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父の逝去とカートの死去から四半世紀、また知人の逝去について。

前回noteを更新したのがいつだったのか、、と言う程に間が空いています。音楽メモをちんたら更新する予定のアカウントですが、私情で色々と昨年末から多忙を極めておりました。

唐突ですが、天国にいるであろう作家の田渕さん、天国でもこのnoteを見ていますか?(と思いたいのです)

今回は3人の人物の死去についての私の覚書と言うか…まずこのnoteを始めた切っ掛けでもある"個人的偉大なるミュージシャン"のKurt Cobain氏の命日4/5がいよいよ迫り、今年は彼の死去からとうとう四半世紀経つ、と言うこのタイミングで、
偶然の私ごとですがつい最近私の父が亡くなってしまった事、そして折り重なる様にほぼ同時期に、長年私が世話になった人生での恩人と言うか親友的大先輩であった、ライター兼脚本家の田渕高志氏が急逝していた事についても思いを馳せる、と言う3人の男の死去や思い出についての個人的メモです。

まぁ、グランジ史において伝説的な存在であるKurt云々と、身内や知人の死去の時期が重なった点については単にほんの偶然ではありますが、それにしても、この春の時期にこうした事が重なってしまうんだなぁ....と、ただただ淋しい思いで今は、胸を詰まらせている毎日です。
一体何から話せばいいのか。。。

勿論、最も大きいのは直接的に私の人生に大きく関わっていた、親愛なる私の父の逝去。コレは大きく悲しく、とてもしんどい事でしたし、今後も、もう2度生前と同じには戻らず時計は進んでゆくのだ、と言う現実を受け止める為に、"私の人生は大きく変わったのだ"と••• バンビがぐらついた足でよろよろ自立するかの様に、自分にそう言い聞かせる恐怖と不安に覆われながらも、先は変化がある!人生とはこう言うものなのかな、と感じ尽くすようにしております(なんだか文章が堅いけど)

私の、個人的な「カート愛」についてグダグダと綴ったnoteに関しては、是非コチラもご覧ください。→ Kurt Cobainの命日にnoteを始める。

ココ最近1年半ほどは、以前ドップリとはまっていたBlack Music全般、特にHiphop関連に関しては完全に飽きてしまい(実際もう、今つまらない)、最近は改めて学生時代に聴いていたジャンルへと回帰しオルタナロックやらHR/HMなどを気ままに聴いている毎日です。(まぁそんな中でまた時折Hiphopを聴くと再発見があるのですが)
で、当時の90年代の面白さ、味わい深さって余りネットでは日本語でしっかりと伝えられてるコンテンツって見当たらないのですよね。。だから、私は「個人的にGrungeやオルタナロックについて、綴っておこう」と思った訳です(余り更新してませんがw)

そう考えると、あの90年代の大事件、カートの死去から何だかんだと25年!四半世紀も経ってしまっている事自体も、大きな節目という意味で、単純に純粋にビックリ、もうそんなに長時間経ってしまったのか〜と..。だから何という訳でもないんですが、しかしやっぱりこの節目は大きな時間の括りであり、そして何よりもビックリするのは、あの時は、それなりに大きな事件の様に映ったあの事象、カートの死が、25年経った今では「語り継がれる」というよりも、寧ろその影響はとても内向きで身内的な、「分かる人だけに分かれば良い」的な、最早Grungeの世に対する影響はすぼんでしまっている様に見えるので、個人的にはちょっぴり淋しいのです..

単純に言ってしまえば、「なんか皆、カートの事忘れちゃってない?」という様な気持ち^^;
だから、本noteはまだまだ内容は薄いのですが、日記形式であっても何か、記念として書き残しておかねば、とアタシは思うのです。Kurt Cobain、あの人の奇妙な、そして反抗的でエキセントリックな思想や行動、彼の持って生まれたゾワっとする様な作曲・演奏の才能..

下らない商業主義などブッ飛ばせ!とまぁ分かりやすく意訳すれば、その様な諸々の毒を吐いていた、おパンクな表現者だった訳です。余り多くの人がもうNirvanaについて語らない事も極めて淋しいのですが、見ていると90年代って商業的にも再ブームとして再度売り出すのにはちょっと難しいジャンルなのでしょうね。アタシとしては、多少安っぽく拡散されても良いから、かつての90'sってもうちょっと掘り起こされて再熱されても良いと思うんですよね。。

とまぁ、バラバラな文章になっていますがさて。そんな思いをnoteに書き殴ろうと思っていたこの春うららの時期に、私の大きな存在であった父も、以前から患っていた高血圧が原因の不調で急遽危篤となり、去る3月の26日の朝9時頃に倒れてから4時間ほどで午後1時頃には急逝したのでした....父へ思う言葉などを文字にする事ほど安っぽい行為はないと思うのであり、もうコレ以上は何かを書き記してもどうしようもない、と毎日思う日々ですが、ただ「この時期にそう言う事があった」と私は記しておきたい。パパ、淋しいのです。

