男女の脳や発達に違いはあるのか?

「男女の脳や発達は性差がない」というのは事実か否か?は別として現代先進国の主要な教義となっており、それに異を唱えるものは如何なる人間であれ異教徒として断罪を受けるようになっている。

1例をあげると2005年に全米経済研究所の会議で当時のハーバード大学学長であったローレンス・サマーズは「理系の高位な研究者は男性が多いじゃん?これはまず男性は女性と違ってよく働きよく学ぶことが原因だよね。次に本質的な違いとして男女の脳に性差はやっぱあるんだと思う。だって理系への関心や能力は男性の方が明らかに強いし、IQとかでも広い分布が見られるじゃん」と発言した。当然このような主張は圧倒的に否が多数の賛否両論を呼び、サマーズはハバード大学学長の不信任案を出され可決された。この間、僅か2ヶ月の出来事である。現代社会においては如何なる社会的地位を有する人間ですら表の場ないし公の場において、男女の脳や発達の性差を論じることは出来ないのだ。

しかしサマーズ自身が述べているように彼の発言には根拠がある。例えば内閣府男女共同参画局の資料によれば、米国において大学生の男女比は大体4:6=女性が多いが、卒業生における女性の割合は理学が40%(女性卒業生全体の25%)、工学が20%(女性全体の12%)と散々な結果だ。



https://www.gender.go.jp/research/kenkyu/pdf/riko_comp_02.pdf

更に高位の研究者が少ないという指摘を裏付けるのがノーベル賞の女性受賞歴だ。ノーベル賞受賞者のうち女性は5%であり、しかも化学賞は4%で物理学賞は2%であるが、なんと文学に関しては14%を記録する。wikipediaの女性のノーベル賞受賞者にズラッと並ぶ文学と平和の文字を見よ!

これに関して恐らく「女性は構造的差別により人文学をやらされている」と反論する方もいるのだろうが、それは次の2点から明確に否定される。「女性はそもそも男性と比して進路に関して性別を理由として制約や推奨を受けない」「女性は性差別がなくなり自由になるほど理系に進まなくなる現象が確認されていること」だ。

内閣府男女共同参画局より『「多様な選択を可能にする学びに関する調査」によると,親や家族から,勉強や進路,将来のことについて,性別を理由に制約を受けたり,推奨されたことがある割合は,勉強及び進学,職業選択のいずれも男性の方が高くなっている。特に勉強は男女差が大きく,かつ若年層で男女差が広がっている。年代別に見ると,女性は若くなるほど言われた割合が低くなっているが,男性は20代が32.8%と言われた割合が最も高くなっており,女性と異なる傾向を示している(I-特-19図)。

また青少年の科学、数学、読書の成績に関する国際データベース ( N = 472,242) を分析した結果、国家的な男女平等が進むにつれて学力や理系学位の取得の程度における性差が増加したことが示された。以下の図は横軸が理系(科学・技術・工学・数学)の学位を持った女性が全体を占める割合で、縦軸が男女間の不均衡を示す世界男女格差指数を示すものであるが、男女平等先進国のフィンランド等の北欧国家で理系女子の割合が少なくなる1方で、逆に男女格差の大きいアルジェリアなどは理系女子の割合が高くなっている。これに関して研究者は「男女不平等な国だと女性は食いつながなくてはいけないので実用的な学問に進むが、男女平等な国だと女性は食いっぱぐれる心配がないので好きな分野に進む」と結論した。要は男女不平等だから理系に行かないのではなく、男女平等だから興味がない理系に行かなくなるのだ。良い悪いは別にして日本の芸大・美大の男女比が著しく女性に偏る理由もコレで説明出来ると思われる。

https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797617741719

以上のデータから理系に関する志向や適性はある程度の男女差はあると考えるほうが自然だろう。そしてIQの男女差についてよく持ち出されるのが以下の図である。

橘玲「もっと言ってはいけない」

上の図は橘玲氏の著書「もっと言ってはいけない」から引用されたものであり、Xでは度々「女性のIQは平均に近く収束するが男性のIQは広く分散する」の説明として持ち出されるやつである。しかしながらこの図にはある政治的意図が含まれていることが明らかになっている。それはIQテストは半世紀以上に渡って「男女の脳に性差はない」という信念から逆算され調整され続けてきたという事実だ。その調整を除いたものは以下のようになる。

