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再生という概念の違いなのかな

今 仲間と進めている絵本の次のテーマが「メディスンホイール」というものなのですが これは自然のサイクル 循環を表していて 私たちもその一部だよっていうことをシンボル化したもの と思ってください。
インディアンは東西南北ではなく 東南西北 というふうに表現します。
これは 東から太陽が昇ってお昼になり 夕方がきて陽が沈み夜になるというところからきています。春夏秋冬とか循環しているサイクルのことです。
人の一生も同じで 赤ちゃん 青年期 大人 成熟した老年 というふうに考えていて 老年期の後には死後の世界に行くか この世界にまたテーマを持って生まれ直してくる というふうに考えられていました。

なんでこんな話を書いているのかというと 今朝 絵本で絵を描いてくれている仲間が この「メディスンホイール」を表現していく際 日常のどの場面がいいの?って訊ねてくれて そういえば分かりやすいのは お墓かなあ という話をして よいサンプルとして だいぶ昔にリリースされた「ペットセメタリ―」という映画を思い出したのでした。

この映画のなかでインディアンの古い墓地に 亡くなった人を埋めると生き返る という伝承が出てくるんですけど その墓地がメディスンホイールになっていたのでした。映画では インディアンの呪い という設定になっているのですけど インディアンの古い墓地で使われている本来の意味は 故人がひとつのサイクルの輪から外れずにいてくれること。この世界への再生ではなくても 遺した経験や知恵が循環して活かされて行く願いが込められたものなのです。

まあまあ物理的な再生なのか 精神的な再生なのかっていう違いですね。物理的に再生させる映画の中では 見た目は生前の故人なのですが中身はゾンビ化しているという ホラーお約束の展開を見せます。まあまあ 生き返らせる=再生ではない価値観で作られるお墓なので こういう呪いというのは存在しないし あくまでも現代社会の価値観というわけです。

再生させるということひとつを取っても 価値観 視点が違えば違う結果を求めてしまう そんなことかと思った次第です。まあまあ どうでもいいですね。すみません。

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