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連載小説『誕生日が待ち遠しい!』[6-7]

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# 6

 途中でマサミと別れたリツ子はひとりぼっちになった。またセミの鳴き声に囲まれていた。やっと通い慣れてきた通学路がいつもとはちがって見えた。
 転校したてのころは、通学するとき心細かった。しかし通い慣れるうち心細さはなくなり、この道の両はしには自分の家と学校があると確信できるようになっていた。なのになぜか今、初めて歩く道のようによそよそしく感じる。新しい何かが待っているような期待感と見知らぬ道に変わってしまったようなさびしさが同時にあった。
 リツ子は、足を上げるたびに見えるくつ底の影を逃さないように一歩一歩踏みしめながら帰った。
 今朝、リツ子が駆け抜けたマンション建設予定地の空地が見えてきた。
 フェンスのすき間からのぞいてみる。今朝見たときより雑草が生い茂っているように見えた。このまま成長した雑草が夏休みが明けたときには自分より背が高くなっているのを想像した。
 夏の前までは、何人もの遅刻しそうな子どもたちによって踏み固められてはっきりと判別できていた抜け道は、のびた雑草でぼんやりとしている。今朝迷いなく走り抜けたのがうそのように思えた。
 すねをさすった。赤黒い小さなかさぶたがあった。ここを駆け抜けたときに雑草で切ったのだろう。今さらになって、むずがゆい。
 リツ子は空地をさけ、遠回りして帰ることにした。

 家の近くまで来ると、家のすぐ前の大きな樹の下でソウ太がしゃがんでいるのが見えた。そのわきの地面にランドセルが放ってある。
 リツ子は駆けよった。
「ソウ太、なにしてんの? こんなに暑いのに。家に入らないの?」
 見上げたソウ太の顔は笑っていた。大粒の汗がつたっている。
「日陰だから大丈夫。カギを忘れちゃったから、姉ちゃんが帰ってくるのを待ってた。アリを見てたんだ」
「なんで? ごめん……」
「朝、持っていくの忘れちゃったんだ」
「ごめんね、ソウ太……」
「ん? また怒られるかと思ってたのに」
「姉ちゃんが開けるから、家に入ろう」
 リツ子はソウ太のランドセルを拾い上げると、ひもで結んであるカギをポケットからたぐり出した。
「姉ちゃん、いいこと教えてあげるよ」
「なに?」
「これから雨ふるよ」
「なんで?」
「アリが行列してたもん」
「そうなの……」
 リツ子は鼻から空気を吸いこんでみた。なんとなく雨の匂いがしないでもなかったが、空は見渡すかぎり晴れていた。
 リツ子は玄関のカギを開けた。ソウ太が家に飛びこんでいった。
「うっわあ。あっちい。うちんなかのほうがあっちいよ」
 窓が閉め切られていたので、家の中は蒸し暑くなっていた。
「ソウ太。窓開けて。姉ちゃんは二階の窓開けてくるから」
「ほーい。……うへえ。すっずしいー」
 ソウ太の声が階段の下から風と一緒に駆け上がってきた。
 リツ子も二階にある窓を次々開けていった。一つ開けるたびに風が吹きこみ、家が軽くなっていくようだった。
 戻って来るとソウ太は、ランドセルを玄関に放りっぱなしのまま食卓でサンドイッチを食べていた。
「ランドセル片づけてからにしなよ」
「でえあって、おにゃきゃがあ、べこぺきょにゃんでゃもん」
 ソウ太は口いっぱいにサンドイッチをつめこんだまま言った。そして牛乳でごくりと流しこんだ。
「姉ちゃんのも冷ぞう庫にあったよ」
 そう言うなり、牛乳の白いひげをつけたソウ太は「げふっ」とげっぷをした。
 リツ子は台所に行って、冷ぞう庫を開けた。自分のぶんのサンドイッチを見つけると、先に麦茶を取り出した。コップ一杯を一気に飲み干した。冷たさが体のまん中を落ちていった。
 ペン立ての代わりに使っているジャムの空きビンがあって、それをおもしにしてお母さんのメモがあった。

 リツ子は読み終わると、そのわきに三千円と手書きの簡単な地図を見つけた。
 地図に目を通した。下に「これでわかる?」とお母さんの字で書いてあった。リツ子はクスクス笑った。地図が上手じゃなかったのと、方向おんちのお母さんの地図をあてにできないと思ったからだ。何回か一緒に行ったことがあるから、ひとりで行ける自信があった。
 リツ子は三千円のほうだけポケットにつめこんだ。
「ねえ、ソウ太。お母さんの手紙読んだ?」
「えー、なんのこと? げふっ」
「アイスもあるってさ」

