お題箱でいただいたプロセカキャラにカバーしてほしい楽曲についての返信

 Twitterにて「プロセカキャラにカバーしてほしい楽曲があれば教えてほしい」と募集をかけたのが去年の10月中頃。このnoteはその際に薦めていただいた作品の感想を楽曲ごとにまとめたものです。たくさんのオススメ、本当にありがとうございました。
 普段お題箱に入れてもらった匿名メッセージはTwitterで返信しているのだけれど、今回は「オススメの楽曲を一人何曲でも教えていただく」というスタンスだったために一人当たりの返信量が非常に多くなってしまうと考えられました。日頃ほとんどのお題に対し返信が長文になってしまうので、オススメ楽曲へのそれが果てしない長さになることは容易に想像されます。また、返信を受けた側は、ただでさえ途轍もない長文なのに、さらにどこからどこまでがAという楽曲の感想で、どこから次のBという曲の感想に入るのかがわかりにくいとまで来たら、輪をかけて読む気をなくすこと間違いなしでしょう。そこで、今回は返信の場として、目次機能があり、長めの文章が少なくともTwitterに比べれば遥かに読みやすいこのnoteというSNSを選ぶこととにしました。
 誠に勝手ながら、楽曲と歌ってほしいキャラのみが書かれたお題に関してはこのnoteで返信とさせていただきます。そのほかに私個人へのメッセージが含まれていたものに関しては、いつになるかは未定ではあるものの、後日楽曲には触れずにTwitterにてそれ以外の内容にのみ言及する返信をするつもりです。

 本題に入る前に明記しておきたいことがあります。これは単に私が書いておかないとすわりが悪く感じるというだけなので、誰かを責めたり非難したりするためのものでは決してありません。読まなくても全く支障はないので、飛ばしていただいても一向に構いません。ひたすらに自分のために綴る前置きです。
 全ての音楽・漫画・アニメ・絵画などの芸術作品にはそれぞれ固有の物語が存在していると考えています。その作品に触れている間体感できる世界はその作品だけのものであり、同時にその作品はその世界に対し与えられたものです。したがって、ある作品に対しそれと全く関連のないコンテンツのストーリーや文脈を重ね合わせることはすべからく窃盗であり、元の作品を愛する方から顰蹙を買う行為であることは紛れもない事実です。このnoteにおいて私は「楽曲の歌詞のこの部分がこのキャラと近い」といった感想を述べることがありますが、あくまで大前提としてそれがたいへんに罪深いこと、その十字架を今後背負わなくてはならないこと、これらを十分に承知し覚悟した上で記事を書いています。
 また、感想を書くにあたりその楽曲に関する私の解釈が展開されるのですが、直接的な台詞や演出が少ない分漫画やソシャゲのストーリーよりも事実の読解より解釈の比重が大きくなる音楽において、私の解釈が絶対的に正解とは思っていません。その楽曲を聴いて全く別のイメージを抱き、そのイメージの差異からその曲に合うと思うキャラクターも私と異なる意見を持っている、という人も当然いると思われます。キャラの理解が同じであっても楽曲の方に持つ感想や解釈が異なればそれは至極当たり前です。私は解釈の幅が非常に広い音楽において、そうした異なる考えを否定したり自分の見方を押し付けるつもりはありません。この曲についてこういう捉え方もあるんだな、くらいの気持ちで読んでいただけると嬉しいです。

 それではいよいよ本題に入ります。読みたい部分から好きに読み進めていただいて構いません。たくさんのお題、本当にありがとうございました。


Leo/need

Leo/needで「SPiCa」

 「Project DIVAが凄く好きで~」という話をしたので、この組み合わせのオススメがめちゃくちゃ届いておりました。ありがとう。
 この楽曲は音楽と星を掛け合わせたもので、まさにレオニに合いますよね。言われて逆になんで思いつかなかったんだろうと思うほどでした。「ため息で落ち込んでいた午後」から始まる少し落ち着いたメロディのCメロから「君に届け」で一気に転調して盛り上がる部分などは、メインストーリー終盤でミクとの対話を通し自分がどうしたいのかを受け止め決断する一歌を思い出します。また、「五線の上で流れ星」というフレーズには4人にとっていつだって心の支えだった「流れ星」と今音楽を通じてレオニという形でいつでも出会えるようになったことを想起させられました。このようにレオニ全体にも合うのは勿論ですが、たくさんの人に想いを届けると決めた一歌からミクへの誓いの歌と聞いても味わい深いなと思います。特にサビラストの「いま歌うから照らしてよね スピカ」などはめちゃくちゃ一歌→ミクの文脈を感じました。

Leo/needで「プラネタリウムの真実」

 いやめちゃくちゃレオニに合いまくる!!!初めて聴いたんですけど(というか今回オススメいただいた楽曲のほとんどが初めて触れるものだった)、君と僕とで織りなす日々を星空やプラネタリウムというモチーフに絡めて歌っていて、レオニのストーリー全体にある穏やかであたたかい日常の温度も感じました。レオニの4人それぞれにとって「Leo/need」という場所そのものが辛い時にふと見上げて元気をもらう流星ないし一番星だと思っているので、「僕は君の夜道を照らす星になりたい」という歌詞は互いが互いの夜に光をもたらすこの4人らしくて特に合っているなと思います。話は逸れますが、同じ「夜」を扱うユニットである25時、ナイトコードで。とは「夜」の暗喩するものが異なっていて、その違いが面白いなと個人的に思っています。ニーゴが暗い夜を共に過ごし夜明けを隣で迎える話なら、子供たちだけで星明りを頼りに夜道を進み一番星を目指すのがレオニのストーリーであるように感じます。ニーゴにとっての「夜」がその先にある「朝」を描くための暗さを強調されたものであるとしたら、レオニにとってはむしろその「夜」の時間こそがメインでありその中で怖いこと辛いこともあるけどそれでも見上げた夜空に輝く星に背を押されてまた進んで行く、みたいなイメージですね。お題主さんが夏代孝明さんの楽曲とレオニの相性の良さに言及していらしたのですが、この制作者の「夜」の描き方はまさに後者のニュアンスに近いため親和性が高く感じられるのかなと思いました。夏代孝明さんがレオニに書き下ろした「フロムトーキョー」も、歌詞の内容そのものは勿論のこと、曲調など全体の空気感もレオニに合っていて好きです。

