赤いきつねと緑のたぬきとアナログ記録とデジタル保存(最終回15分短縮スペシャル[←それは打ち切りと言うのでは?])18

初出 2021年5月9日 Facebook

最近、6年近く使っている私の今のノート型コンピュータが、蝶番の部分が壊れてしまってディスプレイ部と本体の接触が変な感じになってしまい、そろそろ買い換えようかと考えているところである。

で、カタログを見たり家電量販店に行って実物を見たりしているのだが、最近のコンピュータはどれもこれもストレージ容量が異様に小さいのだ。

SSDだからというのもあるかもしれないが、私が今使っているコンピュータはHDDを自力で換装して本体の記憶容量は2TBある。USB接続の外付HDDは20台近くあり、常時接続しているもので40TB、すべてのストレージの記憶容量を合計すると恐らく90TBぐらいある。

何のためにと思う人が大半だろう。これは、入会している動画配信サイトのダウンロード保存可能なものを可能な限りすべて保存しているからだ。

その手のサイトの、動画のレビューをとあるブログに書いている。そのブログを見て興味を持った人がそのサイトに入会すれば私にも若干の配当がある、というアフィリエイトの仕組みがあって、そのレビューのために動画を保存しておく必要があるからだ。
(まぁそれがなくても個人的に保存しておきたいというのもあるっちゃあるのだがw)

入会しているサイトは2つだけなのだが、とにかく更新量が多く、期間限定で削除されてしまう動画もあるため本体の記憶容量が大量にないとつまらない作業に多大な時間を割かなければならなくなる。そのため、本体の記憶容量は重要なのだ。

しかし今のノートパソコンやタブレットの類は、本体の記憶容量は極力少なくし、データはクラウドに保存するのが前提となっている。

万が一のクラッシュに備え、私もダウンロードした動画はGooglePhotoに保存していた。HD画質のものはほぼ劣化することなく、どれだけでも保存できたので大変便利であった。

ところが、今年の6月から、GooglePhotoは無制限保存を撤廃してしまう。通常のアカウントでGmailなどを合わせての無料保存ができる15GBが上限となってしまうのだ。

通常画質の動画の場合の目安のサイズは、1時間で2GBほどだ。15GBなら7本しか保存できない。私が入会しているサイトでは場合によっては1日に20本近く更新されることもあるので、1日分も保存できなくなってしまう。

一応Google側では、月額250円で1TBまで保存できるサービスを用意してはいるのだが、それだっていつまでそのサービスが動いているのかは不明だ。Googleの都合で突然サービスを終える可能性もゼロではない。

クラウドサービスに限った話ではない。

この春から大手携帯3社が、格安サービスを開始した。しかし、それらのサービスに乗り換えると、今まで使っていたキャリアドメインのメールアドレスが使えなくなってしまう。あなたのメールボックスにも先月辺りから格安サービスに乗り換える人はメールアドレスを変更してくれという各社からのお知らせが山のように届いていたはずだ。

私のスマホのメールアドレスは、ガラケー時代からずっと使っている20年選手だ。各種サービスのログインIDにも多用しており、今から変更するのは大変面倒なので恐らく変更はしないと思う。PCで使っているメールアドレスの中にはNifty-Serve時代から使っているものもまだ生きていて、それらはもう28年近く使っている。私の手元にある一番古いNifty-Serveのメールは25年前のものだ。

Nifty-Serveの時代は、常時接続がまだなかったということもあるが、サーバにある発言を全て手元にダウンロードしてから電話回線を切り、発言を読んでレスを書いて再度アクセスしてアップする、という手順を踏んでいた。なので、必然的にログが手元に保存されていたのだ。

Nifty-Serveがパソコン通信のサービスを終えてからかなり長い年月が経つが、私の手元には今でも大量のログがそのまま保存されている。サービスは終わっているのでもうネット上にそれらの発言は残っていないのだが、NifTermやAirCraftやComNiftyなどを使っていた人たちの手元にはおそらく今でもあの頃のログが当時の熱量とともに残っていることと思う。

現在のNiftyのメールの保存容量は通常だと5GBだ。テキストだけのメールならば数年分は保存できる。だが、うっかり容量を超えてしまうとそれ以降のメールは保存容量が空くまで受信されずに消滅してしまう。メールと言うある種ライフラインになり得るものであっても、会社の都合で消滅してしまうのだ。

そういうこともあって、手元に残して、クラウドを過信しない、ということは、あの当時を知っている人にとっては普通に皮膚感覚で持っているアタリマエのものなのだろうと思うのだ。

クラウドやサブスクが当たり前の時代しか知らない世代には、手元に残すという発想がそもそもないようだ。なので、なにか不祥事があって配信が停止してしまってから見られない聞けないと大騒ぎすることになる。Twitterなどを見ていると、見られなくなったものはさっさと諦めてしまう状況もどうやら多発しているようだ。

反面、BOBY氏のPGFのように、元々は無断転載であってもサーバがまだ稼働していれば今でもあの当時のものが見られるという一面もある。

2ちゃんねるの管理人だった ひろゆき 氏は、かつてネット上でのアダルト関係の視聴の可否は法律でも運営会社でもなくいずれクレジットカード会社が実権を握るのではないかと発言なさった。

