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Losing Game 終

お中元で食品が動く7月はビアガーデンや花火の時期でもあり、年末ほどではないが仕事終わりの付き合いも増える。お酒の付き合いがあまり得意ではない私でも何度かは出かけなくてはいけないだろうと思っていたところに後輩が金曜の予定を聞く。
「このままいくと残業だわね。忙しい時期だし。」
「お願いがあるんですけど。 実は広報の子に取引先の「花火を見る会」がお台場のホテルであるから一緒に行こうって言われてて。」
「取引先のイベントなら仕事で行くんだから、広報の他の人もいくんじゃないの?それにそれ、明日なんでしょ?それを今聞くの?」
「そうなんですけど、営業から誰かついてきてほしいなと思って。」
若くても成人している男性がついてきてほしいとは何事かと思ったが、聞けば誘った広報の職員に何度か飲みに誘われていて断り続けてきたのだが仕事に絡んでいて、営業部での担当ということもあり今回は断りづらいという。
「先輩なら広報だけじゃなく先方とも面識あるしいいかなと思って。あのコマーシャル作ってる代理店です。」
「そう。それだったら私じゃなくてもっと上の人誘ったら?営業を代表していくことになるんでしょ?」
一瞬どきりとしたが後輩は気づいていないようだ。確かに一緒にコンペをみた二人だから筋は通るだろうがそういう大きな集まりとなれば主催者側から役職付きの人たちは来るだろうし、出来れば行きたくない。
「もう何人かに聞いてみたんですけど先輩に行ってもらえって。」
間もなく29になるはずの後輩は少年のような無邪気さでにっこりしていた。

当日、最上階の宴会場に着くともう人がだいぶ集まって賑わっていた。我が社からは広報3人と営業2人の計5人が参加する。花火は口実であって、顧客を招いての謝恩パーティというのが本当のところだろうが花火の日にこの場所を抑えられるというだけで会社の順調さが知れようというものだ。


社長あいさつに始まり、何人かの後に営業部長が乾杯をして立食形式の食事が始まると、てんぷらをその場で揚げたり手打ちそばのパフォーマンスがあったりで目にも楽しい。本来であればこういう時いろんな人と名刺交換するべきなのだが、どうにも苦手でビールを片手にふらふらと歩きながら外を見ていた。そろそろ花火も始まるころだろう。その時、声をかけられ振り向くと例の長髪の執行役員が笑顔で立っていた。今日は青いタータンチェックのスーツを着ている。
「こんばんは。」
「お世話になっております。本日はお招きにあずかりましてありがとうございます。」
「いえいえ、お世話になっているのはこちらです。コマーシャルの第二弾もそろそろ放映始まりますしね。皆さんに気に入っていただけたようで制作部としてはホッとしていますよ。」
コマーシャルの出来は確かによかったから、ここに頼んで正解だと思っている。何か言いかけた所で部下に連れ去られてしまった彼を見送ると仕事のことはともかく、彼が私と部長のことをどこまで知っているのかと考えただけでどっと疲れが出てくるようだ。 後輩に告げて先に帰ろうとしたが肝心の後輩が見つからない。仕方がない、後でメールを入れておくことにして宴会場を出る。ドアを開けた途端にロビーにいた部長と目が合った。他の人と話している最中だったので、一礼だけしてエレベーターに向かうと後輩が私を追いかけてくる。
「先輩!もう帰るんですか! 飲みに行きましょうよ!」
「大きな声で呼ばないで。これから一回、社に戻るわ。あの広報の子と行きなさいよ、かわいい子じゃない。」
「僕は先輩と行きたいんです。」
常日頃から体育会系らしい声の大きい人だと思っていたが、お酒が入っているからなおさらだ。部長に会話を聞かれたんじゃないかと心配だったがとりあえず後輩を連れて階下におり、なんとかタクシーに乗せて帰してから、自分のオフィスに戻る。誰もいなかったが月曜の会議準備をしなくてはいけない。休日出勤してくるよりはいいと売り上げの数字を見ていると携帯が鳴った。
「もしもし。今は外? それとも本当に社に戻ったの?」
やはり部長に後輩との会話を聞かれていたらしい。
「社に戻ってますよ、午後の時間を取り戻さないと。」
「名前は何て言ったっけ、あの若い男の子。君のことが好きなんだな。」
「飲みなおしたかっただけじゃないですか。」
私の目はまだ数字を追いかけているから深く考えずに返答すると彼はさらに続けた。
「きっと好きだと思うな。僕と一緒にいるよりもああいう子と付き合ったほうが幸せなんじゃないのか。」
「あの、酔ってらっしゃるようだし、そういうお話をなさるなら切ります。それに何をしててもどこへ行っても知られたらいけない事情があるのは私じゃないですよ。 おやすみなさい。」
返事も聞かずに電話を切る。彼が酔っていたとはいえ、あんな意地悪な言い方をするのは初めてで私もつい感情的に答えてしまった。今日はもう仕事にならないから明日来るしかない。

