家族機能:社会的家機能3

家にあるもの、生きる上で最低限なもの以外で、例えば、カーテンはなんのためにあるのだろうか。洗濯機は洗濯するための道具だが、カーテンはプライバシー保護の役割が大きいと考える。つうかそうだ。何故プライバシーは保護されないといけないのだろうか。カーテンがない場合、何が問題なのだろうか。それこそ他者との関係性でしかない社会的家機能そのものではないだろうかと考える。すると、カーテンがないと、家の中が丸見えだ。もし下半身丸出しで家の中に、そう所有する家の中なのにだ!!でさえ、外からの気配などに配慮しなくてはいけない。もちろん下半身を見られても何も問題がない人もいるだろうが、やはり、通常の社会を形成し維持し、運営するにあたって、見る側の人への配慮があるために、壁とか、カーテンなどで、division区切っているのだ。区切っているのは西側諸国が大好きである、たとえば国境だ。国境の話はまあいいや。区切るということは、意味をつけるということだ。これは例えば、ビルのフロアがあったとしよう、そしてパーテーションにより、会社と別の会社を区切っているし、給湯室も区切っている、そしてここからはトイレエリアだ、という感じで、意味をパーテーションなどで作っている。

意味は区切っていることで生まれる?というか、意味を作るためにパーテーションなどで区切っているのだ。では、カーテンで区切っている意味は何か、極めて社会的な意味があるのではないだろうか。

他者は自分とは全く別人である。個人と個人。そして職業が違うことにより、会話ができない。カーテンがあるだけで、それは会話ができない、ということになる。もし会話がしたくて、窓を破壊し、カーテンを八つ裂きにしてまで、会話をしようとすると、これは立法論的に、刑事事件に発展してしまう。つまり法律そのものも区切っているのだ。法律は言語での区切っているのやつで、パーテーションやカーテンのように目に見えないが、意識の中に区切りができる。これをフーコー的にBiopower生物権力と呼んでいる。

フーコーは、他にも言及しており、人間のありかたなど、近代以降の人間の適正化や社会化の基準となるもの、エピスメーテーと呼んでいる。などが人間によって人間を区切っているようにした。

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