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2/11 提出 エッセイ

おばあちゃんへ 

おばあちゃんが亡くなって5年が経ったね。お通夜の日に二人だけになったときに話したこと、棺に入れた手紙に書いたことは、当時のわたしの本当の気持ちではあったけれど、それから変化もあった。それをおばあちゃんに、今また伝えたい。

おばあちゃんに対しては、後悔が大きくて、やっぱり辛かった。おばあちゃんが亡くなった頃、SZAのCtrlをよく聴いてた。だから、過去5年間、当時の気持ちを思い出すのが怖くて、アルバムを聴けなかった。2010年代のベストアルバムに選ばれたときも、半年前にデラックス版が出た時も、2017年から収録されている曲は聴けなかった。

22年12月に5年半ぶりに、SZAの新しいアルバムが出たの。今なら聴けるかもしれないと思って、久しぶりにCtrlを聴いて、自分の変化を感じた。SZAもわたしも、もうMs. 20 Somethingではないしね。時間が経って、歳も重ねて、少しは後悔も受け入れられるようになった気がする。

おばあちゃんへの最大の後悔は、最後の2年に、作り話をしないといけなかったことだった。新卒で入った会社を辞めたことは、って言わないでおくから、となって、最後の2年間は、仕事に関する話はフェイクばかりだった。プライベートの話は本当だったけど、社会人にとっての仕事の比重はやっぱり大きくて、どうしても自分の本当に思ってることや、感情を話すとなるとにフェイクな事象では話せなかった。 

わたしが今、最も関心のあることは、 NPO やベンチャーなどの まだ基盤がしっかりしていない組織を、どのようにバックオフィスから拡充できるか、なの。本業ではないけれど、 NPOの会計サポートのプロボノをしたり、社内のCorporate Responsibilityに関する活動が好き。 その中で、経理をはじめとするバックオフィスがしっかりしていないばかりに、熱意があっても、拡大していけない組織が多いと知った。 簡単なことではないけれど、この現状を変えるために、30歳からの人生を使いたいと考えてる。営業をしているわたししか知らないおばあちゃんには、かなりの飛躍だと思う。 最後におばあちゃんに話したこと、棺に入れた手紙に書いたことの多くが、今とは全く違う。わたしのこの5年間の変化を聴いてくれる?

前の会社で経理の仕事をすることになったのは偶然だった。営業として入社したけれど、入社半年後に、会社が倒産しかかって、人員整理の影響で経理の仕事もすることになった。当時のわたしには23年の人生で最も嫌なことだった。 

本当に嫌で、役員にやりたくないって言うと「分かってると思うけど、そんな状況じゃないんだよ。どうしたいかなんて、どうでもいいんだよ。」って返された。

当時のわたしは、きっと、9月末の解散が実現するだろうと思ってた。ただ、たった3か月でもやりたくなくて、キャリアがあって、次の会社に転職した人たちが羨ましかった。

それからすぐの 父の日にメールしたことをそれから2年半、毎日思うことになった。「本当にこの状況が嫌です。だけど、こうなったのは、わたしに、キャリアもスキルも、何もないからです。仕事して、勉強して、少しでも強く生きていけるようになりたいと思います。」 

それでも仕事だから、簿記の勉強を始めた。商業高校を卒業して、ずっと経理の仕事をしてきた当時の師匠に、 何でも教わろうと思った。

経理の仕事を始めると、すぐに会社の見え方が変わった。同じ会社で働いているのに、組織も、 人も、全て違って見えた。もはや同じ会社で働いているとは思えなかった。

2か月後のお父さんへのメールに「経理の仕事を始めたことは、今までの人生で、最も大きくわたしの世界の認識を変えました。大学生になったことよりも、留学したことよりも、社会人になったことよりも劇的です。将来自分の人生を振り返った時も、これは大きな転換点になると思います。」って書いたの。 23歳の時に既にそう思ってたし、30歳になった今も、当時を上回る経験はないな。