お盆を過ぎても東京はまだまだ暑かった。地方によっては8月もお中元の季節だというのに、営業はすでに年末商戦に向けて動き始めている。この8月が終わる頃というのは実家にいたときはすでに秋風が吹いていたし、留学時代は夏が終わり新学年が始まる時期なので何となくうら寂しい気持ちになるが、東京に来てからはとにかく暑くて毎日の通勤すら煩わしく、いずれにしてもいいイメージがない。 


彼とは何度か電話していたが予定が合わず、9月になってしまった。暑さは幾分か和らいだような気がする程度には下がったが、新宿の会社から神楽坂のレストランに着いたときは汗が噴き出していた。
「はい、これ」
「何ですか?」
「誕生日だよね?」
先週確かに誕生日だったけれど彼に教えたことはなかったし、当日も連絡はなかった。聞けば昨日、うちの広報と一緒に打ち合わせに来ていた営業の後輩と世間話をしているときに私の話が出たという。あの日、夜は営業の若い子たちとケーキを食べに行ったからその時のことだろう。
テーブルに置かれた小さな箱にはプラチナとサファイアのネックレスが入っていた。サファイアは9月の誕生石だ。
「この前はごめん。絡むようなしゃべり方をして。子供っぽい焼きもちだったと思ってる。」
「焼きもち焼くほど私のこと、好きでした?」
本当はうれしかったのに、意地悪な言い方になる。このネックレスはどこに着けていっても誰にもらったものだと言えないのだと思うと、つい彼にぶつけてしまった。
「気に入らなかったら誰かにあげなよ。」
とだけ静かに言って彼は食事を続けた。


好きなのに、会いたいのに、うれしいのに。 時折、食事に行ったりコンサートに行ったり飲みに行ったり手をつないだりキスをして帰る関係は、本当に楽しいのに。ルールは知っていたはずなのに。体の関係にならないのは年齢的なこともあるのかと思ったけれど、今時方法なんていくらでもある。理由はそれじゃない。 
私が欲しいものはネックレスではなくて、彼の心だ。でも私が得られるのはその50%を超えることは決してない。嫉妬、羨望、独占欲。見ないふりの部分が澱のように沈殿していくのがわかった。シェイクスピアは嫉妬を緑色の眼をしたモンスターだと書いたが、今の私の眼は何色だろう。

「来月温泉行きませんか?一泊で」
出会って一年になろうかという2019年の10月、私はレストランの帰り、別れ際に彼に聞く。どんどんと無視できない大きさに膨らむ気持ちに耐えかねて、私は勝負に出た。場所は宮城県。 伊豆や箱根と違って簡単に帰ってこられる場所ではない。目当ての宿は新幹線を降りてから一時間はかかるし、晩秋の11月は暗くなるのも早いうえに宿までの道は高速などではないからだ。


「温泉か、いい季節だね」
そう言いながら彼の眼は困っている。それを知りながら私は予約を進めた。山間の小さな宿で、全8室。全て露天風呂が付くスイートだから、足の悪い両親を大浴場に入れないで済むという理由で連れてきたことがあった。 
宿の説明、新幹線の時刻表、宿までの行き方。東北新幹線は利用客も多いから、うっかり知り合いに会った時のため席は離した。全てを親展と書かれた封筒に入れて彼あてに届ける。誰かに見られたとしても差出人がわからなければ、家族と行くのだと思うだろう。


当日は晴れていた。東京駅まで出るとそこで新幹線に乗り換える。
同じ電車の違う車両には彼が乗っているはずだ。大宮を過ぎたあたりで見に行くとそこに彼はいなかった。福島を過ぎると私たちの降りる白石蔵王はあっという間だ。駅にも彼はいなかったし宿についても食事の時間になっても彼の姿はない。何かあったのかと心配にはなったが彼の携帯は電源が入っていないか、部下が持っているかなのだから電話するのはためらわれる。
結局私は夕食も朝食も一人で食べて温泉に入り、東京に戻ってきた。 帰りのタクシーから見たすっかり落ち葉も終わり、暗い色が広がる山々だけはやけにはっきり覚えている。不思議と涙は出なかった。当たらないと思いつつ出したテストがやっぱり不正解で戻ってきたときに似ているかもしれない。


