絵に眩む

病院から出られなくてちょ~暇なので、自己満足のための記事を書くことにした。ちゃんと文章書けるか確認しといてくださいと言われたのもある。ここ嫌すぎる、早く家に帰してくれ。ここから出してくれ…。
あと、書くって決めた話の番外編がぜ〜んぜん思いつかないから気分転換に違う文を書きたくなったんですよね。やっべぇ気絶してる間にもう9月になっちまったよ。今年あと4ヶ月もないっておかしくない?時の流れ早くない?

でも僕の頭が弾けようが腕が捥げようが仕事はあんまり減ってくれなかった。パソコン触りたいってお願いしたらいつの間にか個室に投げ込まれたし。ぜってぇ職場に個室料金請求してやる。同僚からの差し入れ、スイーツでも果物でもなく仕事の資料とノーパソだったし。次なんも甘い物持ってこなかったらデコピンしてやろ。
こうなってもまだちゃんと休めないの嘘やろ?燃えねぇかなぁ職場。誰もいない時に職場が資料ごと原因不明の火災で燃えて欲しいと願う日々がもう4年くらい経ったんですけど全然燃えないんだよな。毎年初詣でも願ってるのに。やっぱり神様なんていないんだね、辞めてぇ~!

でも色んな所に謝罪の連絡したら「じゃあ会議や相談はzoomとかメールでいいよ!無理しないで!」って言われた。優しい人だらけだぜ助かるぜ感謝~!じゃあ普段から全部オンラインでよくないですか?いつものアレはなんですか嫌がらせですか?
僕は昔から病院がとてもとても好きじゃないのでなんとかさっさと出られるようにならないかなと思って元気アピをしたら、勢い余って手首の管が抜けてめたくそ怒られた。いくつになっても人に本気で怒られるって怖いよね。ちょっと泣きそうになったもんね。でもすぐ後から来た主治医の人、世間話しながらふつーにぶち抜いてったけどね。なんであんなに怒られたんだろう全然納得いかないぜ、病院食にケーキないのはもっと納得いかないぜ!

本当は小説をまとめて投下したいのだけれども、残念ながら手元にデータが入っているUSBメモリがないので諦める。別の媒体でも保存するべきだったと今更思うなどした。危機管理がなってねぇなぁダボがよ~!
8月下旬も頑張るぞいと思ってたのに日本帰ってきた途端に視界が暗くなって、目が覚めたら10日以上経ってて9月に突入してた。最近投下したのいつだっけ?この記事書き始める直前にプラ心の番外編1つ猛スピードで書き上げて投下したけど。
ブーン系もさぁ、ファイナル板ぜんぜん覗けてないんですよね。ちゃんと読んで感想レス書けたのSecret Gardenくらいだもんな。みんな置いてかないでくれ、一緒にゴールしようぜ、おてて繋いで走ろうぜ、なぁって。

あ、でもオムライスの話が盛り上がってるのは知ってる。昼ご飯食べてる時にちょうどスレが建ってて、ちょっとだけ見に行ったから。あの板建てた人に抗い護るのアーカイブ教えたの僕だよ(自白)。
btcmが一番最初に読んだブーン系でね……ニンテンドーDSiとかいう古の機械でネットサーフィンしてた時に偶然オムライスに辿りついて、読んだのがbtcm…あれが全ての始まりだったぜ…。
この記事読んでてbtcm読んだことない人はいないと思いますが、もし知らない人がいたら読んでね。暇潰しどころか人生潰れるくらい面白いから。
( ^ω^)ブーンが戦い、川 ゚ -゚)クーが護るようです
これがbtcmです。読んでみな、飛ぶぞ。















じゃ、本題。ここから割と真面目な話。
まぁ今回言いたいことは簡潔で、「絵っていいよね」ってだけの話なんですけれど。

僕は絵が下手です。
どのくらい下手かと言うと職場での会議の時やクライアントから相談を受けた時、分かりやすく伝えようと思って絵を描いた結果
「えっ?指の骨折れてる?」
「日本では大麻は違法だよ」
「君、ケーキ3等分出来なさそうだね」
「今すぐ眼科か神経外科かお祓いに行きましょう」
「職場でふざけてます?遊びに来てるんですか?」
「二度とペンを持たないでください」

