青葉真司の部屋

(ここは京都アニメを放火消失させた青葉真司を考える...哲学の部屋)

被害者意識は傷ついた心の回復(復旧)を求め・要求する。もっと言えば心身の復興を要求するが、この程度の才覚でモノゴトを済ませられる筈もなく、取巻く環境の厳しさ、さらに現実への認識の甘さが私にまで伝わってくる。

主人は己のテリトリーの安寧秩序を願う。安寧秩序の実現を目指してルールを布く主人。そうであればその社会・集団の時々刻々に共有されてあるべき主人の哲学の正当性。正当性を周知徹底しない主人に起源する邪悪かな。

仮に誹謗中傷に制限を加えないツィッターがあって、誹謗中傷をたしなめるツイートの主(ぬし)の身元をツイッターがしつこく嗅ぎまわる。このツィッターに正当性はあるか?そういったことに無関心で済ませられるか?

テリトリー内で正当性が共有されているとき不満が噴出される要素はなく、それで問題が起きるなら、それは何らかの能力不足原因に違いない。原因は取除くか、手当てするか、そうやってテリトリーは進展していく。

進展に関心がないツィッターは正当性を共有しようとしない。それと同じくテリトリーの進展に関心がない主人は正当性を共有しようとしないだろう。そこでは監視する主人の目がひかる。PCの中まで監視の目がひかる。

それは私なら一向に構わない。そんなこと気にしていたらインターネットを使えなくなる。私はそれで構わなくても、厭に思う人は多くいて、それはその人の責任でない。そして悪く悪くと悪循環が蔓延していくのでしょう。

置去りの被害感情は癒されることなく際限なく脹(ふく)らみつづける。そうやって弱い弱い生き物から最強の現代人類へと進化してきた例を私は思う。戦い挑んでくる害虫を今は叩き潰すが、共生の途を模索してもいる私。

(折々に付け足します)

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