紙幣の価値の抽象化イメージ
紙幣、です。日本国やアメリカのお札には、必ず「この紙には中央銀行が倉庫に金を担保にして価値を保証しています」ということが書かれています。
そう、ブログで収入を得る時代がヘーゲルから300年以上経って、家父長制が久しい、HISASHIぶりDEATH★
ブログで得る収入も、その国の中央銀行が信用を担保にしているものを使用して、「収入」というものを認識するようにしている。
たとえば、子供の時、収入という概念は無かったはずです。
しかし象徴界の父である
この話はやめます。
紙幣の価値は、ボケ老人や、障害者、植民地の人間にも当てはまります。
例えば、4500人くらいの、村があって、その村で全員が知っているものと言えば、なにでしょうか。例えば、守り神とかでしょうか。
しかし大航海時代によそからその村にやってきたスペインなどが、その村の守り神である、木、をみても、木にしか認識できないのです。
この式に代入します。
しかし大航海時代によそからその村にやってきたスペインなどが、その村の紙幣の価値である、木、をみても、木にしか認識できないのです。
しかし大航海時代によそからその村にやってきたスペインなどが、その村のボケ老人である、木、をみても、木にしか認識できないのです。
非常に例が悪かったですね。
たとえば、ケインズのマクロ経済政策の話で
「失業保険に金を出すくらいなら、ヘリで金をばらまいたほうがマシだ」
みたいなお話。
しかし、庶民である私達からすれば、ヘリから巻いた金は全て価値があり、非常にもったいない!!!!!!と思ってしまいますが
しかし、それは紙切れです。
バラバラの新聞紙をヘリから巻いているのと代わりはないのです。
しかし、その紙に、4500人くらいが信用しているので、
価値が発生するわけです。
価値はイメージです。
それでは次回。
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