見出し画像

成人式

2021年成人式前夜、25歳の僕はTwitterのタイムラインをみて、「今年は成人式ないのかぁ、、かわいそう、、」とか思いながら、Lovegraphの成人式キャンペーンをリツイートしていた。せっかく用意した晴れ着を着れず、久しぶりに会えたはずの仲間には会えずというこは、やっぱりかわいそうだ。

でもよくよく考えたら、僕には成人式のいい思い出がないんだった。というか行ってないんだ。嫌な思い出は記憶の奥底に沈めてチェーンでグルグルに固定する特殊技能を持っているので、あんまり気にしてないんだけど。

成人式の日、僕は昼間っから塾のバイトで出勤していた。センター試験の1週間前に休むなんて無責任なことできないっすよ〜というような言い訳を頭に備えながら、何食わぬ顔でタイムカードを切っていた。社員さんが、「あれ?成人式いかんでええんか??」と気を遣ってくれる。気づいてくれるのは大変ありがたいが、気づくならシフトができたタイミングでもよかったと思う。

ちなみに同期の他のバイトたちは成人式に行っている。かわりに1年後輩の2人が出勤していた。僕は「今どき成人式行かない人も多いっすよ〜。あ、でも同窓会は昨日やりました!」なんてセリフを吐いていた。

成人式に行かない人もいるだろうが、他の同期は出勤していないのだから決して多くはないだろうし、面倒だから行かないとかならまだしも、僕には一緒にいく友達がいなかった。(きっと僕は行きたかった。)あと同窓会は嘘だ。昨日は家でご飯をたべた。ふつうに。同窓会に関しては別に行こうと思えば行けただろうし、行ったら行ったでなんとかなっただろうけど、やっぱり僕には難しかった。
誰も得をしない嘘をついて、ちょっとだけ赤くなる顔がつらかった。その日はもう成人式の話題はでないことを祈った。

ちなみに家族はそのへんの理解が素晴らしく、成人式を話題に出すことはなかった。我が子にこういうときのための友人がいないことは、決してバレないようにしていたとしても、よく分かっているものだった。とはいえ親心としては一緒に写真とか撮りたかったんだろうな、と思う。今からでも遅くないから、写真はいっぱい撮りたいな。

そういった仲の友人がいなかった原因を、いまさら追求しようか。今ならできる気はするけれど、それはそれで悲しい気がするから、また今度にとっておこうと思う。少なくとも3連休明けの火曜日にする所業ではない。

ひとつだけ思い出したことといえば、高校のクラスの休憩時間、話の輪に入れず、でも1人でいるのも恥ずかしくて、毎回机に伏して寝たふりをしながらクラスメイトの会話を聞いていたあの時間。能力や勇気がなかったといえばそれまでだけれど、そんな時間を過ごしても自分を好きでいれた自分を今からでも褒めてあげることにする。

そんな僕にも、今では、ときどき話したり旅行にいったりするような友人がいる。多くは大学で出会ったんだ。本当にこれには感謝しかないから、これからも大切に大切に育てていきたい。

こうやって過去のことを思い出すのは、いい自己分析になる。あと、回想法といって、認知症予防にもなるらしい。(脳にはきっといいことなのだ。)

あの頃の自分を愛でながら、今日の自分に誇りを持ちましょう。また一つ記憶の奥底から救出しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?