Leo/needで「世界の真ん中を歩く」

 ボカロの楽曲にはこの作品のように「あなたの世界の主役はあなた」「飾らないありのままのあなたでいいんだよ」という想いの込められた応援歌が多いように感じているのですが(JPOPでも多いかもしれませんけれど……あくまで体感として)、そういったメッセージとLeo/needって物凄くかっちりと噛み合うなと既に実装されているカバー楽曲などを聴いていても思います。一つ前の節で同様の話をしましたが、4人にとって、そして4人の曲を聴いた誰かにとって、「Leo/need」とは夜道を進む中見上げればいつもそこで輝いて勇気をくれる一番星のような存在なんですよね。「Live with memories」に登場する花乃たちも、これから先の未来で不安に苛まれたとして、見上げたレオニの楽曲があの日と変わらず輝いているから、また夜空の下で歩き出せるんだろうなと思います。なので、2番にある「星はいつだって光っている」という歌詞にレオニみをとりわけ強く感じました。
 また、「僕が笑って 君も笑えば どしゃぶりだって 僕ら変えられる これからも 君の手を強く握って」という歌詞には「雨上がりの一番星」のストーリーなどから見て取れる咲希を中心とする文脈を思い出します。特に最後の「これからも 君の手を強く握って」という部分には、いつも咲希の隣にいて、「咲希のやりたいこと全部一緒にやろう(咲希☆1サイスト後編)」「これからもずっと一緒にいようね(公式4コマ)」と真っ直ぐに想っている一歌の存在を想起させられました。

Leo/needで「晴天を穿つ」

 イントロを聞いた時点で、曲全体に漂う夏のような雰囲気がレオニによく合うなと思いました!言葉を尽くしても耳を塞いで自分はだめだからと視野が狭くなっている「君」の様子がメインストーリーの穂波に、「一生味方だ」と伝える「僕」がレオニの3人に、それぞれ似ているように見えますね。なので、曲全体としてはメインストーリーでのレオニと穂波と重なると感じましたが、「共犯者になろう」「一人でどこかへ行くのを 僕は絶対許さない」などの「僕」からのはたらきかけがResonate with youで志歩と一緒に夢を追うことを彼女に伝えるレオニと似ているなとも思った(「君」は志歩とはほとんど重なりませんけれど)ので、この楽曲での「僕」から「君」への想いはレオニが相互に抱き合っている気持ちと非常に近い形をしているように思います。そういう理由もあいまって、Leo/needとの親和性が高く感じられるのかもしれません。

Leo/needで「1/6-out of gravity-」

 天体をモチーフにしている点、そして「君」の抱える悲しみや辛さを軽くするために奔走する「僕」の姿に、相手の力になりたい傍にいたいと相互に思っているレオニとの相性の良さを感じさせられます。Project DIVAのライブステージは宇宙空間に浮かぶステーションのような外観なので、ここでレオニにこの楽曲を歌ってほしいなと思いました。
 個人的にはこの楽曲は歌詞だけ見れば「僕」が奏、「君」がまふゆにそれぞれ重なるなとも思っています。「君」の悲しみを軽くして救い上げたいという「エゴイズム」を原動力にいつか月まで連れて行く固い意志を持つ「僕」は、自分のエゴでまふゆを救う曲を作り続けることを決めた奏と似ている部分があるように見えたり、「宇宙船はまだ先だけれど そこに辿りつけるまでの間 僕の左手を握っててくれますか?」という歌詞が「自分が消えたくなっちゃった時はまふゆが『まだ救われてない』と言ってほしい、そうすればまた曲を作り続けることができる」とまふゆに伝えた奏の心情と近しいものであるように解釈できたり。全体的に「僕」と「君」の関係性が奏とまふゆの間にあるそれと共通していると私は思いました。

志歩・穂波で「ハイドアンド・シーク」

 誇張抜きに歌詞全体がメインストーリーの穂波にぴったりだなと思います。不特定多数の顔の見えない誰かに嫌われて陰口言われてしまうのが怖くて耳を塞いで自分自身をも奥底に隠していたら何が大切なのかも本当の自分がどうであったのかもわからなくなってしまう、という「僕」の状況は孤立し後ろから人差し指を指されることに怯え自分にとっての大切なものもわからなくなって挙句傷つけてしまった穂波とかなり共通していますよね。
 もしこれを志歩と穂波でカバーするなら絶対に「君が僕を捨てて手に入れる 誰かの愛は 見せかけだけの愛だ」は志歩に歌ってほしいです。「君は此処にいちゃいけないから」と「君」を遠ざける「僕」に対して「君」が告げる言葉なんですが、メインストーリーで穂波に「自分が可愛いだけ」「自分が傷つくのが怖いんでしょ」と正面から鋭く突き付けた志歩の姿と重なるなあと思ったので。逆にラスサビ直前の「明日君に打ち明けるんだ 僕は卑怯で臆病だって 誰かに嫌われる事よりも 何十倍も辛い事に気付いたよ」の部分は、「揺れるまま、でも君は前へ」の☆2志歩サイスト後編で志歩にメインストーリーやこのイベントで志歩が穂波を想って穂波に渡してくれた優しさに「ありがとう」と感謝し心からの笑顔を見せる場面と近いものを感じるため、穂波に歌ってほしいなと思います。
 お題主さんが「ボーカルなしで歌おうとするタイプの二人じゃないから複雑」とも同時に仰っていて、私もそれにはおおむね同意見なので、もう一歌以外のメンバーによるカバーを出すにはビビバスアーカイブのような「レオニが4人でカラオケに行く」ボイスドラマを出してもらうしかないのかなと思っています。カラオケなら一歌が歌っていなくても不自然ではないので、キャラの設定と齟齬を来たさずにカバーを聴けるんじゃないですかね。プロセカ公式さん、どうでしょうか。次のアンケートで書いてみても良いかもしれません。

MORE MORE JUMP!

MORE MORE JUMP!で「オツキミリサイタル」

※先に言っておくと、私はこの楽曲がカゲロウプロジェクトに登場する如月モモさんと雨宮ヒビヤさんのキャラクターソングであることを十分に承知しています。この節では「歌詞のこの部分がモモジャンに合う」という言及をしますが、それはこの楽曲をモモジャンのイメソンであるとまで主張するようなものではありません。あくまでこの二人のために作られたこの二人のための歌である、というのは大前提としています。それでも、あるコンテンツのキャラへ制作されたことが明確である楽曲を別のコンテンツのキャラと結び付ける行為への嫌悪感などが拭えない方は、ブラウザバックか次の節へ目次から飛んでいただくことをオススメします。

