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ことばでなくても、ゆっくりでも

最近、うまく話せない、という感覚がまたとても強かった。
うまく、というのは自分の気持ちがことばにならない、という意味合いでだ。

思いを抱えながら歩き続けていると、ある一場面を思い出した。

20代の時に、人生で大切な時間を過ごしていた人からの問いかけに、
ことばが一言も出なかった。

問いかけの具体的な内容は全く思い出せない。

そのひとは、わたしのことばを辛抱強く待っていてくれていたようだったが、
待ってくれているのが伝わるほど、なんか言わなきゃ言わなきゃって、思うほど、
喉がぎゅっと閉まって、ことばが出ていかなかった。

その記憶からだったのか、その記憶の前からだったのか、
自分の思いを出すことにかなりの困難を感じ、
気がつけば自分が何を考えているのかよくわからなくなっていた。

立ち止まり、休息をとり、
去年あたりぐらいから、自分からことばが生まれるのを
ぽつぽつ、と眺めることが出てきた。

たくさんではないし、必要な時に出てこないことも多い。
もどかしくて、ことばが足りないが故に途切れたつながりもあり、
なんでこうなんだろうと、泣きそうなことも今だってある。


秋のはじまりに、ことばでなくてもいいから、とにかく表現しよう、に変わった。
ある種の切実感とともに。

そうしたら写真や絵から自分の輪郭や変化を感じることが増えてきた。
ことばをつぶやく回数が増えた。

日々の記録のようにつけてみたり、時間をおいてみたりして。
自分を知るために。生きていくために。続けていく。

時期が来たら、浮かんできたことばをあつめて、ゆっくり紡いでみよう。

今は、どんな形でも、どんなに時間がかかっても、
生まれいづるものを大切にしよう。それがわたしの気持ちだから。

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