女性は何故感情的なのか?

「女性は男性に比して感情的である」と言うと、恐らく「それは男性側の思い込みだ。客観的根拠はない」と思う方も多いだろう。また私のことが少し詳しい人間は「貴方がメンヘラ女性とばかりお会いしてるからそう思うだけでは?」と疑問を抱かれることだろう。

しかしながらポリティカル・コレクトネスによって大っぴらには語られないが、科学の世界では「女性の方が感情的である」ことを示唆する研究は山ほどあり、殆ど結論は出ている状態だ。ここでは分かりやすく、そして具体的な行為として計測可能な「泣く」という感情にフォーカスをあてた研究を幾つか紹介していきたい。

2000年に行われた大人の泣き声に関する研究レビューは全て「女性は男性より泣いている」という証拠を示した。研究では当初「成人が泣く性差は文化圏の違いが大きいのでは?」と予測されていたが、すべての文化圏及び国では程度の差はあるものの「女性の方が男性に比して泣く」と結論されたのだ。

これに関してジェンダーに関心のある方は「男性に比して女性の方が辛い思いをしてるからだ」と思われるかもしれない。しかし「男性に比して女性の方が辛い思いをしてる」という前提の正否は別として、女性の泣き行動はジェンダー平等だけでは説明出来ないことが示唆されている。例えば欧米において1991年はアニタ・ヒル事件により第3波フェミニズムが勃発し、ジェンダー平等や性別の役割が大きく変化した年代だ。しかしながら1981年と1996年と15年間隔で行われた性別と泣き声の関係の調査においても成人の泣き声の性差は持続してる事が判明した。研究では「民族性も社会経済的地位も性別の役割変更も泣き声の性差にあまり影響してない」とまとめられている。

また37か国の37か国の男性2497人と女性3,218人を対象とした調査では「大人の泣き声の性差は1貫して文化の違いよりも性別の違いの方が大きい」と結論した。また同研究においてはジェンダー平等な国ほど女性が泣き声をあげる傾向も示唆されている

更にそもそも論になってしまうが、女性が男性に比して感情的なことは解剖学の段階で証明されている。具体的には女性は涙管が男性に比して大きい。この涙管が大きいといった特徴はネオテニーの特徴の典型的特徴でもある。人間は猿と比して頭でっかちで毛がない生物であるが、これは赤子の特徴とも一致しており「人間は猿のネオテニー」…要は人間は幼児のまま成熟を迎える生物だと言われている。そして「泣く」というのは脳科学的には「ケアの必要性を示して保護者のケアの減少または撤回のリスクを減らす赤子の必要性に根差した行動」とされている。要は「泣く」という行為は本質的には「自分をケアして」という幼い営為であるということだ。

実際に女性が「自分をケアして」という文脈で泣くことは頻繁に報告されている。例えば英国とイスラエルで行われた調査では「人間は1人でいる時より他の人といる時の方が泣く可能性が高い」「よく知らない人間と1緒の時に泣く可能性は最も低い」ことが明らかになった。この傾向は「泣くという行為はケアの要求」という補助線を引けばすんなり納得出来るだろう。また女性は男性に比して他者から批判を受けた際に泣く可能性が高いことも判明した。この辺りはインターネットの炎上見学が趣味な諸賢には言わずとも知っていることだろう。

また人間がどのように対人操作をするのか?の研究では、女性はパートナーの男性を操作する為に頻繁に泣くことが示された。こう書くと「それってメンヘラやんけ!」と思われるかもしれないが、これはメンヘラに限らない1般傾向であり換言すれば「メンヘラは女性性の極端な表現型に過ぎず女性は1般傾向としてメンヘラ性が潜在されている」ということだ。 (選択項目"He or she whines until I do it", t(90) = 2.82, p < .006, d ≈ 0.6)

