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テテの人生列車その後

2020年、Dynamiteをリリースする年の春、
世の中はコロナ自粛期間に入った頃、

ARMYの皆さんに素敵なものをお見せしたい、と言って『BE』の制作をめちゃくちゃ頑張っていた。その頃はきっと、会えない辛い期間はいつか終わる、という「耐え忍ぶ気持ち」の目処めどが立っていたのだろう。しかしその後、待てど暮せど終わりは見えず。オフラインコンサートがいつ再開されるか分からない、そしてARMY不在で延々とこなす収録の日々。それでもお金はまわる、世界は動く。

色々考えたと思う。
これからのこと、自分の人生の幸せのこと。
その後くらいから、テテの中で何かが変わったように見えた。大好きだったweverseにもVLIVEにもあまり顔を出さなくなった。2021年9月のNightlineインタビューでは「ARMYの皆さんと本当に目を合わせてから1年半、2年が経ちました。直接見ていないので、皆さんは本当に存在するのかな?と考えるんです」という言葉も口をついて出た。

10/31 note「テテの人生列車」より

以前、10月31日。アミに再会する約1ヶ月前、テテの瞳が宙を浮いているような感じがした時に書いた「テテの人生列車」。テテがどの駅に停まっても、キムテヒョンという類まれな感性を持ち合わせた美しい人をずっと追いかけていたいという気持ちで書いた。しかし、その時期に、私の心に垢がこびりついていたのは確かだった。



そして2年ぶりにアミに会った後。
テテは言った。

「アミの皆さんと一緒にコンサートをして、この2年間そのままにしてあった汗、垢を洗い流してくれました。」と。
私も同じだった。
テテのその言葉で私の心の垢も綺麗にごっそり落ちていることに気が付いた。同じ気分だった。テテが戻ってきた。大好きだったテテが。泣いた。アミを見たテテも泣いていた。


「今残っているアミがいるかなと悩みを持った」


「(久しぶりにアミに会って)アミにたくさん愛されていると感じた。僕の人生の中で本当に一番大きな幸せでした。」


知っていたではないか、テテは身を切るような寂しがり屋で夜な夜なweverseでアミに頼っていたときのこと。アミに会って、自分が愛されているのか確認しなければならない、と語っていたときのこと。
アミからはバンタンはずっと見えていた。でも彼らからアミを見ることは出来なかった。2年間。アミとの関係をビジネス的なものにしたくないと語るテテには色々難しかっただろう。「weverseを見ると、アミはサイボーグじゃない、アンドロイドじゃなかったと思えた」と話したことの重さから、その喪失感を想像するのは容易たやすいことだった。

私も同じだった。落ち込んだ時。イライラした時。テテの何色にもなる感性にいつも頼っていた。今日はこの色。だいたいが青く透明で透き通っていた。それがなんだか、私もテテのその色を掴みにくくなって来ていた時期があった。テテがVLIVEでアミをうまくつかめていないような瞳をしていた時期だ。しかし、その謎も解けた。「ARMYの皆さんを直接見ていないので、本当に存在するのかな?と考えます」と自問自答するようになってしまっていたのだ。(2021年9月GMAインタビューより)。

会えなくなったことでアミの存在を探し始めたテテから、テテがどれだけアミを人肌の距離感で、生身の人間として思ってきてくれていたかを思い知った瞬間だった。

初日のライブが終わり、アミに2年ぶりに会った後にホテルの部屋からVLIVEをしたテテの、真っ直ぐの柔らかくなった瞳、カメラのレンズの向こうにいるアミを真っ直ぐと迷いなく見つめた瞳は、アミとテテがさらにしっかりと繋がったことを確信するのに十分だった。

テテに「おかえり」と言わずにはいられなかった。





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