会社は結局倒産せず、2年半経理の仕事をすることになった。経理の仕事を始めて半年ほどたった頃、会計ソフトを見ていると、数字が喋っているようだと思うようになった。 

会社が倒産しかけたのも、ただの人災だと思うようになった。

このバックオフィスの立場の弱さが、危機を招いただけなのでは?軽視されているけれど、 極めて重要な仕事なのではないか?、と思うようになった。

それからは、より働いて、より勉強した。書籍も何冊も読んだ。ビジネス系の雑誌も、管理部門や会計に関する特集があれば、必ずと言っていいほど目を通してた。経理に役に立つことがあれば、何でもやる、というかんじだった。

経理の仕事を始めて1年ほどたった頃、会計ソフトを切り替えた。今振り返っても最も大変な仕事で、週末もよく費やしたし、他の経理メンバーからの抵抗も酷かった。だけど、経営分析をするには良いソフトで、わたしの管理会計に対する考え方を変えた。何の役に立つかわからなくても、タグを付けてみると良いと学んだ。分類してみると見えてくるものがあるから。

経理の最後の一年は、当時55歳だったマネージャーが退社してしまったから、全てをやることになった。わたしが経営陣だったら他人にあそこまで経理を丸投げしない。恐ろしいほどの裁量だった。貸借も分からなかったところから、1年半で年商11億円の会社の経理を全て見ることになった。それもあって、経理は簡単な仕事なんだと認識する人達もいた。

特に最後の一年は、会計ソフトが変わったこともあって、業務フローも大幅に変更した。 管理費を圧縮することをひたすら考えてた。経理の人数も、5人から3人になった。それでも、繁忙期でも立て込むことがなくなった。

そしてこの間に経理に関してだけでなく、組織についても多くを学んだ。

会社が倒産しかけた時は、取引先や、銀行や、 エンゲージメントの低い社員の言動を見る機会に恵まれた。組織や他者に関する 冷めた見方を得た。自分が強くないと生きていけないと思った。行動経済学とかマネジメントの本も読んで、なぜこうなったのか?とあらゆるカオスを理解しようとした。

最後の1年間は経理をまとめる立場にいたから多くの社員の 考えを聞く機会があった。わたしに言っても、1円も給与は上がらないのに、なぜかわたしに自分が思う事を言ってくるの。社長や役員の本音を聞く機会もよくあった。採用面接で、この応募者は市場では強くないだろうな、と思ったりもした。 それでわたしが思ったことは、客観的に働かないといけない、ということだった。

自分を過大評価して、不満なことがあれば自分以外の何かのせいにする。短期的には自分を守れるかもしれないけれど、中長期的に見れば、害しかない。30歳、40歳になった時に、彼らのようにはなりたくないと、よく思ってた。客観的に 客観的に客観的にもっともっともっともっともっと努力しないと、と不安と恐怖に駆られて働いて、勉強する毎日だった。

経理の仕事も始めて、2年ほど経った頃、3、4年に一回しか来ない税務調査が終わった。これで、前の会社で経験できる仕事は、すべて経験することになった。

そんなとき、転職エージェントに、成長したいんだったら、監査法人がおすすめと言われたの。他の会社は受けていないけれど、運よく、今の会社に採用してもらった。

今の会社で働き始めて4年を超えた。成長の速度は遅かったと思う。走り続けたいと思ってたんだけどね。入社してすぐに産業医扱いになってしまったから。

おばあちゃんが亡くなる前から既によく眠れなくなってた。夜目を閉じても脳が燃えているようで、炎がなかなかおさまらない。週末もやりたいことが多すぎて、3時間とかで目が覚めてた。

それに、今の会社への転職が決まってから退社日までの3か月間は人生最大と言ってよいほど心身ともに摩耗した。恐ろしく無効化された内部統制と、フェイクな財務諸表と、インスタントに非合理的な主観を言ってくる会社の人たちと。様々なものに大いに削られた。じゃあさっさと辞めな?ってわたしが悪いと言われるんだろうけど、給与振込の方法とか、共有必須のことはあるでしょ。後任への引き継ぎも全く上手くいかなかった。何を取るかなんだよね。自分と、お世話になった人たちと、大事だと思われるもののバランスを取るのが難しい。何でそんなことしないといけないの?明日から全部自分でやって、って経営陣に投げつけられる人はそんなにいないんじゃないかな。