 ざっくり言うとこの楽曲ではアイドルのモモが明日に希望を持てなくなった少年・ヒビヤに「大丈夫だよ」と伝えエールを送るストーリーが展開されています。その「大丈夫」のニュアンスがまさしくモモジャンが届けようとしている「明日はきっと良い日になる」という希望そのもので、この楽曲内でのモモのスタンスはモモジャンのアイドル活動と重なる点が多いなと感じました。とりわけ「そしたらもっと元気を出さなきゃ、明日も眩んじゃう」や「もっと頑張んなきゃ想いも 昨日に消えちゃう!」といった明日に直接言及している歌詞からは「当てもなく晴れを信じてる」「信じてる だって誰も明日を知らないでしょ」と共通するものを見出せる気がします。全体的にモモジャンがファンに届けている希望と似た概念が歌われているので、モモジャンだったらこの歌でどんなふうに希望を届けてくれるのか気になりました。

みのりで「シンデレラ」

 楽曲前半でのペシミストぶっているけれどどこか世界への期待を捨てられないでいる主人公の姿に、幼少期に遥と出会う前のみのりを見ることができました。不運な自分を嘆きつつそんな毎日がイヤになっちゃって「わたしががんばっても、ダメなのかな」「ずーっと、悪いことしかないのかな」と不安になっていたみのりはこ、の楽曲の主人公と同じく鏡の向こうに映る自分を「残念なあたし」と思っているように見えます。また、Cメロで主人公はおとぎ話のシンデレラとは異なり鐘が鳴って灰に戻ってしまっても帰らないで正規のハッピーエンドへ向かう道ではなく「××コース」へ飛び込みますよね。この部分に遥に憧れて彼女が自分に届けてくれたように自分も誰かに明日を頑張る希望を届けたいと、その先にどれだけの困難や不安が待っていたとしても、それでもアイドルになる道を選んだみのりっぽさを感じます。その後のサビではアイドルになることを決めたみのりにとってそれでも毎日不運は続くし前髪は決まらないしあたしは残念だし、であまり現状自体は変わっていないけど唯一、たった一つ「ハローをくれたあなた」がいるから、その「ハロー」があるから明日はもっと良い日になる希望を持てるようになった、というそれまでのサビとは歌詞のニュアンスが変わっていることとみのり変化が上手い具合にリンクしているように思われて好きですね。
 みのり以外だと個人的には寧々も割と合うのかなと思いました。寧々は自分に自信はないけれど自負心が強くてこの楽曲の主人公の雰囲気と一致する点が多いように見えます。また、「××コース」へ飛び込んで行く箇所は人魚姫に憧れて観客席という陸からステージという海へ踏み出した寧々にも当てはまるように思います。寧々の場合は「ハローをくれたあなた」は風祭さんになるのかな。

みのり・愛莉で「しゅうまつがやってくる!」

 歌詞より何より、まずこの楽曲のリンの調声が凄くみのりと愛莉に近い声質になっているなと思われ、この二人が歌っているのを聞いてみたいな~という気持ちになりました。ポップで可愛い雰囲気がとても二人に合うと思います。また、売り出し方やオーディションなどで「大人の事情」を散々浴びて、それでも自分の夢も届けたい希望も諦められず、また不特定多数よりも目の前の誰かが困っているのを見過ごせず助けになって希望を届けようとする二人が、「世界」に対し「知らないよ」と断言して、それよりと言った具合に当たり前に目の前の「君」の話を始めるこの楽曲の主人公に重なるなと思いました。遥と雫も同様に大人の事情に振り回された経験がありますが、それに対してより明確に「知らないよ」と反発していたのはみのりと愛莉なので、みのりと愛莉の方がよりこの楽曲との共通点が多く聞こえたのかなと個人的に感じました。

愛莉で「恋色病棟」

 こちらの楽曲も私がProject DIVAで遊んでいたということでオススメいただきました。Project DIVAのこの楽曲のMV、注射など病院をモチーフにしたビッグアイテムがたくさん浮いているピンクのステージがものすごく可愛らしくて好きでした。
 この楽曲の主人公が風邪をひいた好きな人に対して「なんで私が!?」と言いつつ「しょうがないなあ」と結局世話を焼いてしまう感じが愛莉の「しょうがないわねえ」に凄く近いなと思います。また、OSTER Projectさんの楽曲ならではと言った感じのポップで跳ねるような可愛いメロディがアイドルである愛莉にぴったりだなとも思いました。前述のProject DIVAでのステージも全体的にピンクなので愛莉のイメージに合いますし、あのステージみたいな感じで3DMVが出たら絶対に可愛いだろうという確信があります。

Vivid BAD SQUAD

Vivid BAD SQUADで「ヤンキーボーイ・ヤンキーガール」

「チルドレンレコード」のカバーの時も思いましたが、このユニットはこういう「全力で今を駆け抜ける少年少女たち」の歌が合いますね。彼ら彼女ら自身が夢を叶えるべく今を全身全霊で走っており、他のユニット以上にその情熱や想いの温度・熱量などに焦点の当たっているのも要因の一つに挙げられるでしょう(ライブハウスでのパフォーマンスも会場の熱気が重要であるようにビビバスのストーリーからは推測されるので、このユニットのこうした描かれ方はストリートミュージックというモチーフと上手く嚙み合っていると思います)。個人的に特にビビバスらしさを感じたのは「価値とプライド プラグとライト 夢から冷めてしまう前に」「通う血のように進め」のあたり、つまりCメロ直前のサビです。夢を叶えるために走る4人の前に進む様は動脈血のごとく力強くエネルギーに満ちていると思うので、「通う血のように」はとてもビビバスっぽいと感じます。青臭くてどこまでも全力で、まだ大人になる前のまさしく「勇む若人」が主人公となっている楽曲はビビバスと親和性の高いことが多い気がしますね。

Vivid BAD SQUADで「GETCHA!」

 Gigaさんの曲調とビビバスの相性の良さってめちゃくちゃ高いと思っているのでビビバスの歌うこれも最高にかっこよくなるだろうと容易く想像できました。ビビバス、英語パートとラップがあるどこか洋楽っぽい(と勝手にそういう印象を抱いている)曲が凄く映えますよね。この曲もGUMIパートの英語歌詞やCメロのミクによるラップがビビバスの皆さんならどう歌うのか気になりました。ビビバス全体のカバーを聞いてみたいのは勿論のこと、Vividsなど二人単位で歌っているところも聞いてみたいですね。

こはね・杏で「シニカルナイトプラン」

 ドキドキしてしまうような妖しい雰囲気と、少し大人びた曲調や歌詞が素敵な楽曲だなと思いました。杏やこはねの艶のある時の歌声めちゃくちゃ好きなので(「PaⅢ.SENSATION」など)こういう楽曲歌ってほしい気持ち凄くわかります。
 本題から外れますが、この二人に限らずビビバスの4人の歌声って「PaⅢ.SENSATION」や「阿吽のビーツ」などのように妖艶で大人っぽい雰囲気の楽曲と、「Flyer!」のように明るく疾走感のある楽曲とで歌声の色が大きく違っているのが聴いていて面白いなと思っていて、この曲はどんな声音で歌っているのだろうと新しい曲を聴く度に期待で胸が膨らむんですよね。どのユニットよりも歌声一本で勝負し会場を支配することに重きの置かれているVivid BAD SQUADに相応しい技術の高さに舌を巻きます。