だのなんだの言われたくらい。
同僚たちみんな僕が何言われても傷付かないと思ってるんだよな、家帰ってから泣いたもんな。全然まだ根に持ってますからね。絶対に許さない。

一応これでも、絵が描けるようになりたいと思って努力した時期はあった。
中高の美術の時間は真面目に取り組んでいたし、大学に入ってからも絵が上手い友達に色々教えて貰ったり、学生証を利用してあちこちの美術館に行ったり、3年の進振りで法学部に進むと最初から決めてたのに1~2年の時にやたらと美術史の授業をとったり。気付いたら真面目に出席してるの僕含めて5人くらいしかいなかった、あんまりよくない大学だったな。駅からアホみたいに遠いし。あのめちゃ狭い図書館いまどうなってんだろ。真夏なのにクーラー切られてたりもしたからな。絶対進学先間違えた。
でもまぁ、結果は振るわなかった。中高の美術の評定はめたくそ低かったし、描いてみても精神異常を疑われるレベルは変わらないし、結果としては有名な絵画の名前や絵師の出身国を覚えただけだった。努力しても何も技術が身に付かないなんて人生初めてで、結構なダメージだった。今でもかなり大きいコンプレックスだったりする。

その反動からか、僕は絵が上手い人に強烈に惹かれるようになった。
全く知らない人だろうが、知り合って日が浅かろうが、「絵が上手い」と判明しただけで僕はその人を無条件に尊敬する。
芸術的な絵、繊細な絵、迫力のある絵、写真と見紛うほどに精緻な絵、可愛いイラスト、ノートの隅っこに描かれたデフォルメ。そのどれもに差はなく、"上手い"と思えばすぐコロッと傾倒してしまう。クライアントの人が可愛い落書き描いてたら、もう依頼料とか相談料とか着手金とか全部無料にしたくなるもん。肩叩きに遭うし周りに迷惑かかるのでやらないけれども。
自分でも不味いなぁと思うのは、絵や創作とは全く関係ない、その人の行動や人格まで丸ごと全部肯定したくなること。不味いと思いつつも全く治る気配がないしぶっちゃけ治す気もないので、もう諦めて絵を描く人たちの何もかもを全肯定することにしている。まぁ別にいいよね、だって素敵な絵を描く素晴らしい人たちなんだもん。何やったっていいよ。よっしゃ無罪無罪~!!


…という話までは前にどこかで何度かした覚えがあるので、今回はもう少し踏み込んだ話を勝手にする。
絵が上手い人に惹かれる原因はもう一つある。
発端は、幼馴染の親友が、美術部だったからだと思う。

小中高と同じだった親友がいたのだけれど、これがまた文字通り、絵に描いたような天才だった。
とにかく出来ないことがない。勉強、運動、芸術、性格、何もかも最初から人より秀でていて、努力すればするほど羽でも生えているかのように天高くいってしまうような、そんな子だった。
僕も紙の上の勉強は自信がある方だったけれど、中学3年生になった頃から、2位しか取れなくなった。毎回必ずその子が1位を取るからだ。

当時は彼女に何かで勝つことだけを考えて生きていたけれど、それを諦めたのは高校1年生の7月31日。賞を取ったことで一時期、市の美術館に飾られることになった、彼女の絵を観に行った時だ。
作品名や作者名を見る前に、幼馴染の絵だと分かった。夏の夜道と花々を描いたその絵はタイトル通り、今まで見てきた何よりも絢爛だった。
人生の価値観を無理やり捻じ曲げられるような、もはや暴力といっていいくらいに美しい絵。あれほどに圧倒的なものを見ると、もうなにもかもどうでもよくなるというか。
十数年、それまでの人生の大半、ずっと胸を燻っていた敵対心とか劣等感とか嫉妬とかはなくなって、代わりに羨望と畏敬と諦観が残った。
春が来るまでずっと凪いだ気持ちで、親友が描く花の絵を見ていた。

それから、絵に惹かれるようになった。どうやっても自分じゃ手が届かないのだと知ってからは余計に。
教科書に載っている名画や、たまに行く美術館に飾られている絵。インターネットで流れてくるイラストに、散歩の途中で見かける子どもの落書き。そういうのを全部、無意識に目で追うようになった。
大学生になってもその癖は変わらず、まるで人気のない美術史の授業を受けたり、「絵を描くのが趣味」と言った人と積極的に話したりするようになった。
きっと当時の僕は、幼馴染の絵に並ぶような絵を探していたんだろう。見ず知らずの誰かが描いた絵に、勝手に他人の影を見出そうとしていたのだ。我ながら気持ちの悪い動機だと思う。