だから、今の会社は関係ないのに申し訳ないな、と思った。社長が現場のマネージャーに、体調が悪い社員を採用したことでキレてたのを思い出した。 ずっと、黒字の人材でいたいと頑張ってきたのに、いきなり大幅な赤字だなと思った。 

あの頃は毎日手から砂がこぼれ落ちていくようで、耳鳴りも酷かった。眠れないとか、そんなレベルじゃない。わたし、普通じゃない、と思わざるを得なかった。

それで、入社して2か月半で13営業日休職した。それが社会人になってから最長の休みだった。それからは休んだことはないけど、産業医面談は3年間続いたし、ゆるく、ぽこぽこ、あらゆる不調が出てきては抑える、ってかんじだった。もぐら叩きのような毎日だった。始めの2年ほどは負債を返済するような気持ちで働いてた。わたしは赤字だから、と多くを飲み込んだ。

入社したばかりでそんな状態だったけど、入社半年の時点で繁忙期を2回経験して、 監査の仕事だけをしてこの組織で働くことはできないな、と思った。監査は勉強にはなるけれど、やりたいことではないから。そんな時、今所属しているプロボノネットワークのイベントがあった。大幅な赤字社員だったから、少し迷ったけど、運営メンバーへの参加を決めて、3年半ほど活動してきた。

 社会に良いことをしたい、と考える社員が一歩踏み出すきっかけになる機会を提供するのが目的なの。 NPO などの組織をサポートすることが普通のことになって、きっかけを提供するための組織が社内に必要でなくなったら、わたしたちの役割も終わりだと考えてる。すぐには来ない未来かもしれないけど、 普通のことになればいいな、と思ってる。

プロボノネットワークのメンバーになってからは、やりたいことだけしかやらない、と言われないように働いてきた、とも言える。

ネットワークの活動とか、プロボノでよく感じるけど、NPOとか、小さな会社が会計のことを把握していないのはよくあること。代表の方でも補助金を除いた損益を把握していなかったり、会計ソフトの入力方法からやり直しが必要だったり、もったいないことがよくある。

だけど、そうなってしまう気持ちはわかる。わたしも全く興味がなかったから。それでも、わたしでも、始めてすぐに重要性に気づいた。だから、ここが変われば、多くのもったいないことが変わるとも思ってる。

詳しく勉強する必要はないはず。会社に必要な最低限の知識があれば良いし、会計ソフトも進化してるから、分析に便利なソフトに切り替えれば良い。エクセルで随時反映させないといけないのは効率が良くないから、自動でアップデートしてくれるシステムが良いな。

財務諸表を見るための知識があっても、資金繰りができるかはまた別の問題になってしまうけど、会計ソフトの機能を活用すれば多くの人が対応できるはず。わたしが資金繰りで最も難しいと思っていたのは海外取引を考慮しないといけない点だった。国内だけなら経由銀行の影響も受けないし、難易度は下がるだろうな、と思ってた。

PLをいじりたいとき以外にも経理と関わって、そこから未来を考えれば良いと思う。見たいように都合よく歪めた財務諸表は喋ってくれない。もしくは対等な関係のバックオフィス担当者と会社を大きくしている経営者もいるから彼らのような方法を取るか、かな。

あとはお金と利益に関する考え方も問題なのかも。NPOの場合は利益を生むためにできそうなアドバイスを聞き入れなくても、助成金には頼っていたりする。助成金も元をたどれば金銭的に余裕がない人のお金だった場合も大いにあるはずだけど、それは良いのかな?

