ルッキズムが生まれる背景とその隠された役割

私は男女論で常々思う事がある。それは「恋愛において男性より女性の方がセックスに拘ってないか?」ということだ。例えば男性なら「この女性はセクシーではないけど付き合いたい」というケースは多々観測出来るが、女性の方で「この男性はセクシーではないけど付き合いたい」となるケースは皆無である。またTwitterで日々観測される婚活女性の嘆きもその大半が「私をときめかせてくれるようなセクシーな男性がいない」と要約出来るようなものばかりだ。

こういうと少し男女論に詳しい方は厚生労働省の出生基本動向を基に「男性の方が女性より容姿を重視する傾向にあるのでは?」と疑問に思うことだろう。

確かに調査を見る限りでは男性の方が女性の容姿を重視する傾向が示唆されている。しかし肝心なのは「この調査はアンケートである」ということだ。人間は自分の判断を客観的に内省することが不可能な生物である。オタクがどう考えても姫やってる女性を「あの子は姫とかそんなんじゃない!」と言い張ってる現象が分かりやすいが、客観的には明らかに「貴方はそこに惹かれてるでしょ?」としか見えないものでも、本人は主観的には「私はそこを目当てにしているわけではない」と認知しているケースは珍しくもない。またこれに関してそのものズバリな研究もある。

ノースウェスタン大学の研究者は「異性が恋愛において何を重視するか?」調べるべく、最初に「貴方はロマンチックなパートナーに何を望むか?」とアンケートをとり、その上で2時間のスピードデートイベントを実施した。その後、もう1度会いたい人を選ばせ、追跡調査で実際に恋愛関係を開始したか?及び恋愛関係に発展する予測因子として肉体的魅力、富、性格の相関関係を分析した。すると以下のような事が判明したのだ。

「貴方はロマンチックなパートナーに何を求めるか?」
・男性のアンケート結果:性格>ルックス>金
・女性のアンケート結果:性格>金>ルックス
・実際の要因:ルックス>性格>金

要するに男女どちらも容姿を1番重視しているが、女性は男性よりそれを主観的に内省出来ない傾向があるということだ。https://faculty.wcas.northwestern.edu/eli-finkel/documents/EastwickFinkel2008_JPSP.pdf

またもっと直接的に短期間の交際において女性は男性よりも外見を重視する傾向を示唆する研究もある。

ノルウェーで19~30歳の大学生が異性との最近の出会いについてどのように感じたか、そしてそれがロマンチックな関係に繋がるか調べた研究では、女性は男性と比して外見的に魅力的である異性とばかり寝る傾向が示唆された1方、男性は女性よりセックス出来ず又相手を選ばない傾向が示唆された。というよりこんな研究を出すまでもなく、灰色の大学生活を送られた皆様においては「男性は相手を選べないし外見にもそんなに拘らないが、女性はイケメンに複股されにいく」が身に染みていることだろう。

https://doi.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2Febs0000162

また「男性は相手を選べないし外見にもそんなに拘らないが、女性はイケメンに複股されにいく」という傾向により、男女のルッキズムにおいては「外見的に魅力的でない男性はパートナーを見つける可能性を減らすが、女性は無問題ラ」という非対称性が生じる。

スペインにおいて11056人を対象とした研究では、男性の肉体的魅力がパートナーを見つける、大学の学位を持つパートナーを見つける、またはより高い教育レベルのパートナーを見つける男性の能力に大きな影響を及ぼしたことを多くのパラメーターと分析で発見された。しかし全ての研究分野で女性の肉体的魅力に基づく大きな影響は見られなかった。平たく言えば、女性の肉体的魅力はパートナーを見つける予測因子ではなく、性愛において殆ど役割を果たさないのである。

http://www.reis.cis.es/REIS/PDF/REIS_159_07_ENGLISH1499424514902.pdf

これに関しては種々の研究で「男性は女性の若さを見ている」と結論が出ている。要は女性は美人か不細工か?に関わらず若いうちは皆モテるが、加齢に伴い美人か不細工か?に関わらず皆モテなくなっていくということだ。

つまり実は恋愛において外見を要求されるのは女性より男性であるということだ。またこれは恋愛に限らないことが示唆されており、経済学者ダニエル・S・ハマーメッシュの研究では美人は不細工より12%多く年収を得る傾向にあり、イケメンは不細工より17%多く年収が得る傾向にあることが示唆された。つまりルッキズムによる格差は所得面でも恋愛面でも男性の方が大きい。しかし、これは「でも女性の方が男性より熱心に美容やってない?女性の美容市場と男性の美容市場の規模は比べる間でもないし」という直感に反する結論だろう。事実、最近はメンズメイクなるものが定着しつつあるが、それでも男性向け美容市場規模は女性のそれに遠く及ばない。具体的には株式会社インテージの調査によれば2020年におけるメンズメイクの市場規模は373億円だが、レディズメイクの市場規模は9315億円だ。男性より女性の方が美容に金掛けてるのは疑いようのない事実である。

