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4/15 最終企画書

先生にはおばあちゃんへの手紙という形式を取るよりもダイレクトにバックオフィスに向けて書いた方が良い、とコメントをいただいたけれど、これがOriginalではありました。

タイトル:バックオフィスから組織を支える

著者プロフィール:331文字

コンパクトで明快な要旨:まだ基盤がしっかりしていない組織をバックオフィスから強くしていくために必要な知識を具体例を交えて伝える

読者ターゲット:NPOやベンチャーなどの、これから組織を拡充していきたい方々

企画のセールスポイント:元々営業で全く知識もなかったところから、ベンチャーの経理、監査人(監査法人の社員として様々な企業の監査にアサイン)、プロボノでのNPO会計サポートを経験した著者が考える、バックオフィスから組織を支えるための知識とポイントを伝える

目次: 

  • まえがき

  • ビジョン実現のためのバックオフィス

  • 組織の段階別に必要とされる会計知識

①コンプライアンス
②会計・税務個別論点
③管理会計(内部会計)
④財務会計(外部報告)

  • NPOの決算書の読み方(企業会計と比べて書籍が少ないため)

活動計算書
貸借対照表
注記
財産目録

  • NPOに関連する税制

  • 現状把握

  • 予算作成

  • インパクト評価 (補助金申請時に重視されるため)

  • 体制整備

業務プロセスと内部統制
ITインフラの調達と整備

  • コラム

  • 営業から経理へ

  • 会計ソフトの切り替え

  • 健康はバックオフィス


  • あとがき

まえがき

おばあちゃんへ

おばあちゃんが亡くなって5年が経ったね。お通夜の日に二人だけになったときに話したこと、棺に入れた手紙に書いたことは、当時のわたしの本当の気持ちではあったけれど、それから変化もあった。

おばあちゃんへの最大の後悔は、最後の2年に、作り話をしないといけなかったことだった。新卒で入った会社を辞めたことは、って言わないでおくから、となって、最後の2年間は、仕事に関する話はフェイクばかりだった。プライベートの話は本当だったけど、社会人にとっての仕事の比重はやっぱり大きくて、どうしても自分の本当に思ってることや、感情を話すとなるとにフェイクな事象では話せなかった。 

わたしが今、最も関心のあることは、 NPO やベンチャーなどの まだ基盤がしっかりしていない組織を、どのようにバックオフィスから拡充できるか、なの。本業ではないけれど、 NPOの会計サポートのプロボノをしたり、社内のCorporate Responsibilityに関する活動が好き。 その中で、経理をはじめとするバックオフィスがしっかりしていないばかりに、熱意があっても、拡大していけない組織が多いと知った。 簡単なことではないけれど、この現状を変えるために、30歳からの人生を使いたいと考えてる。営業をしているわたししか知らないおばあちゃんには、かなりの飛躍だと思う。 最後におばあちゃんに話したこと、棺に入れた手紙に書いたことの多くが、今とは全く違う。世界は全く違って見えるし、わたし自身も大きく変わったから。

おばあちゃんと、タイムリーに正直な話がしたかった。わたしが本当は何を経験して、何を感じているのか伝えたかった。だけどできなかった。だから、それをおばあちゃんに、今また伝えたい。

営業から経理へ

ベンチャーには営業として入社したけれど、入社半年後に会社が倒産しかかって、人員整理の影響で経理の仕事もすることになった。わたしが担当していた営業所を閉鎖することになって仕事が8割はなくなったのと、経理の女性が1人退社することが重なったという偶然の産物ではあった。当時は人生で最も嫌なことだったけれど、期末にキャッシュがなければ解散すると決まっていたし、自ら履歴書を汚したくなければ在籍するしかなかった。
社長は会社を存続させたい。取引先は使えそうな部門だけがほしい。銀行は融資を返済してほしい。社員は給与を支払ってほしい。誰の利害も一致していないように見えた。
出所不明の根拠がない噂が飛び交っていた。
カオスの中で思っていたことは父に言われた「家族を養わないといけない人もいるし、自分と違う状況の人たちがいるから。そういう人たちに迷惑をかけることはするな」だった。カオスの中では迷惑をかけずに粛々と働くしかなかった。

経理の仕事を始めると、すぐに会社の見え方が変わった。同じ会社で働いているのに、組織も、 人も、全て違って見えた。もはや同じ会社で働いているとは思えなかった。

ブランディングや広報で良く見せようとしてはいるけど、そのストーリーを支えられるほどの後ろ盾はなかった。

組織も人も、自分たちが演出したいように見せてくる。表に出ているファンタジーだけを見て、何かを判断することはできない。
経理に異動する前のわたしには、ファンタジーしか見えていなかった。数字から広がる世界から会社と人を見ると、ファンタジーもストーリーも消えてしまう。始めから監査人として会社を見ていれば、入社することはなかっただろうな、と思う。

