見出し画像

年末から続く井戸の考察

こんな画像を使っているからなのか 井戸についての話から中々離れられておりませんのです。今回は井戸を閉じるっていう考え方なのですけど そもそも地下に水脈があるところに人間が井戸を掘りました。
なので その地域では水脈に沿って各家庭の井戸が掘られているわけですね。
なので ひとつの井戸を閉じるときには ご近所にも断りを入れたり周りの井戸に影響がないように配慮をするというのが むかしのマナーだったようですね。あとは中にガスやら溜まらないように息を抜く穴を確保しておくみたいな技術的というのか現実的な話です。

さて それと少し視点が変わって 例の井戸の祟り的なところに話は移るわけですが 井戸を閉じるときに御霊抜きとか性根を抜くとか そういう儀式的なことをするという話も聞きました。でも よくよく視てみれば別に何にも変わっていないというのか そもそも抜くようなものではないのでは?というのが私の結論だったりします。

最近は龍神ブームなのか よく龍脈という言葉をみかけますが そもそもが水脈だったり自然にあるもの と私のなかでは解釈しています。水神さんはヘビや龍の形を取ることが多いですね。
なので もともとそこにある巨大なものを抜く という発想自体が人間スケールというのか 抜けるものなのか?という疑問があります。

これは そもそも神さまというのか そういう存在が居る仮定での話になりますが そんなのいないよねっていう考え方もあるので 全般に適用される考え方でもありませんので そこをご承知おきくださいね。
もし 井戸を閉じる 埋め戻す ということが どうしても必要であるならですが 感謝して その神さまを鎮める もとある形に戻って頂く なのではないのか?と思ったりしました。いらないから引っこ抜くね とか もう使わないから埋めるね とか 勝手に掘って邪魔になって使い捨てのように扱うか 感謝とかもなく形骸化した儀式をやって納めたつもりになるのか…。人間の宗教観というのは なかなかに勝手なものだなというのが結論なので不毛な話ですね…。

ちなみに ちょろっと聞いた話ですが神道では 抜いた御霊を高天原に返して 神さまの故郷にお返しする という内容なんだとか。でも もともとが地面の下の水脈にいる野生の神さまだとしたら 高天原は無関係なのでは?と思ってみたり…。御幣を立てるとか清めるっていうのは 敬意を示すものなので そういった儀式的なこととは別物だとも思いますし。

まあまあ人間って勝手よねっていう話でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?