見出し画像

【短編小説】鬼が島 #白4企画応募

(読了目安7分/約5,300字+α)


 風が砂ぼこりを巻き上げ、ぼくは思わず目を瞑る。土煙を吸い込まないように息を止めたが、口の中にザラりとした感覚がある。風が止むのを待ち、そっと目を開ける。父ちゃんの乗った船はもう見えない。目の前には海と、向こうの緑あふれる大陸。

「ねえ、キニンさま。どうして大陸にはあんなに緑が育っているの? どうやって育てたらいいの?」

「さあ、どうだろうね。わたしにはわからないな」

「キニンさまでもわからないことがあるの?」

「もちろんだ。君たちよりもずっと、ものを知らないんだ。特に生きる術についてはね」

 キニンさまは少し悲しそうにつぶやく。どこか自分を責めているような声。遠くを見つめていた目をぼくに合わせると、明るく笑って見せる。

「さあウタ。きっと夜にはお父君たちが帰って来る。盛大に出迎えられるよう、準備をしようか」

 差し出されたキニンさまの手は今でも細くて人形のようだ。だが、爪の中は土が入り、ところどころあかぎれができている。ぼくはキニンさまの手を取り、村へ戻る。

 キニンさまはきれいだ。この島に船で渡ってきた時、神さまだと思った。真っ白な肌にととのえられた髪、きれいな着物を着て、きれいなくつをはき、岸に一人降り立つ姿を、ぼくは思わず息を止めてみていた。船を動かす従者が去っていくのをじっと眺めていた。やがて棒立ちになったぼくを見つけると、キニンさまは手にした扇で口元を隠し、ぼくを見て微笑んだ。思わず恥ずかしくなり、全力で駆け出すと父ちゃんを呼んだのだ。

 ぼくたちの住む島には、時に都からの殿上人てんじょうびとが来る。ぼくたちはその人をキニンさまと呼び、大陸の話や都の話を教えてもらうのだ。ぼくたちの知らないことを何でも知っていて、天気の変化やぼくたちの感情に敏感に気づいて丁寧に接してくれる。キニンさまはその後の一生をこの島で暮らす仲間だ。ぼくはこのキニンさまのことをすぐに好きになった。

 だがそれは村のみんなもそうだった。今までにはいろんなキニンさまがいたらしい。まったくぼくたちと話をしなかったり、すぐに身を投げ捨ててしまった人もいたそうだ。

 でも今のキニンさまは違う。ぼくの手を取り村へ戻ると、村のみんなは目を丸くする。

「あれまあ、キニンさま。そんな格好をされて」

 ユナのおばちゃんが慌てて駆け寄る。キニンさまはおばちゃんを落ち着かせるように、手の平でそっと押さえるように動かす。その動きがとてもきれいで、ぼくはやはり神さまみたいだと思う。

「あの服装では動きにくいですからね。ジロさんに服をいただいたのですよ。今朝、わたしの服飾を一式持って、町へ売りに行っていただきました。今日の夜にはきっと山ほど食料を買って戻ってきてくださるでしょう。ぜひ、村を上げて今夜はお祝いをしましょう」

「まあ、なんと」

 おばちゃんは胸に手を当てて目に涙を浮かべていた。肩にかけた手ぬぐいでそっと涙を拭くと、ゴツゴツした両手をすり合わせ、何度も何度もキニンさまへ頭を下げる。そしてすぐに大声で娘たちを呼び、バタバタと準備を始める。

 キニンさまの話はまたたく間に広がった。村人はキニンさまを見つけると口をポカンと開く。キニンさまはぼくたちと同じような薄汚れた服に、薄い草履。美しい髪は短く切られていた。肌はいぜんとして白く柔らかそうで、服装とはちぐはぐだ。だが、すぐに誰もが深々と頭を下げて、口々に礼を言った。

 今年は日照りと病で、野菜も家畜も不足していた。体の弱い老人は、今年の冬を越せないだろうと誰もが心配していたのだ。キニンさまは礼を言いにきたひとりひとりの名前を呼んで笑いかける。

「さて、わたしは邪魔にならないように戻ることにしよう」

 手をつないだぼくを振り返る。わがままを言ってはいけない。ぼくはなにも言わず、つないだ手をぎゅっと握る。

 キニンさまはぼくの心が読めるのか、前に屈むと優しく微笑んだ。

「ウタ、君はわたしの話し相手をしてくれるかい」

 ぼくが大きく頷くと、そっと頭を撫でてくれる。柔らかく滑らかな指先。それだけで天にも昇る心地になる。

 キニンさまの寝殿はこの村を見下ろす丘の上にある。二人分の水を汲み、縁側に並んで腰を下ろす。村人が賑やかに話す様子も、広場でかがり火が並べられる様子も、岸も、海も、向こうの大陸も、すべてが見える。