彰人・冬弥で「春嵐」

 この記事を書き始めるより先にゲームにこの楽曲のビビバスカバーの実装が発表されました。お題主さん、本当におめでとうございます。もしかすると今後アナザーボーカルでBAD DOGSのデュエットバージョンも実装されるかもしれないですね。
 ビビバスに合うタイプの「カッコイイ」とは、変則的なリズムや一拍後に突然がらりと変わる乱高下に聴いている側が振り回され、目が離せなくなるほど強制的に惹きつけられる感じを含んでいるように見えます。歌の技量で殴られて降伏せざるをえなくなる、みたいな。なので、あくまで私個人の見立てですが、目まぐるしく曲調が変わりあっと言う間に最後まで耳を傾けてしまうこの楽曲はまさにそんなビビバスのかっこよさとの相性が非常に良いのではないでしょうか。

彰人・冬弥で「脱獄」

 この楽曲内での主人公側のスタンスがめちゃくちゃ彰人や冬弥と近いなと思いました。誰に何を言われたって夢を追うことを諦めず、人生を捧げ走り続けるその姿は、ビビバス結成前二人きりだった時からずっとBAD DOGSに見て取れる思想と共通しているように見えます。杏とこはねが運命の文脈のある楽曲とよく合うなと思っているのですが、彰人と冬弥は「脱獄」のように命を燃やし全てを捧げているニュアンスの強い楽曲との相性が良いという勝手な印象があります(おそらく彰人の武士を思わせる精神性と冬弥がそんな彰人にどこまでもついて行くことを決めている描写からできたイメージですね)。互いの瞳を見つめるVividsと、進むべき前方を見据えながら時折隣の相棒に目配せをするBAD DOGSといった具合に、杏とこはねの視線の先にいるのがお互いであるのに対し、彰人と冬弥はあくまで前だけを見ている感じ。本題からは逸れますが、NEOのMVのラスサビでまさにVividsとBAD DOGSのこうした違いが描写されて嬉しかったです。なので、「脱獄」は私もBAD DOGS二人でのカバーを聴いてみたいですね。また、曲を聴いて行くにつれ動悸が速まっていく感じが前の節でも言及した「ビビバスのかっこよさ」にぴったりだなと思います。

ワンダーランズ×ショウタイム

ワンダーランズ×ショウタイムで「世界の真ん中を歩く」

 レオニだけでなく別の方からワンダショでもカバーが聴いてみたいというお題が届いておりました。歌う人が変わるだけで歌詞から感じ取るニュアンスやそこに重ねる文脈も変わってくるので面白いですよね。
 私はダショ文脈で聴くならユニット全体というより司とえむでのカバーが聴いてみたいと思いました。「僕」が司で「君」がえむ、といった感じです。「誰も気づかなかった君の本当の声を 聴かせてよ」の箇所は「スマイルオブドリーマー」での観覧車の場面を想起させますし、サビの「君と出会って 素直になって 心を知って僕は 変わったよ」「君と出会って 素顔になって 孤独を知って 大人になって 世界の真ん中を歩く」の歌詞などはメインストーリーにてえむに見つけてもらったことから始まって自分の夢の原点を思い出し「変わった」司と上手く噛み合うのではないか、と思います。他にも「僕が笑って 君も笑えば どしゃぶりだって 僕ら 変えられる」「これからも君の手を強く握って」の部分はメインストーリーでの「もう一度ショーをやるぞ!あのステージを笑顔でいっぱいにするんだ!!絶対に!」だったり、「スマイルオブドリーマー」での「オレたちに、できないことはないということだッ!!」「お前の笑顔を奪っているものを一緒に何とかしようじゃないか」だったり、といった司からえむに観覧車で伝えられた言葉たちに近い機微を感じました(司に限らず寧々も類もえむの夢のおかげで再び夢を追いかけられるようになったし「スマイルオブドリーマー」では司を中心にダショ全体でえむに手を差し伸べていますからダショ全体を「僕」、えむを「君」としても基本的に成立するとは思っていて、そんな3人の中でもえむとの出会いで「心を知って」今度は逆にえむの手を引くという文脈が最も強い司がえむとカバーしているのが聴きたいな、という感じです)。

寧々・類で「少年と魔法のロボット」

 この組み合わせのオススメ、実はレオニにSPiCaと同じくらい来てました(被り大歓迎なので別に全く問題はありません)。聴いてみるとそれも納得。歌が好きだけれど人前で歌えない少年に博士がステージで歌うためのロボットを作り与え、少年とロボットが親交を深めていくというこの楽曲のストーリーは、メインストーリーでのトラウマにより舞台に上がれなくなった寧々とそんな彼女のためにネネロボを制作した類にとてもよく似ています。確かにめちゃくちゃこの二人に歌ってほしい。あと、司とえむの「ぼうけんのしょがきえました!」や司と寧々の「おこちゃま戦争」のようながっつりストーリーと登場人物が存在するタイプでミュージカルに近い楽曲を寧々と類にも歌ってほしいんですよね。この楽曲じゃないとしても何かしらこの二人で物語調の曲をカバーしてほしいなって思います。

 以下は完全に余談です。寧々と類のカバーという観点で言えば脱線しまくっているので読み飛ばしていただいて構いません。
 この楽曲はおそらくボカロPとボーカロイドの関係が少年とロボットになぞらえて歌われていると思われるのですが、そう考えて改めて寧々とネネロボを見るとこの二人の関係もまたボカロPとボーカロイドに近いものがあるのかもしれないと思いました。基本的にプロセカにおいてミクたちは「バーチャルシンガー」であり、クリエイターから想いをたくされるそれぞれの楽曲ごとに固有のミクたちが存在しています。ですので、クリエイター側に重きをおいた楽器の「ボーカロイド」としての文脈が乗った状態で描かれることはまずありません。その「ボーカロイド」とボカロPの関係のメタファーとして、ネネロボと寧々がいるのではないでしょうか。最初にネネロボを見た時の司の反応は聴く前の段階でボカロに抵抗を感じる人のそれと酷似しており、また、自分では歌えない寧々が己の想いではなく歌声そのものを託しているという構図は初音ミクを「楽器」として見た時のものと重ねられると思います。まさにメインストーリーでのネネロボは「機械」としての面が強調された「初音ミク」に限りなく近い存在であると言えそうです。その上で寧々がネネロボに「歌声」を託すことそのものについてはプロセカのストーリーは好意的に描いています(寧々本人が自分で歌いたいと思っているため歌えるようになることが彼女の成長の一つの着地として想定されていて先の展開で寧々はネネロボなしで舞台に上がれるようになるものの、ネネロボでステージに上がることそのものへの否定的な描き方はしていない)。プロセカでの「初音ミク」の定義上各セカイのミクたちとの交流では描写できない「ボーカロイド」で歌う人たちの物語をここに仮託し、ボカロPの在り方や楽器あるいは無機物の「初音ミク」と築かれる関係性への肯定を間接的に表現しているのかなあと思いました。

