言い残し
大したことではないのですけれど、ちょっとだけ。
独り言。多分誰にも届かないと思うので、そのままの本音。
僕は自分の作品の何が面白いのか全くこれっぽっちも分からないので、基本的に読み返したりしないし、スレも見に行かない。
そもそも僕にとって重要なのは「世に出したかどうか」であって、「読んで貰えるか」とか「どう思ってもらえるか」とか、そういうことにはてんで興味がない。(もちろん、面白いと思ってもらえることはとても嬉しいけれど。)
けれど本当にありがたいことに、色々と感想を言っていただけることが多かった。スレでも、Twitterでも、個人的なメッセージでも。
Twitterは顕著で、あまりTLを見なかった自分でも感想が目に入った。どれも本当に嬉しかった。茜ちゃんにも感謝している。youtubeでも投稿してくれるようになったの凄く嬉しい。今も見てるよ!
特に嬉しかったのは、絵を描いて貰えたこと。
ヴィオラについてのnoteでも書いたけれど、僕にとって絵というのは昔から、凄く特別な存在だった。絵が上手い人というだけで、その人の人生全部報われて欲しいと心から願うくらいに。
この記事で書きたいことというか、言いたいのは、その絵を描いてくれた人たちについて。他に連絡手段を思いつかなかったから。
Twitterに戻る気はないし今後見に行く気もないので、どういう現状になっているのか全く分からないのですけれど。
もし「ビコーズ」というアカウントと関わっていた痕跡が少しでも邪魔になっていたり、嫌悪感を感じられたのなら、イラストは消してもらって大丈夫です。
これが言いたかった。後は全部、個人的な本音で蛇足。
プラスチックの心臓も、ポムも、ヴィオラも、本当に凄く良いイラストを描いて貰えた。18歳になってから今までの人生全部報われたと思うくらいに嬉しかった。
勝手ながら色んな媒体で保存させてもらったし、網膜に焼き付いている。
今でも元気がない時に見返して、凄く元気を貰っています。
でも、以前からずっと思っていたのですけれど。
どうしてあんなに素敵な絵を描いてもらったのか、その理由がまるで分からないんです。
僕が書いた小説はどれも基本的には「同じ話」だ。
似たような展開、似たような登場人物、似たような終わり方。どれもこれもがどこかで見たような類似品で、代替品。
特定の誰かさんに「面白かった」って褒められたいだけの、意味も価値もない打算と執着に塗れた粗悪品。
心臓が弱い人、菓子作りが上手い人、絵が上手い人、花が好きな人、ピアノが上手い人、優しい人。僕が作品を書いて肯定したかったキャラクター達は、元を辿れば全て同じ人だ。そりゃあどれも似たような話にもなる。分析してみれば更につまらなく感じる。
上手く完成させられたという満足感とかはある。でも、どれも魅力的だとは思わない。
そもそも、僕が書く話は全部「書きたい話」であって「読みたい話」じゃない。不特定多数の読者どころか作者である自分自身にすら向けてない話を、どうして面白いと思ってくれるのだろう。
ただ感想をくれるだけならそこまで申し訳なさも感じない。交流の一部として感想をくれただけという推測は出来るし、それだけでも充分飛び上がるほどに嬉しい。
けれど、絵は違う。ただ感想を言うことより、かかる時間も労力も桁違いな筈だ。
絵師の人たちだって現実を頑張って生きている人たちで、時間は決して有限じゃない。なのに、どうして自分の作品を絵に表してくれたのか、不思議で、嬉しくて、それ以上に申し訳なくて仕方がなかった。
ポムは思わず笑ってしまった。昔からよくスレで見かけていた大好きな絵師さんたちに描いてもらえて嬉しかったから。
ヴィオラは言葉が出なかった。僕が目指した「綺麗な一枚の終わり方」が、僕の想定どころか想像を超えて美しかったから。
プラ心は泣いた。一番好きな絵師さんに描いて貰えたから。
けれど、正直なことを言えば、嬉しいの次に来る感情は「申し訳ない」だった。
ヴィオラなんて特にそう。あれは元々、絵を描く人全てを肯定したいがために書いた話だ。