それに、NPOに寄付をする側も、寄付の使途を制限したりして運営側の負担を増やしてることもある。まるでNPOは熱意と善意だけをエネルギーとして管理費なしで運営できるかのように。ストーリーが想像しやすくて多くの人の共感を呼べることにはお金が集まりやすいけれど、管理費に使うためのお金を集めるのは難しい。

自分自身がバックオフィスに全く興味がなかったら、そうなってしまうのはわかるけれど。だけど、それでは組織を拡充するのが難しいの。この問題のためにできることをしたい。

おばあちゃんが、どういう風に思っているのか、分かればいいのにな。おばあちゃんも、わたしに、言いたいことが言える機会があれば良かったよね。ひいおばあちゃんは、亡くなる2年ほど前、確か98歳ぐらいの時に、わたしを甘やかしすぎたことを後悔していると言ってた。二人だけの時に言われたの。おばあちゃんも、客観的に見て高齢になっていれば、わたしへの後悔を、言ってくれたかもしれないね。最後まで説教のようなことも言わなかった。最後に話したのは、1月2日で、わたしが福岡にいたときによくお客さんやお世話になった方々へ持って行っていたお菓子を食べてくれた。「よくお客さんとかお世話になった方に持って行ってたお菓子なの。家のすぐ近くにあるお店でね」という話をした。それが仕事に関する唯一のファクトだった。美味しいわ、って言って食べてくれたよね。兄弟2人の未来も楽しみで、「17年間の闘病生活で初めて生きていたい、と思うわ」って言ってたね。だからその次の日に倒れて、 もう二度と話せなくなるとは思ってもいなかった。

Be the change what you want to see in the worldって思って頑張るんだ、ってお通夜のときも言ったし、棺に入れた手紙にも書いたけど、今は別にこの言葉は好きじゃなくなった。高校生のときからだから、長いこと好きな言葉だったんだけど。3年前頃からYesterday I was clever, so I wanted to change the world. Today I am wise, so I am changing myself.に変わったの。何が世界にとって良いのかわからない。でも、自分が今できることの最善を尽くして人生最後の日まで、自分を変え続けたい。

バックオフィスから組織を支えるのが、今のわたしが命を使いたいことだけど、これもいつか変わるのかもね。

I was a big believer in empowering women for a long time. 小学生から社会人1年目までずっとそうだった。だけど、今はそこまで関心がない。というか、ジェンダーを2つに分けるのは今の時代に合っていないとも言える。少女が力をつければ世界は変えられる、ってガールスカウトで教わった。それは将来母親になって、子育てをする可能性が高いから。それも、少しずつだけど、変わりそう。

それでも、もし、女の子のエンパワーメントに関心がなかったら、日本がこの分野で遅れをとっていなかったら、英語で学べるようになろうとはきっとしなかった。ノルウェーの本を読んで、留学することにもきっとならなかった。

仕事のために英語を勉強しよう、と思ったことはなかった。だけど、英語ができなかったら今までのキャリアはなかった。

だからこの経理についての経験がどこかに繋がるんだろうな、と思う。何年か後には、経理とか、会計とか、そんなに関心がない、とか言ってるのかも。

わたしの人生の長期目標は、エゴをなくすこと。

中期目標は、小さな他者ではなく大きな他者のために生きること。

短期目標は簡潔に言語化しようとしてるところ。いまいちしっくりくる表現が思いつかないの。

バックオフィスは上手くいってて当たり前だし、目立たないから、エゴを捨てて大きな他者を考えて働くにはいいかな、と思ってる。

おばあちゃんがどう思ってるのか、わからない。でも、わたしを守ってくれてるよね。元チームメイトが母国に帰る前に「また元気に働けるようになって良かった。休職しても、退社しても、良くならない人もいるから。」って言ってくれた。それをコーチに伝えると、そうだよ、わたしは「持ってる」って言ってくれた。カウンセラーは「レジリエンスがある」って言ってくれた。それもおばあちゃんたちが守ってくれてるからだよね。

いつもありがとう。また、きっとアップデートがあるから、そのときも聴いてね。


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