら、カーテンのすきまから夜空をのぞいた。雨はやんでいた。風が強いようで、空一面の雲が羊の群れの移動みたいに流れていた。空が急速に変わる様子を見ながら、以前に行ったプラネタリウムを思い出した。そのときプラネタリウムの案内の人が、でも動いているのは空ではなくてわたしたちのほうなのです、と教えてくれたことを思い出しているうち、いつの間にか眠ってしまった。

 次の日の朝、お母さんの声でリツ子は目が覚めた。
 昨日のことは、三上くんも学校に来て先生たちに事情を話したこと、万引きした中学生は警察と中学校で対応するということなどで、リツ子には注意だけですんだ、とお母さんは話してくれた。
「リツ、いい? 友だちを助けようという気持ちはとても素晴らしいわ。そんなリツをお母さんは誇りに思う。でも、今回はけがとかしなかったからいいけど、もしリツになにかあったら、お母さんもお父さんも悲しい。きっとソウ太だって。わたしたちはリツのことがとても大切だし、大好きなの。だから、リツも自分のことを大切にして。無茶はしてはだめよ。ね?」
「うん」
 お母さんはそっとリツ子を抱きしめた。そしてほほ笑みながら言った。
「それじゃあ、この話はおしまい。さあ、早く起きて着がえなさい。お客さんよ」
 リツ子は「お客?」と不思議に思いながら、着がえて一階におりた。
 そこにはお母さんとソウ太だけでなく、お父さんもいた。
「仕事を早く終わらして帰ってきたんだ。リツ。誕生日おめでとう!」
 安田、三上、金田、竹本、マサミ、ナオミもいた。みんな照れくさそうなほほ笑みを見せた。
「リッちゃん、誕生日おめでとう」
「沢野さん、おめでとう」
「あ、ありがとう。でも……なんでみんな?」
 ナオミが話し出した。
「ほら昨日、ケーキのふくろゆらしちゃったから大丈夫かなあと思って、ふくろをのぞいたでしょ。そのときケーキの上のチョコレートに、リッちゃんの名前と十二歳、ハッピーバースデイ、って書いてあったのが見えたの。それでもしかしてと思ってリッちゃんのお母さんに聞いたら、やっぱりそうだったから、みんなに連らくしたんだ。そしたらみんなお祝いしてあげようって。それにわたしは助けてくれたお礼がしたかったし」
 みんなは「イエーイ」とVサインをした。
リツ子は笑顔で「ありがとう」の気持ちを伝えようとするが、熱いなにかがじゃましてうまく言葉にならない。
「リツ、これ見てごらん」
 お母さんは食卓の上にある箱を開けた。そこには昨日と同じ、しかもそれよりサイズの大きなケーキがあった。
 リツ子が驚くのを見て、またナオミが話しはじめた。
「実はわたしのお母さんラ・ネジュでパートしてるの。それで事情を話したら、今日はお店お休みなんだけど、お母さんがお店の人に特別にたのんでくれたの」
ケーキの上のチョコレートには、「リッちゃん たんじょうびおめでとう!」と書いてある。
 それを見たリツ子は、熱いものがきゅーっと目頭まであがって来るのを感じた。泣いちゃいそうだ。目には涙がたまって、みんなの顔が陽炎のようにゆらゆらとゆれて見えた。
「沢野、泣くなよ」
 安田が言った。
「泣いてないもん」
 そう言ってリツ子は目頭の熱いものをなんとか引っこめようとしたら、くしゅんとくしゃみが出た。
 みんな一斉に笑い出すのだけど、つづけて竹本もくしゃみをした。すると次々とくしゃみと笑いが伝染していった。
「ちょっと大丈夫? みんな昨日の雨で風邪ひいちゃったんじゃない?」
 とお母さんはみんなを見回した。
「大丈夫です。くっしゅん」
「だれかがぼくたちのうわさをしてるのかもな。はっくしゅん」
「そうだな。おれたちは英雄だからな。はあーぐじょーん」
「きっとそうだ。くしゅっくしゅん」
 するとソウ太が「いいな。じゃあぼくも」と言って、はっくちゅんとわざとらしくくしゃみをした。
 みんな一斉に笑い、リツ子もお腹をかかえて笑った。


― おしまい ―

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