見出し画像

たまには仕事の話でも。

たまには真面目に仕事の話でも書こうかな…。

何回か書いてきた気もしますが 私のスタートは占い師でした。
占いにも種類があって 命占と呼ばれるもの 占星術とか四柱推命とか生年月日を根拠に星回りを視るもの。
手相や人相 人の容姿から視る相占 そしてカードや易など その時に道具を使って視る卜占。
私の場合は卜占ですね。

卜占というのは ある意味では偶然にその時に示されたものから 何を読み取るのか?ということかとも思ったりします。
占う側の解釈の幅によって 同じものが出ても クライアントさんにお伝えする内容は変わりますよね。
いってしまえば 曖昧な物 でもあります。
占う側の物の考え方や捉え方次第で 結果に伝え方も変わってしまうものですね。
なので 私の場合はカウンセリングに軸を置いて カードを使いながら問題を整理して選択肢を示すというやり方をしています。
だからカウンセラーというふうに名乗っているわけです。
もちろん心理学も学んだうえでの話です。

この 卜占 の怖いところは 道具を使わない物も含まれることかとも思います。
霊視とか霊感占い的なものですね。
確かにインスピレーション抜きではできないものですが 根拠になるものを示さないのに言い切るのはどうなのか?と
私のなかでは 霊感 については疑問符が消えることはありません。
だって そんな気がする だけでも成立しちゃうことになるわけですし。
証明できるものはないわけです。

今 霊感商法というのも また話題になってきましたね。
結局 私には何かが視えますとか 霊感があります とか 神さまとつながっています とか断言されたら
たいがい言われた側は ビビっちゃうのではないかとも思うし 壺やら判子やら買わされたり お金をせびられたりしちゃうのかな。

水子の祟りだとか先祖の因縁だとか そんなことをクライアントさんに伝える方も見たことがあります。
でもね 水子って祟るとは思わないです。 理由はなんであれ産んであげられなかったこと その子の存在を忘れないこと
産めなかったぶんだけ真剣に生きること それだけで充分 赤ちゃんは満足するのではないかな。
お母さんが不幸になって 赤ちゃんが喜ぶとは思えないです。
ただ 忘れて欲しくないアピールだけかもしれないのに 祟りとは可哀想すぎると思わないですか?

先祖の因縁とかもそうですね。
私たちに過ぎたことを背負わされたとしても どうにもなんないじゃんとしか思わないです。
先祖って遡ると どえらい人数になりますよね。 そりゃあ いい人も悪い人もいて当たり前です。
それも その当時に生きていた人が引き受けなければいけないことだし 私たちに責があるわけでもなし…。
特別に家系に呪詛をかけられたとかなら また話は別なのですけど そんなケースは稀だとも思います。
生きていたら いいことも悪いこともあるし 悪いことを何かのせいにしていたらキリがない そんな身も蓋もないことかなと思ったり。

とりあえずですが 今を一生懸命に生き抜くこと 今 なにができるか模索することのお手伝いが私の仕事です。

幽霊が視えるとか 霊感があるとかどうでもいいです。
インスピレーションを受け取れるのであれば 善い活かし方をしたいなと ただそれだけです。

なので すごいスペシャルな感じもないし つまらんのかもしれんですね。
ひとつだけいえるのは 守護霊とかっていわれているのであろう その人を見守ってくれる人は必要なければ喋らないし
生きている人の人生の一大事以外には 干渉してくるのを見たことはないです。
霊感商法には くれぐれもご注意を…。
おおきなお世話かw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?