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ドーベルマン窃盗やら あれやこれや

先日の愛護団体がドーベルマンの親子を盗み出したという事件。
さんざん飼い主さんのことを あげつらう動画もニュースでみた。
彼女たちがワンコを盗んだ本当の動機はわからないけど ちゃんと躾もされていて 飼い主さんとの信頼関係もあったワンコたちではないのかしら。
ものすごく イヤな気持ちになる事件でした。
本当にワンコたちのしあわせを最優先に考えていたわけではなくて 自分たちがいかに優秀な活動をしていて正義なのか それを世間に知らしめたいし当然 自分たちがワンコたちを引き取る方が善だよ そんな独善 偽善しか感じないわけです。

私もまさに仔猫の季節で保護やTNRの真っ最中なわけですが こういうことがあると 知っちゃいけない 知られちゃいけないという気持ちになります。本来ならですが人が猫を捨てたりしなければ TNRなんていう活動は生まれる必要がなかったものなのですよ。
地域猫という概念は ただの落としどころ 妥協点なだけで良い活動ではない というのが実際に携わっていても思うことです。

ちょうどロシアのウクライナ侵攻で「ネオナチ」という言葉が 頻繁に使われるようになりましたが やっていることは「ネオナチ」の概念と遠くないんですよ。ノラ猫たちに避妊去勢をして増えないようにして 最終的には淘汰していく。簡単にいうならそういうことです。
その代わり ゴハンやお水は与えて 一代限りの命を地域で見守るわけです。
「ナチズム」の概念は優生思想であり 自分たちよりも劣っていると認識した民族を淘汰すること。これと同じことを人間がネコたちにしているというふうに認識しながらやっているわけです。ちょっと人という種として恥ずかしいわけです。生き物が繁殖する権利を奪うわけですね。傲慢です。
これが人間がノラにしたネコたちと 共生していくために見出された単なる妥協点であって 褒められたことではないと思ってみたり…。

動物愛護は一歩間違えると 本当に傲慢で欺瞞に満ちたものになる。
今回のドーベルマン窃盗は その典型ではないかとも思いました。

ブログに書いたことがありましたが 世にいう特定外来種という動物たちがいます。ペットとして または毛皮目的で導入されたものの 計画がとん挫したとか もう必要がなくなったら繁殖し過ぎたとか そんなことです。
勝手に生態系をぶっ壊しておいて 特定外来種もないもんです。
もう 固有種だけで生態系を構成していた時代に戻すことは そもそも無理なのではないのかな。イタチなんかもそうですが 持ち込んじゃて逃げたとか捨てたとかで増えたから持て余す前に 持ち込ませないが出来なかったわけですから。

先日 とある捕獲の現場でアライグマが捕獲器に入ったと連絡がありました。まだ ちょっと若い小柄な子で 捕獲器の中で怯えきっていました。私はリリース前提なので捕獲器から出そうとしても 怖がって出てこない…。なので しばらく入り口を手で開けながら 出ていいんだよ?と声をかけていると 私の顔をじっと見る若いアライさん…。いいの?と言っている目をみて 外に出ていいんだよ? という会話ではない会話のあと すんなり出て行かれました。なんでリリースするんだ!というお叱りもあるでしょうね。

でも 彼らも持ち込まれ捨てられた被害者に変わりはないし アライグマなどの殺処分が壮絶なことは あまり知られていないかもしれませんね。どのみち繁殖する相手をみつけることも簡単ではないし 横浜市のど真ん中で長生きするのも たぶん難しいでしょう。ネコたちとは違い アライグマへのエサやりさんは ほとんどいないでしょうしね…。

たいして貢献は出来ていないけれど 少なくとも動物愛護的な活動に携わるのであれば 目の前の命に対して謙虚でいたい そう思った出来事でした。

まあまあ そんなことです。


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