だってアミにはどうすることもできないやん。〜テテようやくパリへ〜
防弾会食を見た。
通常運転だと思った。
いつもとなんら変わりない防弾少年団。
防弾会食が世に出た後、「アミの期待が大き過ぎたのだからアミも省みるべし」みたいな意見をちらほら見たが、私の意見は、
「いや、アミにはどうすることもできないよ」
だった。
だって、これは私がバンタンを好きになって一番初めに感じた違和感で、「あ、そういうものなんだね」と納得した上で推していたので、今回の彼らの姿は自分の中では彼らのイメージと何もかけ離れてはいなかった。
最初に感じた違和感、バンタンのドキュメンタリー映画を見た時だったか。休む間もなくライブ、ライブ、ライブなコンサートツアー。世界中を目まぐるしく周るバンタンの姿が、「これでもか!」というほど忙しく描かれていた。
そして、体調崩したり、辛そうだったりという、「こんなに大変なんです」というのが伝わるドキュメンタリー。見終わった後に、何故かアミの私は罪悪感。「アミのためにこんなに働かせてゴメンなさい…」と。帰り道とぼとぼ。でも、いや、待てよ?スケジュール組んだのは会社やん。アミはどうしようもないよ。アミだって必死にいつもその鬼スケジュールについて行ってるんだよ?なんで見た人がこんな気分にならなきゃいけないんや…アミにはどうすることもできないやん。
が、最初に感じた違和感だった。
テテは2018年のパリ公演で、声が思うように出なくなっちゃって、泣いてしまった。親友ジミンが抱きしめてくれた。でもテテが、大好きな映画のロケ地を廻れて良かったよ、と思った。
この涙を必要以上に美談にする必要もないと思ったし、もちろんここで、アミが「私たちのために苦労して」と罪悪感を感じる必要もないと思っていた。だってアミにはどうすることもできないもの。どうかすることが出来たとしたら、会社のスケジューリング力しか無いと思っていた。
その後、テテはとても後悔して、次の2019年にパリに来た時はホテルにこもり、加湿器たいてお酒も一回も飲まず、自己管理を徹底していた。偉いな、と思ったし、こうやって大人になっていく姿を見られてなんて自分は幸せなんだろうと思った。
そんな、一歩一歩大人になっていく姿を見て、彼らは全然完璧じゃないよ、っていうその愛しさを持って追っていたから、今回の会食で、泣いて「辛い」と言う彼らは私の中では驚きでは無かった。
テテがようやく今、パリに旅立てるらしい。
また映画のロケ地を廻るのかな。廻らなくても、2019年に出来なかった事がたくさん出来たらいいね、と思った。
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