しかしながら「美容に金かけても人間はそんな変わらない」という話もある。ダニエル・S・ハマーメッシュが上海で行った研究によれば外見的魅力を5段階で評価し、美容に全く金を使わない女性が平均額使うようになったらどうなるか?を調べたところ、評点は3.31点から3.36点にしか上がらないことが判明した。また平均の5倍金をかけても評価は3.56点にしか上がらなかった。また韓国の美容整形手術のデータは「美容整形してもそんなに魅力は変わらない」ことを示唆している。要するに美容に課金するのは滅茶苦茶コスパが悪いうえに、いくら課金しても効果はたかだ知れてるということだ。実際Twitterでたまによく流れてくる「整形してこんなに変わった!」みたいな女性を見ても、男性目線では大体「元から可愛くね?」「う~ん」となるパターンが大半だろう。

そうした前提を踏まえるに男性は美容に課金しないのは「合理的選択」なのだろう。何故なら不細工が美容に課金したところでコスパが悪く、そして効果もたかが知れており、自身のハピネスに寄与する可能性が乏しい。ならばその金を使って確実に自身のハピネスに寄与するものに課金した方が遥かに賢い選択である。換言すれば、オタクが美容に全く課金しないのは極めて合理的で賢い選択なのだ。またこういうと「それでも多少はやったほうがいい。やるだけで周囲の目は変わる」と思う方はいるかもしれないが、その人は良い悪いは別に幸福な人間だろう。極端な例であるが、私は作業所に通う障害者が坊主+スーツという清潔感はともかく清潔な格好をしても結構な頻度で暴行被害にあうことを知っているので安易な肯定は出来ない。

むしろここで疑問になるのは「女性の肉体的魅力は恋愛に寄与しない」「美容に課金はコスパが悪いし効果もあまりない」にも関わらず、女性が熱心に美容するのは何故か?である。もっと言えば、女性のルッキズムは経済的合理性からも異性関係からも来ないなら、何処に由来するのか?だ。

これはTwitter等を見れば1目瞭然であるが、不細工女性に1番厳しいのは女性である。まず単純な事実として女性は男性より外見に関する話をする。

友情とゴシップの関係を調べるカナダの研究では、男性はよく話す相手ほど友情を覚えることが示唆されたが、女性は男性と比して容貌に関する話をしまくるのに別に相手に友情を覚えることはないことが示唆された。平たく言えば男性に比して女性は容姿のゴシップを話したがるが、それは男性と違って友情を築くための営為ではないということだ。

では女性は何の為に容姿の話をするか?については、実は社会心理学においてはとっくに結論が出ている。それは「性的ライバルを牽制・排除・カルテルを構築する為」だ。女性がゴシップを通じて他の女性の評判を操作して攻撃を加えることは「女性の間接的な社会戦略」と呼ばれている。雑に言えば「女性は"私が嫌い"等と直接的に言明せず、噂話を通じて他の女性を操作しようとする」ということだ。

『”友達に聞いてもみんな同じ意見”、”気負いすぎちゃっててちょっと”、”予選突破を考えたら替えるのも手かなあ”』ラブライブスーパースター10話より。他人の意見を伝えることで遠回しにセンター交代を訴えてる場面

種々の研究により「女性は同性のライバルの社会的情報を戦略的に伝達する」「女性は魅力的/軽薄/挑発的な服装の女性の評判を積極的に傷つける」「競争力のある女性をほど他の女性に評判を傷付ける情報を送信しまくる」、そして「女性は他の女性を評判を傷付ける際に彼女を嫌っていると明示はしない」ことが示唆されている。要は女性は他の女性に対して「ブスが!調子のるな!」と遠回しに伝えて、相手を操作しようとするというのである。つまり「綺麗になれば良い男性と巡り合える」「不細工な女性は男性から忌避される」等は実態を指しているものではなく、全て「ブスが!調子のるな!」の言い換えなのだ。

またこの観点から言えば、女性社会において「不細工=悪」という価値観があることが分かる。基本的に女性同士の争いは「如何に被害者ポジションをとれるか?」に終始するので、当然に同情を惹きやすい方…より若い方、同世代なら美人の方が勝利を収める。なので女性社会がルッキズムに染まるのは当然のことであると言えるだろう。更に言えば、女性社会において不細工は悪なので悪と定義された存在は客観的容姿がどうであれ不細工に分類される。所謂「整形認定」などはその典型だ。

このように女性社会におけるルッキズムの役割を俯瞰すると、Twitterでたまによくバズる「御洒落は男性の為でなく自分の為」「女性はこんなに美容に金をかけてるのだから男性は奢れ」という言説は、矛盾ではなく「私は美容に金をかけて高貴な身分になった。従って高貴な身分の私がそれに相応しい待遇を得られないのはおかしい」という意識の裏表であることが分かるだろう。要は貴族なのに貴族として扱われないことに嘆いているのだ。しかし、それは女性社会のルールであって男性社会のルールではない。

良い悪いは別にして、男性は女性の外見ではなく若さを見てるし、もっと言えば「可能性」を見ており、女性が発する外見に関するゴシップは友情ではなくライバルを操作しようとする営為である。自らの容姿に悩む女性は、まずはこれらの事実を踏まえたうえで生存戦略を練って欲しい。女性社会の言葉を額面通りに受け取っても不幸になるだけである。

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