 昼食を食べ終わった二人はリビングのソファで横になった。
「ソウ太、せんぷう機つけて」
「ええーえ。自分でやってよお」
「あんたのほうが近いでしょ」
「ずっちーなあ」
 ソウ太はめんどくさそうに体をおこした。
「なにがよ。……ああそうだあ。やっぱいい。姉ちゃんシャワー浴びるから」
リツ子はそう言うと、ソファから飛びおきた。
「なんで?」
 ソウ太は不思議そうにリツ子を見つめた。
「冷たいシャワーを浴びるの。水浴よ」
 リツ子は得意げになった。
「おれも!」
「ダアメ。まねしないでよ。あたしひとりで入るんだから」
 とリツ子は言ったのにソウ太はお風呂場についてきた。
「おれもお」
 ソウ太はひっぺがすように服を脱ぎ出した。
「ちょっとお、ソウ太。あたしはひとりがいいの」
 そう言い終わるころにはソウ太はあっという間に裸になっていて、お風呂場に飛びこんでしまった。
「もう。じゃあ、姉ちゃんはあんたのあとにするから早くしてよ」
 リツ子はむくれて言った。
 シャワーの音がして、「ちめてえ」とソウ太の声がお風呂場にひびいた。

 リツ子はアイスを食べながら、ソウ太が出てくるのを待っていた。しかし、食べ終わったころになっても出てくる様子がない。
 リツ子は遅いことに腹が立ったのと心配になったのとで、様子を見に行った。
 シャワーの音に混じって、ソウ太が小さな声でブツブツ言っているのが聞こえてきた。
 リツ子は不思議に思って扉を開けた。
 シャワーのノズルをカベにかけて、水を出しっぱなしにしていた。ソウ太は目をつむってあぐらをかき、シャワーの水を頭から浴びていた。
「なにやってんの! ソウ太」
「修行」
 ソウ太はつむっていた目を開いて笑った。
「バカあ。風邪ひくでしょ」
 リツ子はきびしい口調で言うと、あきれ顔になった。
「早く出なよ。ほら、シャワーとめて」
「はあい」
 ソウ太はふてくされて言うと、ブルッとふるえた。
「うお、さみい。くしゅっ」
「ほらあ。言ったでしょ。知らないからね」
 そうは言ってもリツ子は心配だったからバスタオルを取ってあげようと振り返ったそのとき、キャッと飛びのいた。背中に冷たい水がかかったのだ。
 ソウ太はシャワーをリツ子に向けて、満面の笑みを浮かべていた。
「さむくないよーん。ギャクシュー。姉ちゃん、くらえ」
「冷たあ。なにすんのよ!」
 水かけ合戦はしばし続いたあと、リツ子の一喝で休戦となったが、被害は甚大だった。脱衣所は水びたし、服はびしょぬれ。リツ子は後悔しながら、隠ぺい工作でソウ太と床をふいているうちに、図書館に行くのもおっくうになった。もともと誘いを断るための思いつきの口実だったから、この面倒な事態で十分その代わりになると思ったのだ。

# 7

 ハマキュウデパートへとつづく長い階段があって、その中央には自転車用のスロープがあった。そこをキーキーとブレーキを鳴らしながら自転車がおりてくる。
「はは。カネケン。ふらふらしてたぞ」
 階段の一番下の段に腰かけている安田が言った。
「しょうがないだろ。これ持ってんだから」
 と金田は自転車からおりて言った。ハンバーガーショップで買ってきたフライドポテトとジュースを安田と竹本に手渡した。
「サンキュー」
「で、これ、おつり」
 金田は二人の手に小銭をおくと、自分のぶんのポテトとジュースをビニールのふくろから取り出し、二人の横に腰かけた。
「なあニュースがあるんだ。これ買ったとき、ハマキュウで三上くんと篠崎さんを見たよ」
 金田はポテトを食べながら言った。
「へえ、それで?」
 竹本は無愛想に言って、ジュッと音を立ててストローをすった。
「それでって……。びっくりしない? 二人一緒だったんだぜ。あれは三上くんと篠崎さんだね。仲良さそうにしてた」
「二人一緒に? デートじゃん。手つないでた?」
 竹本はジュースを吹き出しそうになった。
「たぶん、つないでいなかったと思う。一瞬だったからな、見たの。この間あの二人一緒に帰ってるの見たんだ。あやしいと思ってたんだ」
「カネケン。ちなみに聞くけど、それってミカブー……じゃないよな」
 そう言う安田の口にポテトが次々放りこまれていく。
「ちがうちがう。モテモテ転校生の三上くんのほう。となりのクラスの三上ノボル」
「大人だね、ノボルは。……どうでもいいけど。それにしてもおれたち、とてつもなくプールくせえ」
 と安田はつぶやきながら、ポテトを食べる手を動かし続けた。
 