寧々・類で「ラブレター」

 オススメの文面でお題主さんが「この曲はちょっと類→寧々の感情にカプオタクフィルターがかかっているかも……」と書いており、ほほうと思いつつ聴いてみたんですが、いや確かにこれはちょっとカプフィルターかかってるかもという気持ちと、でも本編やサイストの描写などを踏まえるとそこまで不自然でもないのかも……という気持ちと、心が二つある状態になりました。サイストなどを読み進めるにつれて類から寧々への感情の湿度がわからなくなってきているので。神代類って想像以上に幼馴染のこと大切にしてるんだなという感想を毎度抱きます。毎回想定を超えてくる男。
 この楽曲内で繰り返される「なんだっていい」というフレーズからは「君」との「もう一度」のためなら手段を選ばない「僕」の固く強い意志を読み取れるのですが、寧々に再びステージに上がってもらうために司からの誘いを自分をある意味人質にしてまで利用するメインストーリーでの類の行動に重なる部分があると思いました。寧々に「もう一度」があるなら、幼き日に類の垣根を越えてくれたスターに今度は自分が手を伸ばせたら、「もう一度君に手が届くなら」、なんだっていい。類はもともと他者への関わり方が「おせっかい」気味と言えて(「純白の貴方へ、誓いの歌を!」参照)、中でも対寧々の時にその出力が最大値になっているように見える描写が随所にある、というかことあるごとに描かれています。幼馴染が彼にとって本当に大切で大事な存在なのだなと感じられて好きなのですけれど、類から寧々への想いって、寧々から類へのもそうですが、相手の幸福を心から望むものであり、相手の交友関係の広がりや精神的・技術的成長を自分のことのように喜んでいるんですよね。互いに「良かったね」と隣で祝福している二人の関係が好きです。で、この「相手の幸福へのひたむきで純粋な祈り」がこの楽曲の主人公が「もう一度」の先に求めるものが「届く」「話せる」「隣に並ぶ」などであることに凄く近いように見えるなと思いました。「君」との「もう一度」がどこまでも優しく、あたたかく、慈しみに満ちているんですよね。類から寧々への感情とこの楽曲で歌われている祈りの間にそう違いはないのかもしれないと思いますし、そういう点でもこの楽曲と二人の(というか類の)親和性は非常に高いと感じました。

寧々・類・ルカで「想像フォレスト」

※先に言っておくと、私はこの楽曲がカゲロウプロジェクトに登場する瀬戸幸助さんと小桜茉莉さんのキャラクターソングであることを十分に承知しています。この節では「歌詞のこの部分が寧々と類の文脈と似ている」という話をしていきますが、それはこの楽曲を寧々と類のイメソンであるとまで主張するようなものではありません。あくまでこの二人のために作られたこの二人のための歌である事実を大前提としています。その上でこれを読んでいるあなたが、あるコンテンツのキャラへ制作されたことが明確である楽曲を別のコンテンツのキャラと結び付ける行為への嫌悪感などが拭えない場合には、ブラウザバックか次の節へ目次から飛んでいただくことを推奨します。

 寧々と類の関係って確かに「想像フォレスト(あるいは空想フォレスト)」でのセトとマリーに似ている部分がありますよね。構図を重ねた状態で寧々と類を見たならば、セトが寧々、マリーが類といった感じになると思われました。周囲から理解を得ることを諦めて孤独に過ごしつつ抱いた希望と期待を捨てきれないマリーはワンダーランズ×ショウタイムに入る前や入ってすぐの頃の類と重なって見えます。また、ドアをノックして「世界はさ、案外怯えなくて良いんだよ?」と伝えて自分の内側に閉じこもったマリーを外へ物理的にも心理的にも連れ出したセトは、「全力!ワンダーハロウィン!」で類にセカイへ行く提案をしたり「わたしもえむも大丈夫。それにきっと、司もね」と言ってくれたりした、あるいはもっと遡って幼少期の在りし日に類の演出を「わたし、やりたいの!」と迷わず言い切っていたり他者との間にある垣根を感じてしまった類に彼の演出が好きだと真っ直ぐに伝え今日まで類がショーを続けられた理由の一つにもなっていたり、そんな寧々の姿と似ているように思えます。
 あと、「少年と魔法のロボット」のところでも述べましたが、お題主さんも「類と寧々に物語調の曲カバーがほしい」という切実な願いを綴っており本当に心から同意しました。ショーっぽい曲、この二人にも来てください。
 お題主さんが寧々と類に加えてカバーしてほしいメンバーとしてルカを選出しているのは「マーメイドにあこがれて」の文脈かなと思うのですが(違っていたらすみません)、「全力!ワンダーハロウィン!」の文脈重視で行っても成立するように思ったので、その場合KAITOも適当であると感じました。どちらにせよ、物語を演じているニュアンス強めのカバーではあるのでナレーションの役回りとしてバチャシンが一人入ってくれたら綺麗にまとまるように思います。

司・類で「厨病激発ボーイ」

 この曲のようにアップテンポかつ音域もそこまでの高音を含まない作品、めちゃくちゃ司と類に歌ってほしい気持ちがあるので聴いていてオススメしたくださった方の気持ちが凄くわかるな~と思っていました。「お気に召すまま」のサビでの二人のハモリが好きなので、この楽曲のカバーも上手くハマる気がします。もし実装されるなら途中で登場するリンによるパートはえむと寧々に歌ってほしいですね。こういった良い意味でごちゃついた賑やかな楽曲は「はちゃめちゃショーユニット」の称号を持つワンダショに是非とも歌ってほしいです。
 歌詞や楽曲全体のコンセプトという点では、ショーの持つ、魔法も夢も現実にしてしまう力を信じるワンダショが「厨二病」というフィクションと現実の境目の曖昧になった人達の歌を歌うのって凄く好きだなと思いました。サーチライトもエターナルフォースブリザードも放とうと思えば放つことができて、どれだけ荒唐無稽に見える発想であったとしてもショーならば現実にできるんですよね。魔法や超能力に対し真剣な「厨二病」は意外にもワンダショとの相性が良いのではないかと思います。

