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沖縄があなたの素晴らしい住まいとなりますように

こんにちは。
はじめまして。
私は柳川と言う沖縄に来て31年になるおばさんです。
昔のコザ、沖縄市に住んでいます。

今、沖縄移住計画を立てる方々が非常に多いとお聞きします。
お若い方も、老後を沖縄で過ごそうと考える方も。
で、ほとんどの方は実行にまでは至らないんですけれど、そのうち何割かの方が実際に沖縄に移り住み、あとはもう各人の体質ですね。
沖縄独特の移住者への冷酷さに挫けて帰って行ってしまう方、逆にパーソナルスペースの狭さを不快に思わず馴染んで溶け込んで何十年も住み続け、骨も埋める覚悟だったりするくらいハマる方。

私はすべて成り行きでやって来たので、沖縄市で諸見に生まれ諸見で果てる夫と知り合い子どもをもうけ、子育てが終わったら親の介護に実家にでも帰ろうかなとか考えていたんです。
お墓はもちろん実家のお墓に入ります。
死んでまで沖縄のあのバカでかい何十人も入っていそうなお墓で、「ねーさん、どこの人ねー?」って聞かれるのはまっぴらだからです。

沖縄のお墓って変わった形をしているでしょう。
前庭のある小さなおうちみたいな。
余談ですけれどこれが極彩色にペイントされたのが台湾のお墓で、やっぱり沖縄は、って言うよりも琉球王国は中国と非常に親交が深かったと思われます。
ジャーナリストの櫻井よしこさんなんかが、髪を逆立てて「キーッ!」となって発狂しそうですが、事実です。

ちいさなおうちの前庭みたいのは4月頃「清明祭(シーミー)」と言う、やはり中国伝来の行事があり、お墓に親戚一同集まってご馳走を食べる習慣があるからです。
宮古島にはシーミーの習慣はなく、うちのルーツは宮古でシーミーをやらないラッキーな家に私は嫁いだので、これでも一応長男嫁なんですけれどね、私は気楽な立場なんです。

だからなるべく、沖縄の行事ごとにはつかず離れずで31年間やって来ましたが、それはそれで時は流れ、先日亡くなったオジィ、オバァの三十三回忌を済ませることができました。
これは法事の締めくくりと言うことで、今後は、集まってアレコレしなくていいんです。

なんか、こんなことをいきなり書いてしまって、沖縄移住計画段階の方には「なんのことやら???」状態かも知れませんけれど、住んでみればすぐに分かります。
もう、沖縄の移住生活はほとんど行事ごととの戦いと言っても過言ではないからです。

次回は私自身の移住体験も、もう少し書いて行きたいと思います。
ご覧いただけたらありがたいです。

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