 ジュースの最後の一口をズズーと飲んだ安田は、神妙な顔つきになった。
「カネケンくん」
「なに? 急に……」
 金田は安田のていねいな口調に驚き、うす気味悪く思った。
「さっきから考えていたことなんだけど、質問がある」
「うん」
「おれは水泳で金メダルをとれると思うか?」
「知らないよ!」
 金田は笑いそうになったが、安田の顔が真剣だったのでがまんした。
「いや、今じゃない。さすがに今の実力じゃ、オリンピックにも出られない。それくらいおれにもわかる。これからもっと練習していけば、将来おれは金メダリストになれるかって聞いてるんだ」
「だからあ。ぼくにはわからない」
「そうかあ。カネケンは頭がいいからわかると思ったんだけどな。カネケンは将来なにになるんだ? やっぱ大統領か」
「それは無理」
 金田はそっけなく答えた。この話につきあうのがめんどうになってきていた。
「なんでそれは無理ってはっきりわかるのに、おれのはわからないんだ?」
「そうじゃなくて。日本には大統領はいないの」
「そうかあ。じゃあカネケン。おまえが日本初の大統領になれ。おれは世界記録で金メダルをとる」
 金田はあきれて返事もせず、だまって残りのポテトを食べ続けた。
 今度は竹本が食べ終わるの見計らって、安田は真剣な顔をした。
「次は竹本くんに質問です」
「……ん?」
 と竹本は気のない返事をすると、ポテトのふくろをくしゃくしゃとまるめた。
「いいですか? なぜ竹本くんはさっきから機嫌悪そうにしてるのですか?」
 と安田はわざと真面目くさった口調で言ったあと、いつもの調子に戻って「タケ。もしかして怒っての?」と言った。
「え? なんで?」
 金田が口をはさんだ。
「べつにい……」
 竹本は嫌味な言い方で答えると、メガネをはずし、わざとらしくそれをじろじろと眺めた。
 安田は顔に「?」をうかべて、金田を見た。
「ははあん。メガネのことね。だってさ、安田」
「え? どういうこと?」
「どういうことって……」
 竹本はあきれてものも言えないという感じで首を横にふった。
「解説しよう」
 金田はにやにやしながら立ち上がった。
「なぜ竹本くんは怒っているのかというと、プールでメガネがこわれたからです。そうですね、竹本くん」
 竹本は小さくうなずいた。
「そしてその犯人は、そこのキミ! 安田くんです」
 金田は安田を指差し、自分の「名推理」に満足げな表情をした。
 すると、竹本はゆっくり立ち上がり貫ろくたっぷりに後ろで両手をつなぐと、二人の前をゆう然と行ったり来たりした。
「たしかに、金田くん、見事な推理だ。しかし、まだ完ぺきではない。犯人が一人たりない……」
 竹本の芝居がかったしゃべり方に金田と安田はぽかんとした。竹本は得意になってさらに続けた。
「もう一人。それは……金田くん、キミだ!」
「ぼく?」
 金田は自分を指差してきょとんとした。
「にぶいきみたちに、事件をくわしくお話しよう。まず、安田くん。きみはプールでメガネをしているのは変だと言って、わたしからメガネを無理やり取りましたね。それは認めますよね」
「ああそう言えばそうだったな。だって泳ぐのにメガネって変じゃねえ? 女の水着が見たかったんだろ? へへ」
「ふざけるな。そんなわけないだろ。そもそもきみたちは、眼の悪い人間にとってどんだけメガネが大切かわかってない」
 と竹本は興奮気味に言ったあと、ゴホンとわざとせき払いをして落ち着いた様子を見せた。そして「とりあえず、その話は置いといて」と言って、胸の前で両手を横にずらすジェスチャーをして、またさっきのしゃべり方に戻った。
「とにかく、そのとき第一の事件がおきた。わたしがやめろって言ってるのに、きみが強引にとったから、メガネが曲がってしまったんだ」
 安田はえへへと苦笑いした。それを見て金田はせせら笑った。
「笑ってる場合じゃない。……ゴホン。そして第二の事件がおきた。ロッカーで着がえているときだ。わたしがシャツを着るとき、シャツがひっかかってメガネが外れてしまった。それを金田くんは親切にも拾ってベンチの上においてくれた。それは覚えているね」
 金田は不安そうにうなずいた。
「あのときはありがとう。しかし! 問題はこのあとだ。キミはわたしより早く着がえ終え、ロッカーからかばんを取り出した。それをどこにおいたか覚えているかね?」
 金田は固まっていた。
 竹本は金田の返事を待たずに、オーケストラの指揮者のように両手を振りながら、一方的にまくし立てた。
「そう! ベンチの上だ。わたしのメガネの上に置いたんだよ。そのときわたしはメガネが見つからなくて探していた。きみはかばんを持って先に出ていった。そのとき、わたしは驚いた。メガネが下敷きになってさらに曲がってしまっていたではないか!」
 と竹本はここで一息つくと、ゆっくりと一語一語ていねいに言った。
「これが事件の一部始終だ。わかってくれたかね?」
安田と金田は竹本の芝居にあっけにとられていた。竹本は二人の様子を見て得意満面にうなずいた。
「あのー」
 金田はひかえめに切り出した。
「すべて認めるけど、ぼくも犯人なの? だってわざとじゃないよ。つい忘れてかばんを置いちゃった……」
「つい? ついでゆるしてもらえるなら、警察も弁護士も裁判官もみんなひましちゃうよ。いいか、カネケン。眼が悪い人間にとって、メガネがどんだけ大事か! 見ろ。曲がったせいで、ふつうにかけると、こんなになっちゃう」
 竹本はいつもの口調に戻ってそう言うと、メガネをかけた。メガネは斜めに傾いていた。
 安田と金田は吹き出して笑い転げた。竹本もつられて笑った。