始まりはColom & Lynn (2004) が行ったIQの性差に関する40のデータセット調査である。そこで研究者は女性の平均IQは男性よりも約4ポイント低く、この差は実際に男女間の知能の実際の違いに関連している可能性が高いことを発見した。

https://www.researchgate.net/publication/240174486_Testing_the_developmental_theory_of_sex_differences_in_intelligence_on_12-18_year_olds

その研究を踏まえnyborgはIQテストにおいて2つの欺瞞があることを発見した。1つは「女性は男性に比してある時期までは発達が早い」事と、「主に少年/男性が1般的に優れている認知能力の領域にあまり焦点を当てないことにより性差を曖昧にするように修正されている」ことである。

女性は男性に比べて1時期までは早く発達する…これに関しては研究論文とか出さなくても分かるだろう。例えば第2次性徴は女性の方が数年早く起きるが、これはそのまま「高校生ぐらいまで女子は男子より精神年齢が数年上」と換言することが出来る。また小中のうちは女子の方がよく勉強出来る現象もそうだ。要するに女子は早く成長し早く頭打ちになる。

また女性は口頭推論やエピソード記憶が男性に比して得意である(要は口が上手い)が、IQテストは半世紀以上そういった領域により加点を続けていた。IQテストは「女子の方が早く発達する」「認知能力の領域別点数操作」の2つを用いて女性のスコアを上方修正し続けてきたのである。

https://journals.sagepub.com/doi/10.1111/j.1467-8721.2008.00547.x

この2つの事実を指摘したnyborgはキャンセルされそうになった。具体的には全く別の研究でデンマーク科学不正委員会により科学的違法行為を犯したと判決された。全く別の研究の不正を指摘することがキャンセルになるのか?と疑問に思う方もいるだろうが、「××はこんな研究不正をやっていた。だから彼の研究は全て信用するに値しない」という早まった1般化はキャンセル手段としては王道であり、またXのレスバなんかでも非常に有効だ。余談だが筆者がモテと暴力性の指摘をする度に「でも××は暴力性高いけどモテてませんよね?つまり暴力性はモテ属性じゃない!」と主張する人間が必ず1定数現れる。ともかくそんなnyborgは裁判をやってキャンセルに対抗し無実を証明した。

https://retractionwatch.com/2016/03/30/denmark-court-clears-controversial-psychologist-of-misconduct-charges/

こうした研究結果を踏まえてLynnはノベール賞の性差について「高い能力における男女間のIQ差だけに還元できない可能性が高い」と指摘した。性別役割の変化や進学率の上昇等で研究分野における女性の参加者が増えてるにも関わらず、女性がノーベル賞みたいな賞をとる可能性が高まらない原因或るいは男性のイノーベション率のより高い原因となっているのは、上記(IQの性差)だけではなくステータスへの意欲や性格の違いである可能性も高いことを指摘した。最高レベルの女性の知的成果が増加していないことは、通常は女性がこれらの分野で活躍する事を妨げる何らの社会構造や態度に起因すると考えられ、東工大の女性枠に代表されるアファーマティブ・アクションはこの前提に基づいているが、そもそもが間違っているのでは?と。