類もしくはえむ・類で「天才ロック」

 私はワンダショを、何度も何度も失敗を重ねながらも努力で求めるものを掴んで行くタイプである司と寧々、最初から感覚で上手く行く天才型のえむと類、と分類可能であると考えており、この楽曲はまさしく後者にぴったりだなと思ったのでこれを「類もしくはえむと類にカバーしてほしい」と仰っていたお題主さんに強い同意を示します。天才で何もかもわかってしまいこの世に飽きてしまうからこそ何も知らない「あなた」の手を掴んでしまうこの楽曲の主人公は、えむや類の思考回路を完全には理解できずとも二人の欲しいものを無自覚に渡してきた司と寧々を「あなた」とした時の二人に似ているなと思いました。あと、この楽曲や「チューリングラブ」など理数系の概念を中心に据えている作品はシンプルに類との相性がめちゃくちゃ良いですよね。さらに2番では宇宙のモチーフも登場し、星の観測者というえむの(正確に言えばえむと司が)持つ文脈を想起させられました。「あなた」の手を掴んだ先で、屋上階から飛び出し銀河の果てまでも向かってしまう、というラスサビ直前のフレーズは観覧車という遊園地で最も空に近いある意味「屋上」で、司に差し伸べられた手を掴み、「キラキラお星様」の光に導かれながらどこまでも遠く、それこそ「銀河の果て」まで目指すえむにぴったりだなと思います。

25時、ナイトコードで。

25時、ナイトコードで。で「メンタルチェンソー」

 感じている生きづらさを自虐的に歌いつつサビの終わりでは「奈落上等」とある意味開き直っているのがメインストーリーよりも前のニーゴのそれぞれに近いように見えると思いました。メインストーリーでまふゆに「誰よりも消えたがってるくせに」と突き付けられるまでは皆どこか自分の「消えたい」という気持ちを見ないふりしていたと思うので、歌詞では「↓ダ↓ダ↓ダダ↓DOWN↓」と物凄く下向きなのにメロディは驚くほど対照的に明るいというこの楽曲のちぐはぐさと相性が良いのかもしれません。
 個人的にはニーゴの中でも絵名との親和性が高いなと思いました。生きづらいのにその生きづらさを誰かに否定してほしくてあえて傷をどんどん開いている感じが、メインストーリーで「絵の才能がある自分」を肯定してほしくて絵を描いては投稿するのを繰り返しているけれど、同時になんでもいいから誰かに「これが東雲絵名である」とするレッテルを貼って自分の型を決めてほしいとも思って結果反応の伸びやすい自撮りを投稿しそればかりが伸びることで「東雲絵名は絵ではなく外見の方がアイデンティティたりうる」という大勢の評価をもらい余計に傷ついていた絵名に似ている気がしたからです。また、サビで「イヤ」という己の感情をむき出しにしている点も絵名っぽいですよね。まふゆや瑞希は貯め込んで飲み下してまさに「胸の中が澱のように濁る」タイプであり、奏は(少なくともメインストーリーまでは)そうした負の強い感情は無理にでも押し込めて「自分はそういうことを感じる資格がない」と考えるだろうから、この楽曲のように「ウザった キライだ もうイヤイヤイヤってNO!」とひたすらに「イヤ」と連呼するのは絵名だけだろうなと思います。

25時、ナイトコードで。で「チチンプイプイ」

 この楽曲にある「生きづらさを抱え痛みに苦しみながらも、逃げ出すわけにはいかず、逃げる選択肢を取れず、そんな逃げ出せないことからこそ逃避している」主人公に、25時、ナイトコードで。が結成される前の4人を感じます。消えたい自分を誤魔化すおまじないは何の効力も持たず未来は明るくならないけど、今この瞬間の痛みを麻酔のように一時的にでもなくしてくれる点で何度も口に出してしまう。根本的解決へと一人で向き合えるほど強くないけど、今日も消えずに息をしている。必ずしも救いのあるエンディングとは言えず、主人公が明日もおまじないで自分自身をだまくらかしながら痛みも生きづらさも抱えて生きていくだろうことが予想されるこの楽曲に、「K」の曲あるいは「雪」を始めとする仲間に出会う前の4人それぞれの姿を髣髴とさせられます。また、「Ctrl+Z」や「シャットダウン」といったパソコンの機能が登場しているのもパソコンで創作活動をするなどインターネットと深い関わりを持つニーゴに合うなと思いました。
 個人的には瑞希単体にも歌ってほしい気持ちもありますね。どうせ効果がないんだとわかっていてもそれでもおまじないを口にしてしまう、向き合うのが怖くて逃げだすこともできなくてそんな目の前の現実を忘れて刹那的に生きられればいい、といった感じのこの楽曲のニュアンスに「シークレット・ディスタンス」以降の瑞希と近い雰囲気を感じます。

奏・まふゆで「おやすみメトロポリック」

 まふゆから奏への想いと重なる部分がめちゃくちゃ多いなと思いました……!とりわけ「僕」と「君」の「夢」への認識の違いが凄く二人に近いように見えます。「僕」は「夢であってくれ」と現実には諦めがついたように悲観的であるのに対し、「君」は終始「夢みたくなれ」とあくまで現実への希望は捨てておらず夢は現実と完全に切り離された別個の概念とは見ていないんですよね。「灯のミラージュ」にて夢の中でまふゆが追想した「りんごを食べさせてもらう」という行為を現実に起こすことでただの夢で終わるはずだったまふゆのあたたかさを現実のまふゆと繋いでくれた奏を思い出します。また、「僕」が「君」によって動かされたものが何であるのかを自分でも上手くわかっていない点もまふゆと奏に被って見えました。「君」の言葉が動かした「何か」が自分にとっての何であるのかもわからず、「君」の言葉もただずっとわからないままで、それでも「君」の「おやすみ」にあたたかさを感じている「僕」は、自分自身を見失って何もわからなくなったけど奏の曲だけは心に届いていて、今奏の言葉や行動、笑顔にあたたかさを感じているまふゆと共通する部分が多いと感じます。この他にも本編でのまふゆと重ねられる歌詞が多く、まふゆと奏がカバーした時に乗る文脈の質量がとんでもないことになりそうです。