けれど、どの絵を見ても幼馴染の絵を見た時のような衝撃は得られなかった。
見たいものが見つからなくとも時間は進んで、目指していた国試になんとか受かり、大学を卒業して、目指していた職業に就くための研修みたいなものを1年受けることになった。

その研修というのが、僕にとっては地獄だった。
今までの勉強が児戯に思えるほどの勉強量。それをこなしながら、並行して実務や無駄にしか思えない慣行などを学ぶ。例年と日程が違うらしく、某ウイルスで変わったスケジュールに教官たちもてんやわんやで、とにかく滅茶苦茶だった。
休日は勉強か下らない会食で潰れ、給料は生きるのに必要最低限しか貰えない。始まった頃は仲の良かったクラスメイト達も、日々蓄積される疲労と、教官から示唆される競争とプレッシャーに刺激されて余裕がどんどん無くなっていき、変な腹の探り合いが始まる始末。途中でリタイアする人もいた。
一番きつかったのは、とある機関に行った時。どうせなら研修生の間に、普通なら見られない世界を見ようと思った。
これが間違いだった。僕が助けたいと思った人たちが、全く困ってない人たちのために、ワイン造りの葡萄みたいに潰されているところを見てしまった。僕は間違いなくあの時に、決定的に選択を間違えた。見なくていいものを見た。僕が目指していた場所は、もっと地獄だった。

受かりたい試験には受かったし、もう自分もリタイアしようと思った。人生の目的は果たしたし、もう全部いいかなと。狭いワンルームに帰ってきて、勉強して、研修の起案を書いて、仕事して、見たくないものを見て、聞きたくないことを聞いて、寝ずにまた家を出るだけの毎日が嫌で嫌で仕方なかった。
でも、そんな日に、僕は凄く素敵な絵を見つけた。

9月に入ったばかりのある日、やっと今日は寝れるなと思ってベッドに倒れて、久しぶりにちょっとTwitterでも見ようと思ってスマホを点けた。
ぼーっとスクロールしてたら、本当にたまたま、物凄く素敵な絵が目に飛び込んできた。
一人の女の子が祝われて、太陽みたいに笑っている絵。
昔見た、ずっと網膜に焼き付いている親友の絵とはまるで違うのに、ずっともう一度見たいと願っていた絵とは全然異なるのに、その絵が凄く眩しく映った。
気が付けば、朝になるまでその絵師の人のメディア欄を漁っていた。絵心なんて全くない自分でも、ひどく心臓が騒ぐイラストばかりで、触れられたことのない臓器を鷲掴みされてるみたいな感覚と感動をどうにか言語化しようとしてもできず、ただ只管にその人の絵を遡って、最初に見た女の子のイラストを三日三晩ずっと、比喩じゃなく延々と見続けていた。
今思い返してみても物凄く気持ち悪い行為だけれど、それくらい当時の僕にとってその人の絵は衝撃的で、綺麗で、絢爛で、暖かかった。
もう一歩だけ歩こうと思えた。

その日から、Twitterをちょっと積極的に使うようになった。すると、沢山の素敵な絵を見れた。
日々の出来事をコミカルに描いた一枚、元気いっぱいでカラフルな可愛いアイドルたちのイラスト、花を擬人化して花以上に美しく描いた絵、人の手で描いたとは思えないくらい精緻なワンシーン、とにかく色んな人たちの色んな絵がそこにはあった。
中には小説と絵、両方凄いクオリティで生み出している人たちもいた。万能やんはえ~ってなった。世の中というのは本当に広い。

“色んな人の素敵な絵が見たい”って理由をメインにして居座っていた。どれだけ現実でボロボロになっても、どんな疲れや希死念慮も全部吹っ飛ぶくらいに輝く絵。勝手に見て勝手に救われて、想起してみると随分と勝手で楽な立場だったなぁと痛感する。でも心から楽しかったな。