「父ちゃん、いつ帰って来るかな」

「そうだね。はやく無事に帰ってきてほしいな」

「ねえ、キニンさま。向こうの大陸は危険なの?」

「……どうしてそう思うんだい?」

 視線をぼくに移し少しだけ首を傾げてみせる。きれいな顔に黒髪が流れる。

「父ちゃんに言ったことがあるんだ。ここの土地はやせていて芋くらいしか育たない。でも大陸はあれだけ青々と草木が育つんだ。みんなで大陸に移り住めばいいって。でもそれはできないって。危険だからって」

 キニンさまは大陸へ視線を戻し、じっと黙っていた。やがて小さく頷く。

「そうだね。お父君の言うとおりだと思う」

 腕を出してごらん、というとぼくの腕に白く柔らかそうな腕を並べた。ぼくの腕は浅黒く表面がザラザラして固い。

「大陸の人は、自分たちと違うものが怖いんだ。最初は受け入れようとするかもしれない。でも何かがあったとき、不安にかられたとき、自分たちと違うもののせいにする。商いをするくらいなら良いけれど、ずっと移り住むのは危険かもしれない」

「キニンさまも他の人と違ったの?」

 弾かれたように、ぼくの目を見つめる。すきとおった黒目。

「キニンさまが来た時、言ってたよ。みんな同じ想いだと思っていたけど、違ったみたいだって」

「ああ、ウタ」

 キニンさまは嬉しそうに僕を見つめ、差し出していた腕で頭を撫でてくれる。

「君は本当に賢い子だ。その通りだよ。都に住む人たちは同じ肌の色をしている。見た目も変わらない。でも内側にあやかしを飼っている者がたくさんいるんだ。自分が一番得をするように、周囲を利用する。時には嘘をついてでもね。わたしはみんなが同じ想いでいてくれていると思っていたけれど、利用されているだけだったんだ。風向きが変わった途端、わたしは都から追い出された」

 悲しそうな目をするキニンさまを、ぼくはじっと見上げる。

「ぼくはキニンさまに会えてよかった」

「ありがとう。わたしもウタと出会えてとても嬉しいよ」

「ねえ、もっと都の話を教えてよ」

 本当はお話が聞きたいわけじゃない。キニンさまの楽しそうな顔を見ながら、少し低くて心を包み込んでくれる穏やかな声が聴きたくて、お願いをする。その声を聴きながら、村の様子を眺めるこの時間が、何よりも好きだった。




「ウタ、起きなさい。ウタ」

 ぼくは眠くて開かない目をこする。いつもよりずっと夜ふかしをしたのだ。開いた薄目から見える部屋はもう明るい。

 昨夜は村の広場で宴をしたのだ。父ちゃんたちはたくさんのお米と野菜とお酒を買って、鹿と兎を狩って帰ってきてくれた。ここ最近、みんな切り詰めて生活をしていたから、とても楽しくて日が沈んでからもずっと踊っていた。

「ウタ、すぐにここを出ますよ」

 小さく、鋭い声。眉をひそめたキニンさまの顔が近くにあった。昨夜、眠くなったぼくはキニンさまにしがみついて離れなかった。それでキニンさまがぼくの家で添い寝してくれたのだ。きっといつもとは違う薄い藁のうえで寝にくかっただろう。

 まだ眠い。もう少しだけ、と言おうとした瞬間、悲鳴が響く。一人じゃない。何人も、男の声も、女の声も。ガタガタと大きな音。

 目の前のキニンさまを見つめると、さあ、と僕の背に手を回して抱き起す。ぼくはわけがわからず、キニンさまに従って家を出ようとして、気づく。父ちゃんがいない。

「キニンさま、父ちゃんは?」

 無言で首を振り、ぼくの手を引っ張るようにして、細い路地へ入ろうとする。ぼくはその手を振り払う。

「父ちゃんはどこ?」

 立ち止まり振り向いたキニンさまは、わからない、と呟いた。悲鳴が聞こえた方向へ走り出したぼくの背に、キニンさまの声がする。でも立ち止まらない。ぼくは昨日の広場へ向かう。

 広場はまだかがり火がついていた。人々がまばらに倒れている。明るい広場は、血に染まっていた。

 ゆらりと立ち上がる人がいた。鎧をまとい、手には真っ赤な刀。その刀を肩にかつぎ、周囲を見回し、時々足元に倒れた人へ突き立てた。うめき声があがり、すぐに止む。ぼくは目の前の光景が飲み込めず、ただ立っていた。

 鎧の男はぼくを見つけると、こちらへ向かって歩いてくる。

「まだ生き残りがいたか」

 足がすくんで動けなかった。声も出せずにただ向かってくる男を見る。

「ウタ!」

 振り下ろされる刀に思わず目を閉じる。と同時に横へ押し飛ばされる。起き上がった目の前には、肩口から刀を受け真っ赤に染まるキニンさまがいた。

「お前、流刑者か」

 鎧の男は驚いたような顔で、キニンさまを眺め一瞬ぼくへ視線を送り、へえと呟き頬を上げる。左手でキニンさまの髪を掴み、俯いた顔を持ち上げマジマジと眺める。

殿上人てんじょうびとに拝謁できるたあ、恐悦至極。あのガキは、アナタさまが鬼に産ませたガキですかい? 俺はどうも鬼の女にはピンとこないんですが、アナタさまがご満足されるんだったら、ちょいと試してみましょうか。ただまだ生きてるやつがいたかどうか」