印象を受けたことも、無言でこっそり買ったイラスト集に感動して、小説をほぼ丸ごと書き直す際の参考にしたことも事実。けれど、本当にそのことを言うつもりはなかった。
それをご本人の目が届く場所で酔った勢いで呟いて、怒られるどころか絵を描いて貰えた。足元の蒼花の細やかな描写とか、絵の位置とか、椅子の幽霊とか、僅かな涙とか、言葉が見つからないくらいに丁寧に読んで貰えて、春に咲く夢見草が瞼に浮かぶほど、繊細に描いて貰っていた。
創作に対してこれほどまでに真摯に向き合って、こんなに花を思わせるくらいに綺麗な絵を描ける人がこの世にいるんだと思った。その絵師の方の手に神様が見えた。
対して僕は何もしてない。依頼料すら払えてない。僕がやったことは見方を変えれば「盗作」だと糾弾されてもおかしくない行為だった。なのに結果を見れば、僕は息が止まるくらいに綺麗なあの一枚の絵を描いて貰えて、ただ一方的に得をしてしまった。それがずっと、鉛みたいに心に残っている。
プラ心は、謝罪と不理解がごっちゃになっている。
あれは、僕の願望とか後悔とか不満とか、僕の人生そのものを全部ごちゃ混ぜにした話だった。人間とレプリカントの話という非現実的な設定にして、「ここまで夢みたいな設定にしなきゃ叶わなかったのか」という僕のひどく個人的な想いを詰め込んだ作品。僕はただ、心臓をあげたかっただけだ。
ブーン系としてどころか、世に出す小説としては初めての作品だった。だから、「こんなに詰まらない作品はないな」と思っていた。今も思っている。僕は僕が書いた話に全く魅力を感じない。
けれど、読まれた。色んな人に面白いと言ってもらえた。
その中で、心から大好きだった絵師さんにまで読んで貰えた上に、イラストまで描いて頂けた。
これが本当に分からない。当時も今もずっと、全く。
まず、なんで読んで貰えたのか分からない。「誰かに読んで貰えるか」なんて僕にとってはどうでもよくて、「世に出せたかどうか」が重要だから、Twitterでも自作品の宣伝は基本的にしなかった。
その大好きな絵師の方がブーン系を読んでるイメージはあまりなかったから、「読んだ」と言われた時は何故読んで貰えたのか分からなかった。どうして手に取ってもらえたのか、何故最後まで読んでくれたのか。
絵を描いてもらえた理由は、それ以上にこれっぽっちも分からない。
僕から渡せるものなんて何もないのに。あんなに素敵な絵を描く人が、どうして自分なんかの作品を絵にしてくれたのか全くもって理解が出来ない。
僕が「ここを一番綺麗に書こう」と力を入れたシーンを描いてもらった。自分が何を表したかったのかを理解してもらえたみたいで、それだけ作品を細かく読んで貰えたのかと思えて嬉しかった。
最後までずっと貰ってばかりだった。2021年からずっと太陽みたいに素敵な絵の数々を見せてもらって、本を買わせてもらって、元気を貰って、自分の作品を絵にしてもらって。本当に申し訳ない。
でも、心底嬉しかった。ずっとプラ心のイラストを固定のツイートにしていたくらいに。あれも、今考えると失礼だったかもしれない。
結局、今はもう何もその人の絵を見れてない。Twitterがなくとも絵を見る方法を教えてもらったけれど、その方法を保存する前にアカウントを消してしまった。一番の心残り。
あの小説たちの何が良かったのだろう。
どうして絵にしてもらえたのだろう。
僕が好きだった絵師の方々は皆、僕なんかよりもずっと長く、ずっと強く創作に向き合っていた人たちだ。
ならばそれだけ、色んな話やアイデアに触れて来た筈。そんな人たちが、僕の話を読んで面白いって本当に思ってくれるのだろうか。
5年以上ずっと、誰に見せる訳でもない小説を一人黙々と書き続けていた詰まらない人間の話を、本当に面白いと思ってくれていたのだろうか。
凄く、失礼なことを言っている自覚はある。素直に受け取ればいいだけなのに、申し訳ない。けれど、心の奥の方でずっとそんな考えが纏わりついている。
僕は僕の作品というだけで、ひどく陳腐なものに見えるから。
僕は、言葉にしていないながらも、何かしらの無言の圧をかけていたのではないだろうか。
プラ心を終わらせた去年の夏頃から、ずっとそう思っていた。
