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ミャンマー再訪 〜一年と四ヶ月の月日を経て〜

9月4日午前9時(ミャンマー時間)、ヤンゴンに到着。3日の午後8時に日本を発ちバンコク-ドンムアン空港で乗り換えを経るおよそ半日の旅程であったが、ようやく後は国内線でシットウェに向かうのみである。私はこれまでフィリピン・カナダ・ミャンマー・バングラデシュ・タイの五カ国へ足を運んだことがあるのだが、どの国も空港で入国審査を経て荷物を受け取り、外に出て異国の空気を吸えば「日本に帰りたい」という衝動に駆られるのだ。未だうまく言語化できていないが、海外志向が強い傾向にはあるものの、やはり日本の安全・安定した暮らしにどこか満足しているのではないか。今回はその衝動をよく分析するため、恐る恐る入国審査に臨んだものだ。しかし、いざ外に出て見たもののそんな衝動の霞さえ感じることはなかった。なぜだろうか。

私のこれまで各国にて抱いた感触はごく自然で微弱な電気信号から成り立つものであり、今回超強力なアンテナを張ったせいでその微弱信号はかき消されてしまったのではないか。

また自然かつ微弱な電気信号という仮説から考えられることは、環境の変化の良し悪しによってその信号の配列はいとも簡単に書き換えられることが可能であるということだ。前回ミャンマーへ入国したのは三月であり、比較的涼しく、だんだんと春の暖かさを感じていた気候からミャンマーの雨季を目の前にした高温多湿への悪変化によってその衝動は発生したのではなかろうか。

今回、ミャンマーは比較的気温は高いが空気がカラリとしており、少し歩いたところで汗は出なかった。好変化なのである。2018年2月に訪れたカナダの際もそうであった。日本がただでさえ寒いにもかかわらず、カナダの冬はさらに寒い上にその年は前例に見ないほどの降雪量を誇っていたのだ。

これまで私にしか分からない異国の空気感を長々と記してきたが、逆に来日する外国人は日本に足を踏み入れ、空気を吸った瞬間にどのような感情を抱くのだろうか。私の気候の肌感覚だけでなく、「何を目的に来日したか」のようなメンタル状態も関連するのではないか。観光客はまた別として、よく話を聞く中ではアニメが好きで働く場所に日本を選んだ、技術を学べるという希望を持ってくる人が多い印象である。石川県でインタビューをしたベトナム人労働者もそう語っていた。しかし、近頃の外国人労働者を搾取する現状を踏まえれば彼らは私とは違ってジリジリと日本という異国から離れたくなるのではないか。自分が心地よいか・不愉快か、さらには行き来もその気になれば自由にできる私は幸運度世界ランクではかなり上位に立つ幸運の持ち主であろう。

日本で搾取される、しかし送り出してくれた両親に仕送りをしなければならないというジレンマを抱える彼ら、言うなれば到底理解できない環境に生まれ育ち冷遇される立場を受け入れがちの人々に温室育ちの私がどうアプローチできるのか。

写真・機内で上空に興味を示す子供。

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