実際にIQや理系志向だけではなく性格や嗜好においてですら「男女平等になるほど性差が大きくなる」ことが示唆されている。例えばリーダーシップについて所謂フェミニスト政策(feminist policies)を行う国家ほど指導的立場につく女性が少ない傾向がみられ、例えば男女平等超先進国である北欧諸国においてジェンダー基準がより平等な国ほど上級管理職の女性の割合が高くない傾向にある事が指摘されている。具体的には男女平等後進国とされる東欧および中央ヨーロッパの民間企業の取締役および最高経営責任者の32%は女性であるが、男女平等超先進国と名高い北欧諸国では13%である。

https://nordicparadox.se/%26usg=ALkJrhi-16igk93AUzy8xBhduH_MtUD_6A

更に女性が金持ち男性を志向するのは長らく「自身が低所得であるがゆえに配偶者に所得を求めざるを得ない」と説明されてきたが、各種の研究や統計では「女性は高所得・高学歴であっても高所得・高学歴の男性を志向する」ことが指摘されている。例えば米国において年間95000ドル(1425万円/1ドル=150円)以上稼いでいる女性の71%は「自分のロマンチックなパートナーには安定した高収入が必要」と信じている事が示唆されている。尚、その所得階層で同じ事をいった男性は14%。

https://www.researchgate.net/publication/282931592_Mating_markets_and_bargaining_hands_Mate_preferences_for_attractiveness_and_resources_in_two_national_US_studies

更に更に直接的な研究として進化心理学者のデビッドシュミットが様々な異なる文化における性差に関する調査をレビューしたところ、性格、セクシュアリティ、態度、感情、行動、認知能力など、ほとんどの心理的特性の性差は平等な性的役割の社会化とより大きな社会政治的ジェンダーの平等を伴う文化で顕著に大きくなる傾向が確認された。また身長、肥満、血圧など、多くの身体的特徴の性差ですら平等主義的性役割の社会化とより大きな社会政治的ジェンダー平等の文化ではより大きくなる傾向があったという。

https://www.researchgate.net/publication/289724723_The_Evolution_of_Culturally-Variable_Sex_Differences_Men_and_Women_Are_Not_Always_Different_but_When_They_AreIt_Appears_Not_to_Result_from_Patriarchy_or_Sex_Role_Socialization

要するに女性は自由で恵まれるようになればなるほど男性と違う生き物になっていく。これは男女平等社会では環境要因よりも遺伝要因の差が強く表れてくる…とも換言可能だ。皮肉にも男女平等社会になるほど、女性は旧来言われていた「女性らしい女性像…よく泣きリーダシーップを回避し弱者を嫌い強者に巻かれようとする」に近づき男女の性差はあらゆる面で大きくなっていくのである。

これに対して、それでも「いや女性がよく泣きリーダシーップを回避し弱者を嫌い強者に巻かれようとするのは、やはり構造的差別の問題であり、女性は男性に比して辛く苦しい境遇に置かれてるが故にそうならざるを得ないのだ」と異議を申し立てたくなる方はいるだろう。そういう人間は最早何を言っても認めないと思うが、直接的な研究例を出すと例えば女性の泣き行動はジェンダー平等だけでは説明出来ないことが示唆された。欧米において1991年はアニタ・ヒル事件により第3波フェミニズムが勃発し、ジェンダー平等や性別の役割が大きく変化した年代だ。しかしながら1981年と1996年と15年間隔で行われた性別と泣き声の関係の調査においても成人の泣き声の性差は持続してる事が判明した。研究では「民族性も社会経済的地位も性別の役割変更も泣き声の性差にあまり影響してない」とまとめられている。

また37か国の男性2497人と女性3,218人を対象とした調査では「大人の泣き声の性差は1貫して文化の違いよりも性別の違いの方が大きい」と結論した。また同研究においてはジェンダー平等な国ほど女性が泣き声をあげる傾向も示唆されている。

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/02699930143000149

知能、性格、志向…これらの男女差は1体ナニを表しているのか?男性と女性の本質的な違いは何か?について、過去に研究者はある可能性にたどり着いた…というより人類が神話や慣習として長らく語り、今日では1笑にふされるような悪しき旧説や偏見とされてきたことが実は正しかったんじゃね?と思い始めた。それは要するに

女性はそもそも人間なのか?

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