奏・まふゆで「深昏睡」

 「おやすみメトロポリック」とは反対に、奏からまふゆへの感情に類するものが描写されたものとして聴くことができる歌詞が多いと思いました。とりわけ「はっとした雨だって 置いていった傘だって 世界はあなたを救わないから」とそれに続く一番での「貰った靴で何処へ行こうか」とラスサビの「それなら此処で安心してもいい」の箇所が、誰にも自分を救えないからと消えようとしたまふゆの手を握って「わたしが作り続ける」と誓ってからまふゆにあたたかな灯を現在に至るまで灯し続けている奏の姿と似ている気がします。

 言及しておかないと私が落ち着かないので、サビにある「全部抱えて落ちてあげるよ」について私が「この部分は明確に奏とは違う」と思った話をします。読み飛ばしてしまって構いません。また、お題主さんを非難するといった意図は一切ないことも明記しておきます。
 奏は「落ちてあげる」ではなく、「まふゆが落ちそうになったらわたしが繋ぎ止めて引っ張り上げる。だからわたしが落ちそうになったらまふゆが手を掴んでほしい、そしたら自分で這い上がるから」みたいに言うと思います。書いてて思いましたがこれそのままメインストーリーでまふゆに「Kだって、本当は消えたいんでしょう!?」と問われた時に奏の返した言葉とほぼ同じですね。奏とまふゆの関係って暗い絶望の底に一緒に落ちていくようなものでは決してなく、暗闇の中に灯るわずかでも確かにそこにある光やそこにあるあたたかさを大切にしながら夜明けを目指していく人たちなので、むしろそういった仄暗いものとは真逆とも言えると思います。心中や一緒に落ちていくことが救いになる二人も世の中には存在しますが、奏とまふゆは明確にその人たちとは異なっている。ニーゴ全体もそうです。たまに「夜に駆ける」をこの二人やユニットのイメソンに持ってくる人を見かけますが、私はその度「いやこの人たちが夜に駆けるだったことって一回もないんですけど!?!?」とびっくりしています。大事なことなのでもう一度書きますが、この人たちが夜に駆けるだったことって一度もない。なので、そういう人と同一視されるのが本意ではなさすぎるため、「全部抱えて落ちてあげるよ」と奏との共通点の有無についての私見を述べました。

奏・まふゆで「真生活」

 メインストーリー以前からメインストーリー軸までの奏と似ている歌詞が多いなと思いました。たとえば「有り触れた 幸せの意味なんて 分かんないままだ」などは、自分は幸せになってはいけない人間なのだとの想いから過去の幸福だった日々の記憶を深く深くしまい込んで忘れていた奏を想起させられます。また、「ねえ ねえ 私を見てよ 明日また探すから」は「まふゆを救えるまでまふゆを救う曲を作り続ける」と誓う場面と似たものを感じました。他にも、「都合良い プロット 書き殴って バスタブ モルヒネを1000cc」という痛みや飢えを麻酔でなくすことで無理を押し通しながらどうにか日々を送っているように読み取れる歌詞に、メインストーリー前の奏と、というか雪と出会うよりも前の一人きりで曲を作っていた頃の生活を蔑ろにしていた彼女を思い出します。個人的にCメロの「最低な私に相応しいディナー 病的なまでに美学を詠って 蕩けた脳に問いかけた愛 もう会えないなんて言わないで」の歌詞が、「トリコロージュ」に近い文脈が乗りつつ、同時に「誰かを救う曲を作らないと」という「美学」をそれこそ病的なまで掲げていたのにずっと隣にいたまふゆでさえ救えていなかったと突き付けられたメインストーリーでの奏が「それでもまふゆの心には奏の曲だけが届いていた」と知り「消えないでほしい」というエゴでまふゆを救う決意を固めるところと非常に濃く重なって見えて好きでした。もし奏とまふゆでこの楽曲をカバーするならこの歌詞は絶対に奏の担当パートになってほしいです。

奏・まふゆで「ユメハミ」

 こちらの楽曲の歌詞は本編でのまふゆと重なるように感じられる部分が多くあるなと思います。どのサビでも共通して使われる「召し上がれ」というフレーズは食事を連想させますが、何を食べても味を感じられない描写が本編で何度もされており今後おそらく味覚という形でまふゆの変化が描かれることがあると予想されたり、「灯のミラージュ」ではりんごを「食べる」行為こそが夢とうつつを繋いでくれていたり、といった具合にまふゆの文脈において大きな役割を持つと言える食事に関連する歌詞があるのは、まふゆとの親和性が高く感じられる一因になっているのではないかと思われました。また、この楽曲の主人公の状態や「君」への想いなども本編でのまふゆと共通している部分が多いように感じます。例えば、漂ったり流されたりした状態にあること、「君」に望むのが自分を満たしたり与えたりしてほしいということであることなどは、本編で他者の望む「朝比奈まふゆ」というレッテルに合わせた形で生きて周囲に「流されて」自分で行先を決められなくなり「漂う」しかなくなってしまったまふゆが奏に自分を見つけて救ってほしいと思っているところと似たニュアンスを読み取ることが可能であると思いました。
 さらに、この楽曲のタイトルの「ユメハミ」とは漢字に起こすとおそらく「夢食み」になると推測されます。楽曲「再生」でまふゆの着用していた衣装に付属しているチョーカーの飾りは夢を食べるとされるバクであること、彼女のドレスの胸元にあるのは食べかけのリンゴの装飾であること、対応イベントである「灯のミラージュ」において「りんご」とはすなわちまふゆの「夢」の象徴であるという描かれ方をしていること。これらを踏まえると、首元にバクを持つまふゆがイベントストーリーにて奏にもらった「りんご」を食べたその時、彼女は「夢」を食していたとも言えるのではないでしょうか。「夢」を食べて飲み込んだから、目を覚ました後もその「夢」の中のあたたかさが自分の中に残っていて、現実でも思い出せた。そのあたたかさが奏の曲を聴いた時に抱いたものと同じであると気づくことができた。そういう構図が存在しているとすれば、この楽曲のタイトル自体もまたまふゆと相性が良いと言えると思います。

まふゆ・瑞希で「3331」

 聴き終えた時、最初に思ったのが「まふゆと瑞希にカバーしてほしすぎる……」だったので、これを送ってくださった方と固い握手をしたいです。曲中で自分の人生にもう希望なんて抱いていないと自身に言い聞かせるように何度も歌い、1番では「うっかり嵌って堕ちたって 誰も気づいちゃくれないよ」と言っている主人公が、それでもラスサビにて「でもうっかり嵌って堕ちた時 あなたなら気付いてくれますか」と「あなた」という一縷の希望を諦めきれずに、「あなた」がこちらへ手を伸ばしてくれやしないだろうかと願っているところが、本編でのまふゆや瑞希と重なって見えます。「自分を見つけようと思ったが、もうどうしようもないんだ」とセカイに籠ってしまったけど抱いていた本当の想いは「見つけてほしい」だった、そして奏が見つけてくれてあたたかいと感じたまふゆ。ずっとは一緒にいられないからほどほどに線を引いて今だけを刹那的に楽しめればいいと自分に言い聞かせるものの、それでも漠然とした「いつか」を諦めきれず、絵名が当たり前に提示してきた「いつか」に果たそうという約束に救われてしまう瑞希。どちらもこの楽曲の主人公と「あなた」の関係に似た関係性を持っていると言えるでしょう。もうほとんど諦めて絶望しているのに、どうしてだか一筋の光を探してそれに縋るのをやめられない、諦めの悪い厭世家。この楽曲で歌われる心情は、まふゆや瑞希との相性がとても良いと思います。