人の創作に触れるのが日常になって、ふと思った。
“あっち側”になってみたいと。
小説を書いたり曲を作ったりはしていたけれど、大衆から見える場所に置くという行為はしたことがない。あの恥ずかしがり屋の親友ですら、コンクールに絵を出していたのに。
試験のために書いた起案や、仕事の法律文書を人に見てもらうのとは全く性質が違う。自分の創作物を出すというのは、それとは絶対に異なるものだ。
興味が沸いた。自分の力で創作行為をして、生まれたものを公共に出して、評価や感想を聞くと一体どんな気持ちになるのだろう。どういう世界が見えるのだろう。褒めて貰えると嬉しくなるのか、貶されると腹が立つのか、なんにも予測がつかなかったけれど、どうしてもやってみたくなった。
もしかしたら今になって、幼馴染が見ていた世界が少しは理解できるようになるんじゃないかと思った。

で、書いて、出すようになった。
ただの話を書くだけじゃつまらない。どうせなら、僕が好きな物や尊いと思える何かを、他の誰かにも肯定してもらいたい。
もしも幼馴染が読んだなら、「面白い」って言ってくれるような話が書きたい。彼女が褒めてくれたり、共感してくれるような創作を出したい。そしてそれが誰かに肯定されたのならそれは、僕が良いと思ったものはやっぱり他の人から見ても良い物なのだと、親友の感性は間違ってなかったのだと、証明するための証拠品になるかもしれない。
心臓。小説。スイーツ。料理。夢。水族館。雪。観覧車。祭り。誕生日。音楽。絵。花。肯定したいものだけを詰めていった。
存外、楽しかった。作る過程も、出来上がった作品を眺めるのも、世に出した後の反響を伺うのも。称賛されたとてそれは作品に対する祝辞であって僕自身の評価じゃないのに、脳がバグったみたいに自分も嬉しくなった。
ボロボロに貶されたり、直接口頭で否定されたりしても、ただ読んで貰えたというだけで幸福を感じられた。勿論、なにもないならないで、ただ創るってだけで充分足るのだけれど。
今更になってやっと、少しだけ創作をする側の人の気持ちを理解できた。なるほど、そりゃあ筆を動かす訳だ。

自分の思ったことや、感じたことを他の誰かに伝えたい。「ここに綺麗な花が咲いてるんだ」ってことを教えて、見てもらいたい。
……だけじゃなかった。そういうのも理由の一つだろうけれど、まだまだその先があったのだ。やっぱり結局僕は、浅い理解で立ち止まっていた。
この年になって漸く分かった。楽しそうに描いてたもんな。

絵に対する想いや蟠りを創作にしたのが、この前出した『絵描きとヴィオラ』だった。
あれは随分と書き直した作品だ。文字数はプラ心の1/3だけれど、かけた時間は3倍かもしれない。それぐらい、何度も何度も手直しした。期間に間に合わず、遅刻してしまったくらいに。
僕の書く話は水族館の作品以外は全部ラブレターみたいなもので、なによりも先に、特定の誰かさんに読んで欲しいという浅ましい想いがある。前の記事の補足だけれど、だから僕は自作品の内容自体は全くこれっぽっちも好きになれない。自分が書いて出した恋文を面白いなんて評したり、何度も読み返す人間はいないのと同じ。けれどこの作品は、初めてその誰かさん以外の人たちにも向けた話だった。

花を好きになりたいと思って、花の勉強をした時期がある。
咲く時期とか、品種とか、人間が勝手に決めた花言葉まで無駄に覚えた。お陰である程度は花の美しさを理解できるようになった。大体、花屋の店員さんと間違えられても、なんとか最低限の説明が出来るくらい。
でも、今年の春の初め頃かな。ネットで買ったイラスト集を見てひどく驚いた。花を擬人化した子たちが描かれたイラスト集。
花が咲いた姿だけじゃなかった。枯れるまでの過程や、萎れてしまった姿。有している毒。開花時期。花言葉。きっと、多くの人が進んでは見ないであろう側面もきちんと拾い上げて、向き合って、1億年前の星空みたいに綺麗に描いていた。花の病や枯れる姿、寿命に目を向けたことなんてなかったから、とても新鮮に見えた。
ただ綺麗で精緻なだけじゃない。あの本の中には、物語と命があった。一番好きなのは『春の海』。