彼から何度か不在着信は来ていたが私は無視したままで、12月を過ごす。無駄に仕事が忙しいのが幸いした。年末年始、お盆以来帰っていない実家に帰るとすでに妹が待ち受けている。温泉の計画を立てていた時いくつか質問したから、何かを感づいていたのだろう。
「そろそろ白状しなさいよ。」
白状、という言葉がぴったりだと苦笑いしながらかいつまんで話す。
「何かあるとは思ってたけど、アメリカ人の旦那捨ててきたと思ったらそんなことしてたのね。」
「人聞きの悪いこと言わないで、彼と別れたのは5年も前でしょ。」
「まぁ、これでいろいろ納得がいったわ。それにしてもお姉ちゃん、すごいね。」
「どういう意味よ?」
「いや、文字通り。元気だなと思って。」
「元気じゃないし、すごくないでしょ。もう自分で何してるかわかってないから今みたいなことになってるんじゃないの。」
「あのね、お姉ちゃん、まず男なんて基本的に何歳でもそう変わらないわよ。4歳でも40歳でも80歳でも手間がかかるめんどくさい生き物であることには変わりはないの。それを育児と呼ぶか世話と呼ぶかは別として。それに加えての諸事情も承知の上で好きなんでしょ。それってちゃんと恋なんじゃないの。」
「そうなのかなぁ。」
「一応ね、私も奥さんと呼ばれるグループだからお姉ちゃんのしてること、賛成はできないよ。それに彼は来なかったんだよね、理由は何だったとしても。それが彼の答えじゃない? でもだからと言ってお姉ちゃんの気持ちをなかったことにする必要はないんだから。ちゃんと自分の気持ちに落とし前つけてあげないとだよ? もう何もかも奪い去って地獄の果てまでついていきたいってわけじゃないんでしょ?」
思わず妹を見ると、彼女は逆に驚いた顔で続ける。
「そうなの!?」
「それはないけど。落とし前ねぇ。」
「つけなさいよ。詳しい話を聞くの楽しみにしてる。」
そういって妹はにやりと笑った。これではどちらが姉かわからない会話だ。東京に帰る前に、彼の携帯に電話したことは妹には言わなかった。


水滴のつき始めたグラスを見つめながら、ストレートで頼めばよかったと思い始めている。奥まった席に座った私を見つけると遅くなったことを詫びて彼は隣に座り、バーボンを頼んだ。
「この前はすまなかった。言い訳はしない。」
「はい。事故とかじゃなくてよかったです。」
「怒ってる、よね。」
「怒ってないですよ。」
それは本当だ。怒ってはいない。責めるのも違う気がするし、かといって何もなかったふりもできないけれどただ何を言っても聞いても彼が来なかったという事実は変わらない。


「最近よく昔のドラマを見るんです。中学生とか高校生の時に見てた。主役の二人が出会って、好きになるんだけど必ずライバルとか配偶者とかやばい過去とかあって。それなのに話が煮詰まってくると誰かが海外に行くとか転勤になるとかして問題は解決しちゃって、3年ぐらいすると再会するんです。
それを見てた頃は、大人になればそういう恋愛をするもんだと思ってたんですけど、実際大人になると成田の搭乗ゲート前で呼び止めるなんて、何万円もする搭乗券持っててチェックインもセキュリティも出国スタンプも全部終わらないとできない話だって気がついて。」
私の話を彼は黙って聞いている。
「私もあなたも海外に転勤にはならないし、突然記憶喪失にもなったりしないから最終回は自分で作らないと。
私はあなたが好きです。どんどん好きになる。でもおうちのことを気にせず付き合えるほど割り切れないし、離婚してくださいって言って好きな人が苦しむのを見ていられるほど冷徹にもなれないし、いくら悲しくても最初から分かってたでしょって言われたら何も言えない。
だから二人で会うのはもうやめにします。」


彼が私を見つめているのはわかっていたが、それ以上は続けると涙がこぼれてしまう。聞きたいことはたくさんあるのに。でも彼はきっとその質問には答えないだろう。
ようやく荷物をもって立ち上がる私に彼は「送るよ。」といったけれど、
「一人で帰ります。」
とだけ答えて、店を出る。雨が降っていたがこういう日はみんな伏し目がちに傘をさして歩くから私がどんな顔をしていても目立たなくて好都合だ。
私は傘もささずに駅に向かって走り出した。

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