ここまで読んで「そうは言ってもケアとか必要としてないのに涙が出る時はあるやん」と思う方もいるだろう。しかし、それは「怒る」と「怒って手が出る」の間に壁があることで説明可能だ。人間は怒った時に手を出してしまう時があるだろう。その時の状況は「殴ろうと思って殴った」と「殴ろうとは思わなかったのに殴ってしまった」の2通りの状況がある。泣くというのも同様に「相手を感情的に殴る為に泣こうと思って泣いた」と「泣きたくないけど涙がでた」という2つの状況や両者が入り混じったグラディエーションがあるということだ。(因みに子供に対して泣き喚くことは物理的に殴るのと同じくらい脳に悪影響を与えることが確認されており、泣き喚くは比喩でもなんでもなく「拳で殴る」と同様の暴力である)

次に「では具体的に女性は男性に比してどのくらい感情的なのか?」について語ろうと思う。米国でジャーナリストのAnne・Kreamerは「職場の感情的トラブル」に関する二つの調査を実施したところ、泣く&感情トラブルを起こすのは主に45歳未満の女性であることが明らかになった。また1年で女性の41%が職場で泣く事が判明し、男性は9%が泣くことが示されている。単純計算すれば女性は男性に比して4.5倍泣きやすいということだ。(因みにリンク先の本は管理職用の部下の感情マネジメント術としての方法論としても非常に役に立つので、そういう立場の方には是非手に取ってもらいたい)

更に泣き方自体にも性差があることが示唆されている。ドイツの眼科学会の報告によれば男女とも13歳までは泣き行動に性差はあまりないが、それ以降は性差が開いていき、また泣く時間も男性は2~4分間泣くのに対し女性は6分間涙を流し、男性は6%がすすり泣きに移行するのに対し女性は65%がすすり泣きに移行することが示唆された。端的に言えば「女性の泣き声は男性に比してデカかくて長くて劇的だ」ということだ。(原文Weibliches Weinen wirkt länger, dramatischer und herzzerreißender)

また上記の研究で「13歳までは泣き行動の性差は乏しい」と示唆されたが、実際に児童の泣き行動に焦点をあてた研究では「11歳前から泣き行動に性差は見られるが、女性は12~13歳頃で泣き行動に変化がなくなり、1方で男性は16歳まで泣き行動が減り続ける」という結果がでた。尚、この研究は11~16歳の児童を対象としたものであり、上記の各研究で男性の泣き行動がほぼゼロまで近づくことを踏まえるに、男児は16歳以降も経時的に泣き行動が減少し続けると考えられる。

以上の理由から私は「女性は客観的根拠に基づいても男性と比して感情的である」と結論する。また女性が感情的な理由については以下の2点に集約されるだろう。

・女性は男性に比してネオテニーの特徴を強く持っており、また感情的成熟が12~13歳ぐらいで止まる。(女性の泣き行動が12~13歳前後で減少しなくなり、また泣き行動自体も男性に比して所謂ギャン泣きの特徴がみられる)

・女性の感情的言動は対人操作の1つであり、それが通用するのならば止める理由がない(ジェンダー平等に近づくほど泣くようになる理由)

繰り返すが上記2つの理由は「制御しようと思ったものの泣いてしまった」現象がある事と矛盾しない。

また大前提となるが感情的/理性的だから偉いという事実はないし、感情も理性もどちらも大事なものである。感情を訴える人間に対して「感情論だからw」で切り捨てることは論外であるし、人間である以上感情が大切なのは当たり前だ。また感情の反対は論理ではなく理性である。極端な話、論理で女性を1方的に詰める男性は相手を殴る武器が違うだけで、やってることは女性のギャン泣きと変わらない感情垂れ流しだ。

また理性で持って感情を無視し、或いは全部抑え込むのも健全な態度と言い難い。感情と理性にはこのような両輪があることを理解したうえで、互いにベストなバランスを追求していくべきだ…と結論して記事を終わる事とする。

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