出会い系サイトのPCMAXでは最近Paypal決済が可能になったのだが、Paypalがアダルト関係全般にNGとのことで、Paypalで決済されたポイントはPCMAX内でアダルトが含まれるすべてのサービスで使えないというちぐはぐな事態になっている。

世の中にうっすらとエロがあった時代には考えられなかったことだ。

街中にポルノ映画館があり、それらの上映作品の紹介が印刷されたステカンが普通に路上の電柱にくくりつけられていた。
一般の書店にも笠倉出版社のアダルトVHSが置いてあり、年齢認証されることもなく販売されていた。
子どもたちの休みの時期にまんがまつりを上映していた映画館が普段はポルノ映画館で次週予告で子どもたちがたくさんいる中で普通にポルノの予告が流れていた。
日本テレビの「11PM」やテレビ東京の「ギルガメッシュないと」でも普通に上半身裸の女性が出ていたし、TBSのドラマ「毎度おさわがせします」では現役高校生のヌード要員がいて更衣室のシーンなどで普通に上半身裸の姿で映っていたりしていた。
コンビニでもつい最近まではDVDのついたエロ雑誌が買えたりもした。

これらすべてが今はなくなり、比較的自由にエロにアクセスできたはずのインターネットの世界でも表舞台からはエロが消えようとしている。

今は、エロという、他とは明らかに性質が違うものが排除されているだけなのでまだそれほど危機感を感じなくてもいいのかもしれない。

しかし、表舞台からエロが消えてしまったら結局裏の世界に入ってしまうだけだ。有料配信であってもモノによっては一定期間で削除されてしまいもう永遠に見られなくなってしまう。期間限定などのものを手に入れた人が他の人も見たいだろうからと、あくまでも本人は善意のつもりで無料違法サイトにアップしてしまうという事態も普通に起きていて、ネットのものは全てタダと思っている一部の層の人たちはそれを漁る事態が相当昔から起こっている。おっさん向けの週刊誌では元々は有料だったはずの動画がアップされているエロサイトを安全?に無料で見るための指南記事が定期的に掲載され続けている。

そういう違法アップロードは論外だが、普通に見たいもの、今までずっと見ていて好みになっているもの、有償で閲覧の権利を入手したはずのものが、自分の手の届かないところで制限されていくという、実は極めて恐ろしい事態がじわじわと進行していると考えられないだろうか。

ところでこの連載のタイトルは、本来は「アナログ記録とデジタル保存」だけのはずだった。
ところが、直前に私のTwitterのTLに流れてきた、ファミ通町内会botの「赤いきつねと緑のたぬきとかわいそうなゾウ」に爆笑して、タイトルを変更した。

実のところこのbotも、厳密に言えば違法だろう。このbotのアイコンは昔のファミ通の編集長の浜村通信氏の似顔絵(これもファミ通に掲載されていたもの)が使われていて、それも著作権や肖像権などを考えると微妙だ。

ファミ通という名前も堂々とアカウント名に使われているので多分編集部が知らないということはないと思うのだが、まぁ、恐らく、黙認だ。

黙認している理由は不明だが、推測するに、過去の投稿物を再掲しているだけでbot作成者に何らかの収入があるわけでもなく、ここに掲載されることでファミ通側に金銭的な不利益があるわけでもないためではなかろうかと思われる。

もしかしたら、botの運営者は、かつてのBOBY氏が自分が関係した女性たちの写真をネットにアップしたのと同じような感覚なのかもしれない。

ウェブサイトに写真をアップする行為と、Twitterに過去の他人の投稿をアップする行為。

あれから何十年経っても、そしてこれから何十年経とうとも、その根底は何も変わらないのかもしれない。

根底は変わらないまま仕組みが変わり、保存に関する考え方が変わり、手元に持つということの意識や意義が変わってきた。扶桑社の雑誌 ESSE 2021年6月号の特集は「これからの持たない暮らし」だ。ミニマリストが持て囃され、共有することでひとつ上の快適な暮らしを手に入れよう、という趣旨なのだろうが、今の時点ではまだなんだか安定しないものを感じてしまう。

まぁ、考え方は人それぞれだろう。
スプーンおばさんや米米CLUBの浪漫飛行のようにトランク1つだけで人生渡っていけたらそれはそれでラクそうでもあるし。

だが、本来自分が権利を持っているはずのものに対して、自分がコントロールできない仕組みにべったりと依存して(そしてそれに気付いていない)いて、それを後ろ盾として手元には持たずに済ませるような今の潮流に、古い人間である私は、薄気味の悪いものをどうしても感じてしまうのだ。

手元に自分が持っていなくても、ネットにあればコピーしていつでも見聞きできる、というのは、今の時点での事実だ。

その事実に対して、そのサービスがいつまでも普遍的に存在すると思いこんでいるZ世代と、そんなもの会社の都合でいつなくなるかわかんねぇだろと思い込んでいる私達の世代。

交わることは今後も多分なく、同じことが繰り返され続けるのかもしれない。

(終)

(短縮スペシャルのはずなのになぜ最後だけこんなに長文なのか)

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