ネットから離れて、任される仕事の難度が上がって更に忙しくなって、味覚が消えて、振り返って、頭に浮かんだ不安がそれだった。
僕の存在や影がちらつくことで、ひどく嫌な思いをする人がいる。
だからTwitterのアカウントを消した。それ自体は特にショックじゃない。まぁ嘘つかれてたんだって知ったときは正直ショックだったけれど、仕事柄そういう人には慣れてる。真に受けた僕が悪い。スペースの時に落ち込んでいたのは好きな絵師さんたちの絵を見られなくなるから。
万人に好かれるなんて夢物語は望んじゃいないし、悪いのは僕一人だし、削除という行為自体別に特別なことだとも思っていない。よくある話。
でもよく考えればずっと以前から、色んな人に対して凄く負担のかかることを強いていたのかもしれないとやっと今更思った。そう考えるのが一番自分の中で納得できる。
もしかしたら、「あんな人間の作品の絵なんて描かなきゃよかった」とずっと思われてたのかもしれない。というかそもそも、もう消していただいてるかもしれない。もし既にそうなっているのなら安心できる。
色々とつらつら書いてしまった。
要するに、邪魔だったら描いてくれたイラストはなかったことにしてもらって大丈夫という話でした。そもそも絵の著作権は絵師さんたちにあるし、僕が言及する資格なんてないのですけれど。
「消してほしい」という訳じゃない。残してくれるのなら、それ以上にありがたい話はない。
けれど、なんというか、もしも「ビコーズ」と関わった形跡全部消した方が楽ならば、そうして欲しいと思ったのです。
今後も作品は書いて投下するけれど、無理に読んでくださらなくて大丈夫です。僕にとって大事なのは世に出すことだから。
絵を描いてくれたこと、本当に、本当に嬉しかったです。
自分の作品が元になったとは思えないくらいに、どれも綺麗で、暖かくて、細やかで、時間を忘れるくらいに素敵な絵ばかりでした。
これ以上ないくらいに嬉しくて、幸せでした。
届かないだろうけれど、ずっと、お礼と謝罪を言いたかった。
描いていただき、本当にありがとうございました。
追記
紐解いた人がいた。おめでとうございます。
絶対分かんないだろうし気づかないだろうなと思ってたんですけど、凄いですね。
やっぱ世の中には意味わからんくらい鋭い人とか頭の良い人っているんだな。インターネットって広いや!
まぁこの前ヒント(にもなっていないもの)は出したんですけど、まだあれだけなのに辿り着いたってことは相当読み込んでくれたのかな。ただ作品を読んでくれるだけでも嬉しいのに、ニヤニヤしてしまいますね。出すだけで足るつもりだったけれど、やっぱり読んでくれるのは嬉しい。
というか、まず『言い残し』を見つけないといけないのって今振り返るとダメだと思うんですよね。いやもう宣伝するSNSないのに誰も気付かんやろって。
でも気付いて、見つけて読んで、そこで立ち止まらず深く潜って、今までのものも全部読んで、まだ四月には程遠いのに、紐解いた。まずどうやって気付いたんたろう。そもそも誰にも読まれないとすら思ってたのに。やっぱり凄い人というのはフィクションに留まらず現実にいる。法曹やめたって別にやっぱり面白いものは見れそうです。いいねぇ。
それ以上に、自分が書いた話をそこまで読んでくれたというのが嬉しいし、上がらずにいてくれるのも感謝してる。本当にありがとうございます。
あ、そうだ。
この追記を見つけた人へ。追記には意味も価値もないよ。
念のために言っておきますが、言い残しの内容自体は本音です。そこは飾らない。僕に石を投げたい人とか、切り捨てたい人、消したい人、否定したい人用でもある。きっとあの他にも沢山いる。というか多分もう顕在化してるかもしれない。その人たち用の薪や油という意味も価値も確かに在る。深読みは不要というのも事実です。
そっちは上手くいったかわからないし、確かめる術もないけれど。お好きなように。
まぁなんというか。
謎解きが好きな方か、お暇な方はどうぞ。
やっぱり創作はやるべきだと思いました。
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