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ムチャ振りの絹代ちゃん、「非常線の女」
どうも小津安二郎と言う監督は、田中絹代という大女優を上手に生かせていなかったのではないかと思うんです。
戦後の「宗像姉妹」、さらに遡って、小津が復員した戦後第1作目の「風の中の牝鶏」、さらに戦前の「非常線の女」まで来たら、日本中の紅涙を絞った清純派女優としてのトップスター、田中絹代を女ギャングのボス役にしちゃうんですから、もうハチャメチャ。
小津と言えばローポジ撮影で有名なんですけれど、戦前の小津作品はハリウッド映画の影響を強く受けていて、もちろん当時はまだ日本ではカラーフィルムでの撮影が一般的ではありませんでしたから、モノクロ撮影の光と影をそれは良く計算した、オシャレな構図の作品をたくさん撮っているんです。
戦前のこの時期の小津の日記で見た映画の記録が残っているんですけれど、そのほとんどがハリウッド映画です。
だからそこからインスパイアされた「小津ノワール」と言ったジャンルが彼の頭の中では確立していたんでしょう。
実際、ちょっと古い例えですがブルゾンちえみが男性ふたりを引き連れていたように、拳闘のジムに通う屈強なギャングの男ふたりを従えて、田中絹代は後ろの方で突っ立ちニラミを効かせているだけのシーンが多かったように思います。
だからそんなお飾りみたいな役でしたら、当時だってヴァムプ(毒婦)女優と呼ばれるスター女優がたくさんいたので、そこからピッキングしてキャスティングしたら良かったと思うんですけれど、なぜ小津は田中絹代にこだわった?
戦後、恋仲と言われた溝口健二監督に「田中の頭ではできません」と言われて田中絹代が激怒したと言う、日本初の女流映画監督に挑戦してみた時のように(それも3作くらい撮ってます)、「絹代ちゃんのお顔ではギャングの女ボスは無理よ」って誰か止めてあげられなかったものか。
それとも田中絹代ご本人が持ち前の気の強さで、自身に対する世間のイメージを打ち砕きたかったのかこの作品も、風の中の牝鶏もそうなんですけれど、「彼女らしくない役」に挑戦して墓穴を掘っています。
ミゾケンはもちろん、成瀬巳喜男の作品に出ている時の方が印象いいんですけれどね。
宗像姉妹で姉妹役を演じた高峰秀子と母子役を演じた成瀬の「放浪記」の方がよほど良かったですよ。
小津君、はい、イエローカード。
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