23歳のわたしは組織と人に大いに冷めたけれど、経理の仕事を始めて半年ほどたった頃、会計ソフトを見ていると、数字が喋っているようだと思うようになった。それから経理の仕事が面白くなってきた。 
貸借も知らないところから始めた。簿記を勉強して、関連書籍も何冊も読んだ。マネージャーにはそんなの常識だ、とか、経理はA型でないと、とか言われていたから、教えてもらうことは期待していなかった。それでも営業と違いOJTの比率も低くて、自分で学ぶことができた。30年以上アナログに経理をやってきた人に教わるより、常に最新の情報から学ぼうとしたことが結果的に良かった。
異動が決まってから父に送ったメールに「本当にこの状況が嫌です。だけど、こうなったのは、わたしに、キャリアもスキルも、何もないからです。仕事して、勉強して、少しでも強く生きていけるようになりたいと思います。」 と書いた。
だけどもしあのままバックオフィスのことを何も知らずにいたらどうなっていただろうか、何の役にも立たない人になっていたのでは、とも考える。

バックオフィスに関心がない人の気持ちもよくわかる。多くの人がバックオフィスを回せるほどの知識を持つべきだとも思っていない。それでも、管理費を必要以上に切り詰めたり、経理の意見をないがしろにしても組織は拡充できないと多くの人に認識してほしい、とは考えている。

会計ソフトの切り替え

経理の仕事を始めて1年ほど経った頃、役員から会計ソフトの切り替えを打診された。この会計ソフトへの切り替えが、また経理に関する見方を変えることになった。
今から会計ソフトを決めたり、切り替えたりするならクラウドにするのが最善だと思う。前の会計ソフトは使い勝手もそれほど良くないのにコストがかかっていた。追加で営業をかけられて、そのコストに驚いた。クラウドの会計ソフトと2桁違った。

クラウドの会計ソフトは分析をするなら圧倒的に使いやすかった。会計ソフトに入力するパートさんの手間は少し増えるけれど、分類をより詳細にして、タグを付け、簡単にソートをかけられるようにした。まず分けてみると、見えてくるものがある。エクセルに移さなくても、会計ソフトの中でピボットして見ることもできた。ある営業所の2つの主力商材にタグづけをして採算を確認したら、印象と異なっていて驚いた。人が言っていることや自分が持っている印象なんて、分析するまで信じられないなと実感した。
アクセス権限さえあればどこでも確認できるから、その点が出張の多い営業部員にも好評だった。

切り替えのときは、趣味のように夜も休日も会計ソフトで作業しないといけなかった。残念ながらある程度の工数はかかるけれど、その後が圧倒的に楽になるからNPOやベンチャーの方にもクラウド会計ソフトをお勧めしたい。

健康はバックオフィス

25歳までは健康に関心がなかった。昔のバックオフィスに対する認識のようだった。

今の会社に入社して2か月半で13営業日休職した。それから休んだことはないけれど、産業医面談は3年間続いた。今振り返ると不調のオンパレードで、もぐらたたきのような毎日だった。

おばあちゃんが亡くなる前から既によく眠れなくなってた。夜目を閉じても脳が燃えているようで、炎がなかなかおさまらない。週末もやりたいことが多すぎて、3時間とかで目が覚めてた。

転職して環境が変わって、 エネルギーの自転車操業が倒れた感じだった。

耳鳴りがひどくて、いつも頭が痛くて、人から話しかけられるのも辛かった。音声が入ってくると、無理やり剥がしたかさぶたを叩かれてるみたいだった。これは普通の状態じゃないな、と思わざるを得なかった。

初めは 婦人科に行った。 ただホルモンの調子を整えればいいかな、ぐらいに思っていた。だけどそこで精神科に行くように勧められた。 集中できないと言ってるだけなのに、どうしてそうなるの?と、 心の中では抗議していた。

入社して1か月と少し経った1月に、初めて精神科に行った。そこでテストを受けて、脳が2、3割しか使えていないと言われた。診断書には うつ病と書かれていた。うつ病のイメージと違っていた。Selena Gomez、Demi Lovato、Cara Delevingneの話とも違うし、死にたいと思ってもいなかった。

