中国で上野千鶴子がブームになった文脈


現在の中国は超格差社会なうえに超男性余り社会である。中国では男性の数が女性より3500万人上回っており、人類史に例をみない超絶男性過多社会となった。

こうした成人男性過多の影響は多岐に及ぶ。それは孤独(配偶者を得られない)の蔓延を超えて、その不均衡は労働市場を歪め、貯蓄率を押し上げて消費を押し下げ、更に暴力犯罪や人身売買や売春の増加を引き起こしている。それは客観的数字でも推し量ることが出来、例えば富の不平等さを表すジニ係数…高いほど不平等…は2019年時点で0.46である。ジニ係数は0.4超えた辺りから内乱が勃発するラインであり、今の中国の格差問題はそのレベルの話なのだ。端的に言えば、今の中国は世紀末である。

1方で女性は大事にされる。…というより女性は姫化する。中国で流行ってる「绿茶婊」という言葉がその象徴だ。少し中国語に詳しい方なら「婊」の文字を見てギョッとしたことだろう。この「婊」は日本語で言えば…え~とnoteに書いて大丈夫だろうか?…ビ×チや膜なしバカマ×コ辺りと同等のニュアンスだ。とにかくそんな文字が使われる绿茶婊は大体以下のような意味で流行ってる。

筆者雑要約「绿茶婊は2013年に起きた女性モデルの性的不祥事に端を発するインターネットミームで、外見は緑茶のように綺麗だし上品に思えるが心根は堕落しきっており、拝金主義なうえに生活はだらしなく貞操観念もなく、如何にも素顔ですみたいな顔をして化粧や美容整形をし、無害を装って男性に近づき搾取する女性を指す」https://baike.baidu.com/item/%E7%BB%BF%E8%8C%B6%E5%A9%8A/609587

そして中国も例によって「女性は幾ら高学歴高所得になっても男性を養わない」問題を抱えている。中国人男性にとって高学歴(ニアイコール高所得)女性は「こちらに益をよこさず搾取してくる格差社会の絶望の象徴」なのだ。

中国に蔓延する男性の孤独と格差とその上に成り立つ果実を貪る高学歴女性…そのような社会状況の中、突如その動画は投稿された。

2019年に行われた東京大学での上野千鶴子の祝辞の動画だ。この動画は中国のSNSで広く拡散されて熱狂的なミームを巻き起こした。上記動画1つとっても100万回再生、外国の入学式の様子がこんなに再生されるなど前代未聞のことだろう。そしてこの動画で最も人気あるコメントは

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」
(所以,请你们不要把所有的努力都用于追逐个人的胜利,你们被优越的环境所塑造出来的能力,不是为了凌驾于没有享受过同等资源的人们之上,而应该把这些能力用来帮助他们)

であり、これがバズッた理由の全てである。そう上野千鶴子は東京大学生、別けても女子ににノブリスオブリージュを説いてると思われたのだ。

しかし文章で読めば分かるが、上野千鶴子がこの時に想定している恵まれない人々は「医大志望の女学生」「東京大学志望の女子浪人生」「学歴厨に怯える東大女子」「インカレサークルに入れない東大女子」である。要は徹頭徹尾「高学歴女性は恵まれない!差別されてる!」と訴えてるのだ。それ自体の正否は別として、上野千鶴子はそれ以外の恵まれない人々…例えば低学歴者や低所得者には1切触れていない。

ところで上野千鶴子の祝辞を初めて聞いて、彼女が徹頭徹尾高学歴女性の話しかしてない事に気付いた方はいるのだろうか?私は恥ずかしながら全く気付けず、中国人と同じく東大に入れるような恵まれた人間に低所得者とか低学歴者に対する思いやりを持てと言ってるように感じていた。

ともかくそのように受容された上野千鶴子は中国でフィーバーした。彼女の翻訳書は何れもベストセラーになり、特に鈴木涼美さんとの共著である「往復書簡 限界から始まる」は若い高学歴女性の「私は男性社会の犠牲者で弱者だったんだ!女性差別許すまじ!」と共感を得て、中国最大の書評サイト豆瓣でブック・オブ・ザ・イヤーに選ばれるほどである。

この「上野千鶴子は高学歴にノブリスオブリージュを説いてるとして受容された」にも関わらず「高学歴女性に"私こそが恵まれない弱者だ"という形で流行ってる」という捻じれ現象を象徴するのが、微博で行われた北京大学出身の超高学歴インフルエンサーとして著名な全嘻嘻さんとの対談コラボ動画騒動だ。

この対談コラボ動画は約300万回も再生され、上野千鶴子ブームが如何に拡大してるか?を象徴したが、公開後からネット上で激しく批判を浴びた。批判も含めて関連する書き込みは累計6億回も閲読され、1時は微博のトレンド欄を占有するほどの超炎上である。この批判を受けた全嘻嘻さん1週間ほどで自身のアカウントから動画を削除した。(のでここには載せないがネットには消すと増える法則があり…)

批判内容は大きく2つ。1つは全嘻嘻さんが上野千鶴子にした「なんで結婚しないのですか?男性へのトラウマがあるのでしょうか?それとも家庭環境の影響ですか?」という質問に対するデリカシーのなさ。2つ目は「こいつら徹頭徹尾高学歴高所得女性が如何に快適に生きるか?しか話してねぇ」というものである。2つ目は言うまでもなく上野千鶴子は高学歴女性にノブリスオブリージュを説く事を期待し裏切られた男性達中心の批判だ。

高学歴者へのノブリス・オブリージュを説き、自分たちの境遇に理解を示してくれると受容され、高学歴女性に「私達こそが恵まれない弱者だったんだ」という形で流行ってる上野千鶴子…この捻じれ現象こそが今の中国を象徴する格差社会の縮図なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?