最初は、現実ならあんまり綺麗じゃない花の一面も綺麗に描いてて凄いなと思っていたのだけれど、ずっと何度も繰り返して眺めるうちに違うなって、考えを改めた。
多分、あのイラスト集を描いた人にはそもそも、僕が今まで見ようとしなかった花の部分すら綺麗に見えていたんじゃないだろうか。
僕とは感性も価値観も違う人から見えている世界が、絵を通せば、僕のような人間でも見えるようになる。
凄くないか?他人の目に映る世界なんて、ハワイにある4億ドルの望遠鏡を覗いたって見えやしないのに。でも絵を描く人は、自分が描いた絵を通して、自分が見ている世界を誰かに伝えることができる。見せることができる。顔も名前を知らない、ネットだけの繋がりの人すら別世界に誘える。
魔法みたいだと思った。絵を描く人はきっと、魔法使いなんだろう。
もしかしたら全然間違った解釈をしているのかもしれないけれどね。

あのイラスト集を見て、話を変えた。どうしても僕も花を書きたくなった。
今までは全く創作に使わなかった野の花々や、見た目があまり好みじゃなかった花。さほど珍しくもないし、特別でもなんでもない、手作りの花の栞。
多少無理やりに思われても、花を話のメインの一つに据えた。

『絵描きとヴィオラ』は確かに、絵を描く人を肯定したいがために書き始めた話だ。昔から、絵を描く人を馬鹿にしたり、嗤ったりする人や風潮が好きじゃなかったから。休み時間に絵を描く人を指差す人間というのは残念ながら大学にもいて、僕が思っているよりどうしてか、絵を始めとした創作物も、それらを生み出す人たちも低く見積もられる。それがひどく気に入らなかった。肯定したかった。
でも、多少シナリオが遠回りになっても、あの世界に入り込んで得た熱や感想を、更に誰かに伝えたくなった。あの話は、そのイラスト本への感想でもあった。結果として、3万字が11万字になったけれど。
あの話が、只の字の集合体が綺麗に見えたのなら、影響を受けた本の絵たちは、もっと綺麗だって思ってもらえる。僕は、あのイラスト集を描いた人の絵を、他の人たちにも見てもらいたかった。
好きなものや綺麗だと思ったもの、ずっと胸に燻っていた想い、そういうものをありったけ詰め込んだ花束。それが『絵描きとヴィオラ』。
創作をする楽しさを、ちゃんと心で理解できた。あの人の絵に出会えてよかった。

投下した時も、その後も、色々とやらかしてしまったけれど、僕はあの話を書いて世に出したこと自体に後悔はしてない。中身については僕は誇れないけれど、それでも、誰か一人は綺麗だと思ってくれる話を書けた。充分に嬉しい。あのイラスト集にどれくらい自分が感動したのか、きちんと伝えられたのかについてはあまり自信がないけれど。
改めて振り返ると、僕の人生は、絵に引っ張られることが多かった気がする。僕自身は棒人間ですら真面に描けないのに。なんだか面白おかしい。

"人生が芸術を模倣する"。
アイルランドの詩人が遺した言葉の意味がやっと胸に落ちた。創作物を通して初めて、目に映る現実の魅力が分かる。誰かの感性に共感できる。自分の想いは感動を人に伝えることが出来る。
幼馴染の絵がなければ、僕は花を踏んで歩く人間になっていた。
ネットで偶然見た太陽みたいな少女のイラストがなければ、僕は襟元にバッジをつけられず終わっていた。
愛が溢れた花束のような画集を手にしてなければ、僕は創作の楽しさを知らないままだった。

絵に眩み続けた人生だった。多分、これからも最期までそう。
でも悪い気は全くない。寧ろ、清々しい気分でいる。
病室に飾られている、タイトルも作者も分からない果物の絵を見るだけで、自分の顔がほころんでいる。
絵で笑顔になれるという点については、僕は僕を気に入っている。
自己肯定の手段としても、創作は有用なのだ。多分、他の人が当たり前に知っていることが今更分かった。でも分からずに死んでいくよりはマシだと思うので良しとする。
僕も今のうちにやりたいことを、創作行為を全力でやろうと思う。
結局また誰かさんの模倣に終わるかもしれないけれど、本当に凄く楽しいからさ。


長々と書いたけれど、要するに。
絵も、それを描く人もめちゃくちゃ凄いよねって話でした。
好きな絵や絵師さんがいたら、ちゃんと感想書いて送ったほうがいいぜ!



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