備忘録:「親友」
「親友」という言葉が嫌いだ。
我ながら偏屈とコンプレックスの塊みたいな思想だが、それはまぁ良しとしよう。
今日はこの「親友」について、コネコネしていこうと思う。
違和感と苦手意識と劣等感と。
「この前親友とさー」「私の高校の時の親友がー」
僕はこの類の話が苦手だ。
それは僕が他人に胸を張って言える「親友」と出会ったことが無いからである。
僕にとっての「友達」を分解すると、
部活が同じだったヤツは「部活仲間」
地元が同じヤツは「地元の友達」
サークルが同じヤツは「サークル仲間」
飲み友達は「飲み友達」
なのである。
その中に「親友」というカテゴリは存在しない。
僕は今まで必要以上に人脈を広げたり、活動を共にするということをしてこなかったので、そもそも友達と呼べる人がそんなに多くは無い。
さらに、数人のグループに所属したことはあれど、その中心にいる感覚を味わったことは一度もない。
そんなこともあって、僕は「親友」という言葉を耳にすると、
「親友ってどの程度の仲の人なん?」
とか、僕自身が仲が良いと思っている人にその話をされると
「あぁ、そいつと比べると僕はこの人の中ではランクが下なんだな」
とか考えてしまう。
「親友」の定義と「T」
では、僕にとって違和感と不安・劣等感に掻き立てる「親友」の定義とは何なのか。
そんなもの僕に分かる訳は無いが、無理矢理定義すると
「友達の中でも特に仲のいい『友達』」
「特別な『友達』」
みたいな感じだろうか。
よくわからんが大体こんなもんだろう。
そう考えると、高校の部活で一緒だったTは僕にとって「親友」なのかもしれない。
Tとは高校で出会い、同じ部活だった。
あいつは寮生だったので、部活帰りに高校近くで遊んだり、僕の家に泊まりに来たり。
受験期に居残り勉強の合間に遊戯王やってて先生に見つかった事もあったっけ。
あいつの実家は漁師でウチは農家なので、とれた野菜や魚介類を送り合ったりするような関係だった。
卒業式、クラスで一人一言、みたいな時にお互いの思い出を話して号泣したのを今でも覚えている。
まぁそんな感じでアイツは僕の高校生活を語る上では切っても切り離せない人間だ。
「いや親友おるやんけ」とツッコミをくらいそうだが、今では連絡も取り合っていないし、唯一の繋がりはTwitterのTLで生存確認するくらいだ。
「特別」という意味でいくと、Tは紛れもなく特別な友達だった。
確かにTは僕にとって「親友」だった。
「親友『だった』」のだ。
しかしそんな彼とですら今となっては疎遠な訳である。
悲しい。
自分の人生が薄っぺらく感じてくる。
あぁ、これが僕の「親友」に対するコンプレックスの根元なのか。
『親友』をつくろう
どうにかしてこの気持ちを宥める方法を考えてみよう。
思い切って「親友」だと宣言してみようか。
いや、連絡もほぼとっていないヤツにそれは無い様な気もする。
じゃあ、「友達」フォルダとはべつに「T」のフォルダを作る事にしよう。そうしよう。
彼との思い出を別に取っておいて、死ぬ前に思い出そう。
そんな人を一人ずつ、見つけてはフォルダを作っていこう。
それが僕にとっての『親友』なのかもしれない。
そうやって生きていったら、最期には沢山の『親友』に囲まれて旅立つことができそうだ。
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