そしてそして、本当にまとまらない日記なのですが、冒頭にも記した私の年上の友人、敬愛なる田渕高志さん。この方は知る人ぞ知る、と言ったコピーライター・劇作家・脚本家、と言うライター業をされていた、最高に素敵な(いやこんな安易な位言いしか思いつかないなんて..)兄貴、と言うのかまるで親戚のオジさん、と言うのか「偉大な、大好きな先輩」だったのですが、この方もまたこの時期、偶然にも私の父の逝去とほぼ時を同じくしてお亡くなりになっていたのでした。。
しかも、「私の父の逝去を1番に知らせる友人」と言う形で何度も連絡をしたのですが、いつも必ず反応のある彼から反応が何日もない!「もしや、取材などで『旅』に出た・・?」「でも、独居だしなぁ..しかもわざわざ携帯電話を置いて? もしや..もしや倒れたりしてないよね。。?」と不審に、心配に思っていた矢先、私の不安は的中してしまい、丁度、都内の大聖堂で父のパニヒダ(正教会のお通夜)が終わった深夜に、田渕氏の逝去をご子息様から直接返信を頂くと言うなんとも悲しい形で、知らされたのでした。。目眩がしました。

※お写真、お借りしています(リンク先参照)

田渕さん、貴方は、確か私と同じ魚座生まれでホワイトデーが誕生日だったよね?(間違ってたらゴメン、10日だったっけ..?) で、今年はアタシの誕生日に合わせて、春分の日に連絡を、朝からくれたんだよね。それなのに・・疲れているからってアタシは電話に出れなかった..ゴメン、田渕さん。私はとっても後悔しています..「後悔」と言う事に関してはもう、勿論自分の父に関しても「あの時ああしておけば良かった」のタラレバが連続で止まらず後悔の嵐なのですが。

そして、最後の電話をアタシにくれた後に去っていったであろうとの事、田渕さん..どうして、皆さん素敵な善い方は、ちょっと早めに亡くなっていくのでしょう・・・・涙

アタシの拙い美容ブログや適当なInstaなどを見て「お前はもっとどんどん好きな事をやったらイイんだよ!」「遠慮し過ぎだ!もっと自分を前面に出せ!自信を持てよ!」の様な激励を最近も頂いて、アタシは本当に本当に励まされてたんです。プロの物書きである田渕さんに、例え社交辞令やお世辞であっても「ブログ、note、インスタ、全部面白いよ」と気に入ってもらえたのも嬉しかった(まぁ年下のガキに優しくしてくれてるんだろうとしても、それでもね)。田渕さん、淋しいです。

さて、Kurt Cobainは何故死ななきゃならなかったのでしょう、、、?本当にリアルな自殺なの?と言う疑念すら持たずにそのままのニュースを受け入れてるなら、余りにも信じやすいタチだと言う物で、やっぱり不審死のままで未解決事件である、と言う客観的事実は見逃したくない、と言うのがアタシの思いです。この点が彼にまつわるエピソードとして暗い部分ですね。

彼は、娘が産まれてから「音楽を捨てる可能性があるとすれば、それは娘の為にならあり得る」と言う様な趣旨の言葉を残してるんですよね。

勿論ドラッグで前後不覚云々と言うのも分かるのですが、客観的証拠などを読み漁っていくと、彼の事件については様々な疑問が浮かび上がる訳ですが、まぁそこを今細かく色々言うと、また趣旨が変わってくるのでその点はまた別の日に綴るかも知れません、、、

自分にとっては他人の存在であるKurtではあるんだけど、公共(??)のミュージシャンとしてGrunge史に名を刻みながら去っていったKurtさん。。きっと、彼の身近にも、そして離れたところでも「Kurt、淋しいよ」と悲しむ人々は絶えない筈だと、

よきモノを波及させていける人に限り、何故こう早々と亡くなるのだ?と言う悲しみや嘆きがきっと今も止まずにひっそりと静かに、目立つ事なく出しゃばらず、前面に出る事はなく延々と、語り継がれていくのではないかな、と生前、決して人前で出しゃばる事なく気付けばいつもそこにいたけど気付けばまた静かに去っていた、、と言う私の父への弔辞と重ねながら本noteを〆たいと思います。

Daddy, I LOVE YOU - 7/3 1934 ~ 3/26 2019
Mr.Tabuchi, Missing you - Mar 1957 〜 Mar 2019
"We will always love you, Kurt" - 2/20 1967 〜 4/5 1994


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