 キニンさまの口から血がこぼれる。ぼくは鎧の男に突進し、力いっぱい殴った。男はよろめくものの、倒れなかった。だがキニンさまを掴んでいた手は離れる。ぼくはその場に倒れたキニンさまを抱きしめた。

 キニンさまの白くきれいな肌が赤黒く濡れてぬるりとすべる。ぼくを見て、動かした口から血が吐き出される。

 獣のような叫び声が響いていた。大きく息を吸い、はじめて自分の腹の底から出ていた声だと気づく。直後、頭を殴られた衝撃で、身体が飛ばされる。

「うるせえんだよ」

 後ろから鎧の男が近づくのがわかる。手に持った刀を肩に担ぎ、ぼくの前で立ち止まる。

「猿、何をやっている!」

 張りのある若い男の声がした。鎧の男は小さく舌打ちをするとそのまま振り返る。視線の先には、ぼくの三、四つ上だろうか。上等な着物に鎧を身につけた、ふっくらした顔の男がいた。額には丸い絵の描かれた鉢巻をしている。

「犬が倉庫を見つけた。町の人々から盗んだと思われる米俵も野菜も取り返せたのだ。引き上げるぞ」

 盗んだ、という言葉が頭の中で響く。そんなはずはない。父ちゃんたちがそんなことをするはずがない。

 声の主は倒れていたキニンさまのもとに膝をつき、驚いたように声を上げる。

「この方が、どうして! なんてみすぼらしい格好をさせられ倒れているんだ! 猿、説明せよ」

 猿と呼ばれた男は、その若い男の後ろに控える。

「この島は殿上人てんじょうびとの流刑地としても有名です。おそらく鬼どもは、ここに流された貴人様の身ぐるみを剥ぎそれを売り飛ばしているのでしょう。先ほども鬼どもが御方を盾にして逃げようとしました。不埒な鬼どもは私めが始末してございます」

「なんという所業……!」

 若い男は拳を震わせ、自らの膝を叩く。ぼくは、叫んだ。

「違う! そんなことぼくたちはしない! キニンさまを殺したのはこいつだ!」

 指さした僕を男が蹴り飛ばす。

「殿、こんな鬼どもの妄言に惑わされますな。ガキとはいえ鬼。平気で他人を貶め、奪う者どもにございます」

 倒れたぼくの腹を鎧の男が踏みつける。

「うむ。わかっている。だがその足をどけろ。我々桃太郎一行は正義の味方なのだ。女、子どもをむやみに傷つけてはならない」

 退くぞ、と声をかけて踵を返す。鎧の男はぼくに唾を吐きかけ立ち去った。

 桃太郎。ぼくは心の中で反芻する。

 昨夜、キニンさまから桃の話を聞いた。都の、夏の時期に手に入る高価な果物。甘くて瑞々しくて、熟れると白い実がほんのりと赤く色づくのだと。昨夜酒に酔ったキニンさまが、自分の頬を指し「ごらんウタ。これが桃色だよ」と笑っていた。いつもよりもずっと弾けた笑いに、ぼくも嬉しくなってずっと笑っていた。桃はきっととても高貴な果物で、キニンさまのようなきれいで身分の高い人だけが食べることのできる、素晴らしい果物なのだろうと思った。

 桃太郎。

 ぼくは、桃を汚された気がした。

 キニンさまを、すべてを奪った人に、桃太郎なんて名乗ってほしくなかった。

 叫ぶ。獣のように叫ぶ。

 喉がかれ、声が出なくなり、咳き込むと血が滲んだ。

 遠くで烏の鳴き声が聞こえる。

 なんとか立ち上がる。もう立ち上がるのが精いっぱいだ。腕に力が入らない。それでも畑を掘ろう。畑なら深く掘れる。烏が来るまでに、村人全員分の深さを掘らないといけない。

 痩せた土地に吹く潮風が、砂を舞い上げる。血と汗の混じった砂を噛む。

 上空を烏が鳴きながら飛びまわる。少しずつ数が増えるのがわかる。

 声がかれ、涙がかれ、腕に力が入らなくても、ぼくは休むことなく穴を掘る。




白鉛筆さんの企画へひっそり応募です。

今年から8月24日は桃太郎記念日と認識されそうな程、桃太郎伝説がアップされる日ですが、個人的にはバタバタしてまして読みに行くのは遅くなりそうです。参加者はきっとあのあたりのクセ強メンバーだろうから、ひとつひとつがヘビーだろうし。


よろしければサポートをお願いします!サポートいただいた分は、クリエイティブでお返ししていきます。