絵名で「どうでもいいや」

 この楽曲を東雲絵名の文脈で聴くなら、メインストーリーや初期イベスト時点での朝比奈まふゆへの感情のニュアンスが一番近いように思いました。「八方美人で才色兼備なお利口さん」に対し揶揄の裏で嫉妬しているこの楽曲の主人公は、自分の駄目な部分も現状の自分がそこから逃げ出していることも重々知っており、それを「お利口さん」から歯に衣着せぬ物言いで指摘されたり他の人あるいは自分自身に「お前は駄目」だと告げられたりすることと、それを知りながら行動に移せない自分自身を自覚することで、他者と自分の双方に激烈な嫌悪を抱いているように見えます。その後全部が全部もうどうでもよくなってしまう、という主人公の一連の心の動きは、「満たされないペイルカラー」のあたりの絵名の姿との共通点が多いのではないかと思いました。「八方美人は疲れたかい?」と鋭い嫌味を飛ばしておきながら自分が相手に「現実逃避がお上手ね」と返されると途端に「言わないで」と言い放った後にどうでもいいやと思ってしまうあたりは特に、初期の絵名からまふゆへのあたりの強さに近しいものを感じました。

瑞希で「なりすましゲンガー」

 Project DIVAが好きと散々公言しておきながらこの楽曲と瑞希の組み合わせがちっとも頭に浮かばなかったのは普通に悔しいです。お題箱に入ったこのお題を見た瞬間、全てを理解して変な声が出ました。楽曲の主人公である「僕」の「自分や他人を少し離れた場所から俯瞰して、すぐに諦めてしまう」部分が凄く瑞希と重なるなと思います。1番Bメロの「こわい、こわい、他人の心の奥底 いない、いない、いない、誰の目にも入らない」などはこれまでの体験もあり他者からどう思われるのかを恐れて、また大切だと思った人が離れて行ってしまうことが怖くて、誰かの視界に残らないよう努めている瑞希が思い出されます。他にも「ひとりぼっち、誰もいなくて 孤独な夜を何度も明かした」は「君の夜をくれ」の文脈と類するものを感じますし、それに続く「部屋の隅っこぽつんと咲く花に 勇気をもらった」の部分は孤独に苦しみ消えたいと思っていた瑞希がインターネットでたまたま出会ったKたちの楽曲に救われた時の瑞希の心情と似ているなと感じました。楽曲全体を通してやっぱり「逃げる」という行動を選んでいるところなど、「僕」の人物像は本編での瑞希と多くの共通点を持っているように見えますので、瑞希とこの楽曲の親和性はとても高いように思います。

ユニット越境

司・咲希・冬弥で「パジャミィ」

 まずイントロの時点から既にそうですが、楽曲自体がピアノをベースにしていてこの3人に合っているなと思いました!時折不協和音っぽいどこか一瞬「ん?」と引っかかるようなメロディが混ざっているのもいよわさんらしいです。
 「幼少期に暗い夜や苦い朝を過ごすための心の支えとなった存在とのどこか寂しさはあっても決して悲しくはない別れ」と「そうした存在は今も忘れずに胸の奥の夢の部屋にいる」ということを歌っているように感じたのですが、こうした楽曲のテーマが凄くこの3人にぴったりだなと個人的に思いました。司に明るい気分にしてもらっていたから大事な想いを忘れずに過ごすことができた咲希も、背中を押してもらったからかけがえのない相棒や夢と出会うことができた冬弥も、どうしても前に進めなかった時に司に救われていた人です。また同時に司自身にとっても、幼い頃から自分の行動で笑顔になってくれた二人の存在は大きかったのかなと思います。3人とも今はそれぞれの居場所を見つけており、それは互いではありません。そして、その事実を3人の誰一人として悲しいこととは考えていません。むしろ良い仲間に出会えたことを誰より祝福し喜んでいます。それでも3人は幼少期にともにいたことを忘れないし、彼らがこれから歩んでいく中で時折あの「子供部屋」での日々を取り出して眺めてはまた未来へ進んで行くのだろうと思います。
 「パジャミィ」では子供部屋という秘密基地で安心しながらひとやすみしていた主人公が部屋の外へ踏み出すようになる、という変化あるいは成長が描かれています。そして子供部屋で寄り添ってくれた相手は自分を「起こす」人ではありません。それでも暗い夜や苦い朝を隣で明かしてくれたことは凄く嬉しくてあたたかくて、「大事」なんですよね。3人で過ごしていた時間は司にとっても咲希にとっても冬弥にとっても、起こしてくれる相手が見つかるまでの「心の時間稼ぎ」だったのかもしれないなと思いました。また、そう考えるとやはり「まばゆい光のステージで」にて司が自身とトルペの共通点を見出し、ひいては忘れて置いてきて過去を思い出して大切に抱え直す際に一緒にいたのがこの二人だったのが凄く好きだなと思います。司のまさしく過去の部分に救われてきた人たちなので。

終わりに

 ここまで目を通してくださりありがとうございます。あとちょっとだけ締めの文章にお付き合いいただけると幸いです。そのままブラウザバックしていただいても全く問題ありません。
 既に聴いたことのあった楽曲であっても、このキャラのあの描写と共通しているな、などと考えながら聴くとこれまでとは違った発見がありました。また、Project DIVA収録外のボカロ曲にたいへん疎いため、今回初めて聴いた楽曲が本当に数多くあり、新しい音楽と出会うという意味でも非常に楽しかったです。お題を送ってくださった方へ心より感謝申し上げます。
 冒頭でも述べましたが、楽曲のオススメの他に私へ個人的なメッセージが含まれていたものに関しては後日Twitterで個別に返信するつもりです。ただ10月中旬に募集したお題の返信が1月になってしまったのでここからさらにいつまでお待たせするかは一切読めません。ご了承ください。
 それでは、ここで本記事はようやっとおしまいとなります。最後までお付き合いくださりありがとうございました。誤字脱字などの指摘があればいつでもご連絡ください。

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