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✳︎この記事は個人の感想です。
✳︎ソロ活動を発表した防弾会食の1週間前に書いた記事です。重なる内容があり驚きました。そこから、7/18に追記をしました。
たくさん葛藤して来た7人が素晴らしい未来を歩めますように。



見てもらう人がいないと成り立たない職業の人というのは、この約2年間、本当に辛かっただろう。
ましてや、人生初の職業がそういうものとして10代から訓練されて来たのならば、自分の価値を他人の目線や歓声の中にずっと委ねて来たとしたのならば。コロナ禍で環境が変わったことを期に、自分の存在価値についての恐ろしい疑問に正面から向き合わなければならなかったかもしれない。
ライブが中止になり、自分を映す鏡(ファンの反応)が彼らの手元からひとつ、消えた。

コロナ禍で発表した最初のアルバム『BE』での、たくさんの丸い鏡の中にいるテテが印象的だった。

私たちファンはいつも変わらず彼らのそばに居たつもりだったが、バンバンコン2020で見たあのメンバー達の悲しみの表情やメントには、まるで鏡を失ってしまっているかのような憂い帯びた空気がただよっていた。


そうなのだ。
特別なことをしない限り、彼らからアミは見えない。
ライブがない限り。
そんな当たり前の事をこの時にまざまざと思い知った。

私たちはというと、コンテンツで彼らに会える。ライブには滅多に当選しないため、実際には会えないものとして常に思っている分、実は彼らよりもダメージが少なかったのかもしれない。この時、彼らはアミに片思いをし、アミもずっと彼らに片思い。お互いに片思いをしていた。

その後、ライブを重ねるごとに、メンバーのメントは「現状を受け入れた決心」が感じられるものに変わって行った。(あえて麻痺させているようにも思えた。)

コロナ禍で、この鏡(アミ)が永遠にそこにいるわけでは無い現実をまざまざと突きつけられ、アミのいない世界でまたいちから自分の幸福を作り直さなければならない時、それは価値観の再構築として色々な経験をする時間が必要であり、そう考えると、アミのいない2年間を過ごしたバンタンは、もう2年前のバンタンではない。そこはきちんと受け止めなければならない。彼らは乗り越えざるを得なかった大きな壁を越えて、「自分自身」を引き連れて戻って来たのだ。
きっとこれから7人はバンタンとしての新しい第二幕を踏み出す貴重な瞬間に入り、ファンとしてそこに居合わせられるのはとてもありがたく思う。メンバーそれぞれ、今度はどんな新しい鏡を手にし、そこにどんな自分を映していくのだろう。


「僕はアミたちと会える日が来るのならば、夜通しでソウルから釜山まで歩いて行けると思います。僕はアミたちがいないと生きられないようです。weverseでアミたちと話したり、ダイナマイトの準備でアミたちと遊んだ瞬間だけは、幸せだったんです。」

テテ 2020.10.11 BTS MAP OF THE SOUL ON:E

「いま残っているアミがいるのかなと、正直そんな悩みを持っていました。(ライブ会場のアミを前にして)こんなにたくさん愛して下さってありがとうございます。」

テテ 2021.12.02 PTD LAコン


MAP OF THE SOUL ON:EからPTD LAコンまで約一年の間に、残っているアミが居るか不安になってしまっていたテテ。残るどころか、こんなにたくさんのファンがいるのに。それほどまでに不安だったのか。
私はくやしい、私たちは変わっていないのに。

彼は一人で勝手に不安になった。
私たちはいつでも居るのに。

しかし、「アミに会う事で《愛されている》と確認している」と話していたテテだから、その不安が湧き起こったのは当然の成り行きだったのかもしれない。

テテの「愛されたい」という強い思い、他人との繋がりを強く望むテテの性質は、そのままテテの妖艶さへと繋がるので彼の最大の魅力だが、果たしてその思いは彼に十分な安らぎをもたらしてくれているのだろうか?なぜなら、人と会うことは大好きでも、「休みがあるなら家で静かにしていたい」とも望む彼だからである。テテが写真家Vanteに変わるとき、賑やかな写真は撮らない。彼の中の彼は、静かな風景を好み、ゆったりとした音楽に包まれる。

「愛されたい」という思いと、「そんな思いを脱ぎ捨てて、静かな風や景色のように穏やかでいたい」という2つの思いが常に交差しているテテの内側。
コロナ禍前は「静かな風のように穏やかでいたいテテ」が、彼のペルソナの中で優勢に働いているように見えていた。コロナ禍で先が見えなくなり彼の中のアミを失い時間ばかり経つうちに、それはテテの中の「リセットして価値観を再構築する」という強いペルソナの後ろに隠れるようになったように感じた。

ウィルスが彼らを自立させた。
これは彼らの人生にとっては遅かれ早かれ起こることで、アミから貰っていた自己肯定感を、自ら創り上げなければならない時期が、ウィルスという魔法で、突然やって来てしまったのだ。

突然無くなった自己肯定の方法、ちょうど少年から青年に成長する思春期でもがき苦しむように、自分を再構築するためにわざと今までの自分の道を否定してみるように。

そうやって生まれ変わらなければならない。でも愛しているのだ。その愛を大切にするために、一旦家を出て、外の世界で、1人で一度やってみなければならない。一人立ちした後に、優しい気持ちでお土産を持って生まれ故郷へ戻るように、BTSという家にそれぞれ帰るために、彼らは一度家を出なければならなかった。

そしてアミは、彼らが旅に出るときも鞄に入れている彼らのお守りだ。
彼らが不安になった時にしがみついて握りしめて来るだろう。

そして、新しい彼らを好きになった人も、
それをアミと言うのだった。
アミはアミだった、
鞄の中にいつもあったのだ。
と彼らが気付いた時、彼らの中に大きななにかが生まれるのだと思う。


私たちはお互い一生片思い。
ドキドキしながら、こうやって、少しずつ肩を並べて歩んでいければいい。








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