 三人はしばらく、そこを自分たちのとりでのようにしてふざけ合っていた。
「ねえ。あれ」
 金田は人形のように首だけ左に回すと、安田と竹本もそろって同じように左を向いた。
「あれ。沢野さんじゃない?」
「ほんとだ」
「沢野!」
 安田が大声で呼んだ。
 リツ子はその声に気づいて振り向いた。三人そろって同じように座り、両うでを前にまっすぐのばして、じっとしていた。すぐに安田と金田と竹本だとわかって歩みよった。
「よ。沢野。なにしてんの?」
「そっちこそなにしてんの?」
 リツ子には三人の姿が不思議でしょうがなかった。
「勝負してんだ」
「三人のうちだれの血が一番うまいかっていう勝負」
「は?」
「こうやってうでを出して、動かさないようにして、だれが一番蚊にさされるのか調べてんの。一番さされたやつが、一番血がうまいってこと」
 竹本の説明を聞いて、リツ子はばかばかしいと思った。しかしそれ以上に、真面目に話す竹本のメガネが斜めに傾いているのがおかしくって笑いそうになったが、がまんした。
「沢野。おまえもやりたい?」と安田。
「遠慮しとく」
「あっそ。……そうだ! 沢野、なんでプール来なかったんだよ」
「え、だって、あたし行かないってちゃんと言ったじゃん」
「おまえがなかなか来ないから、すげー長くプールにいたんだぞ。なあ? おかげで手がこんなになっちまった。沢野のせいだ」
 安田は手のひらをリツ子に広げて見せた。
「あ、動かした。反則」
と竹本はつぶやいたがだれも聞いていなかった。
「きゃはは。おじいちゃんの手みたい」
 手のひらがふやけてしわしわだった。
「ずいぶん長くつかっていたんだね。三人ともプールのにおいする」
 三人は照れ笑いをした。
「まあいいや今回は。水泳勝負は今度な。で、なにしてんの?」
「ケーキ屋さんに行くの」
「もしかして、ラ・ネジュ?」
 金田が興味深そうに言った。
「そうそう。なんでわかったの?」
「このへんでは昔から有名なとこなんだ。ぼくんちはおやつも誕生日ケーキもクリスマスケーキも全部そこで買っているんだ」
「へえ。あそこのはおいしもんね」
「ラ・ネジュに行くなら、そっちじゃなくて、ここ上がっていって……」
 と言いながら金田は階段のほうを指差した。
「カネケンも反則」
 と竹本はつぶやいたがだれも聞いていなかった。
「……でね、そこ上がったらハマキュウの前を通って右に曲がる。そのほうが近いよ」
「そうなんだ。ありがとう。じゃあそっちから行ってみるよ。じゃあね」
 リツ子は手を振って三人と別れた。安田と金田は手を振り返し、竹本はかたくなに手を動かさないようにしていた。
 結局、だれの血が一番うまいかの勝負はながれてしまった。安田と金田があきてしまったからだ。竹本は一人でも続けていたせいでたくさんの蚊に刺されてしまった。竹本はうでを見せびらかして、「おれの勝ちぃ」と興味を示さない二人を挑発するように勝ち誇ったが、金田のケータイへの一本の電話によってそれどころではなくなってしまった。

8へ続く

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