精神科の先生に、今どんな気持ち? と聞かれた。「 安心しています。 いろんなことがわからないけれど、 自分ができていないことはよくわかるんです。 頑張ってるのに、結果が出せない。わたし、本当にイタいなと思っていました。 だけど、それは脳が使えていないからで、これは病気で、治すことができるなら、 この状況を変えられるということですよね?」と返した。先生はいろんな人の主観を毎日聴いているはずなのに、予想外のコメントが返ってきたかのような表情をして、少し黙っていた。

ベンチャーで働いている時は、最後まで徹底的に 摩耗した。いろんな人の利害の中で働いて、心身の健康を保つのは難しい。

心身の健康を損なって、計画も狂ったし、とても不本意な時間ではあった。ただ、全ての結果の責任は自分が負わないといけないと学んだ。 誰も治療にかかるお金を払ってはくれないし、 無駄になった時間も 1秒も戻ってこない。
 誰にBitchだと言われても、 彼らは1円も払ってくれないし、時間を分けてくれるわけでもない。 何も知らない人たちに、不本意なこともたくさん言われた。 だけど言わせておけばいいと思う。 ただBad Bitchでいればいいと思う。 Cardi BがI DoでラップしてるようにLook, broke hoes do what they can (Can) Good girls do what they told (Told) Bad bitches do what they want (They want) だから。できることをするしかないなんて悲しい。Good girlでいる必要はない。それは他人の都合に合わせた摩耗する生き方になってしまうから。誰にBitchだと言われても構わない。やりたいことをする人をBad Bitchと言うなら、わたしはBad Bitchでありたい。
Good Girl Gone Badで良いんだ。RihannaもHalftime ShowでGood Girl Gone Bad以降の曲ばかり歌っていたし、Good girl時代のことは、辞めていくのが自然なのかもしれない。

元同僚が 「また元気に働けるようになって良かった。休職しても、退社しても、良くならない人もいるから。」って言ってくれた。支えてくれた人たちに感謝してる。

わたしにできることがあるとしたら、経験を共有することぐらい。そもそも自分を壊すほど働く必要はない。プライド や 嫌われないことを自分自身よりも大事にする人たちがいる。だけどそれって本当に大事なことなの?
 
産業医も、マネジメントも、自分を守らないといけない。飲みたくない薬を飲んで、行きたくない病院に行った。産業医扱いになってしまったら、自分が治したいように治すのも難しくなる。だからそもそも一度も自分を壊さないことが大事だと思う。

初めて精神科に行った日、病院から出るときに頭の中に流れてきたのはCardi BのGet Up 10だった。Man, I said we gon' win Knock me down nine times but I get up ten Look myself in the mirror, I say we gon' win Knock me down nine times but I get up ten Look myself in the mirror, I say we gon' win Knock me down nine times but I get up ten Yeah, but I get up ten Knock me down nine times but I get up ten, bitch (Woo) 今が底だ、と思ったのも覚えてる。

健康はバックオフィスのようなもの。充分な経費を確保して、状況に合わせて更新していかないといけない。

あとがき

Be the change what you want to see in the worldって思って頑張るんだ、ってお通夜のときも言ったし、棺に入れた手紙にも書いたけれど、今は好きな言葉ではなくなった。今はYesterday I was clever, so I wanted to change the world. Today I am wise, so I am changing myself.が一番好き。何が世界にとって良いのかわからない。でも、自分が今できることの最善を尽くして人生最後の日まで、自分を変え続けたい。バックオフィスから組織を支えるのが、今のわたしが命を使いたいことだけど、これもいつか変わるかもしれない。
最後だと思って25歳のわたしはおばあちゃんの棺に手紙を入れた。だけど30歳の今、またおばあちゃんに手紙を書いている。
30歳になったら監査業務から卒業する、と転職活動をした25歳のときから決めていた。実際にそうすることが決まったの。この繫忙期が終わったら、新しい仕事を始める。
これからもわたしは変わり続けるから、35歳、40歳、と手紙を書いていきたい。そのときのわたしは大きな変化を経ていて、また別人になっている。
おばあちゃんがどう思っているかわかればいいのにな。おばあちゃんの最後の2年間、わたしは正直に話せなかった。 だけどこの企画を通して、 今までの人生で最もおばあちゃんにも 自分自身にも正直になった気がする。
 前のわたしは自分には価値がないと思っていた。誰かになりたかった。だけど今、そんなことはどうでもいいと思う。わたしは存在しないと思ってる。 自分のことをそんなに考える必要もない。自分をどう使うか。 毎日自分を変え続けて、「木を植えた人」みたいに生きたい。 
いつもありがとう。これからもおばあちゃんに手紙を書いていくから、その時も読んでね。


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