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第十六回:なりふりかまわずどこかへ 

片岡義男『ドーナツを聴く』
Text & Photo:Yoshio Kataoka

ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。片岡義男が買って、撮って、考えた「ドーナツ盤(=7インチ・シングル)」との付き合いかた


旗照夫の『あいつ』という歌は、一九五八年に、なんとかという歌のB面として、コロムビアから市販された。一九六〇年に旗は東芝に移籍し、『あいつ』は『君の顔』というB面を得て、A面の歌として再発売された。一九六〇年から一九六三年のシングル盤を紹介する。石原裕次郎。赤木圭一郎。フランク永井。平尾正章。三橋美智也。店舗で買うときには無作為のはずだが、あとで見ていくと、見事にヒット歌謡になっている。


一九六二年の僕は大学生だった。高校を出て仕事につくのは怖かった。猶予期間が必要だと真剣に思った。だから僕は大学へ進学した。猶予期間を手に入れるためだ。四年あればなんとかなるだろう、と思ったことはよく記憶している。

その他のことになると、まるでおぼつかない。アメリカがヴェトナムに軍事援助司令部を置いたのが一九六二年のことです、と言われても、そうだったか、と思うだけだ。東京の常住人口が推定で一千万を越えたという。人は増え続ける。施設は貧弱なままに。東京ではスモッグが話題になったそうだ。大学の文学部における女性の比率が上昇し、女子学生亡国論、というものが盛んにとなえられたという。首相の私的な組織である「国づくり」懇談会が開かれたそうだ。これに呼応して、「人づくり」懇談会というものも出来たという。このふたつが連続している。

これらのことに変化はないまま、一九六三年になると『鉄腕アトム』の放映がTVで始まったという。ボウリングが人気となり、バカンスや三ちゃん農業が人々の話題になったそうだ。三ちゃんとは、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんのことだ。アメリカの原子力潜水艦が日本に寄港する、とライシャワー大使が日本政府に伝えたそうだ。アメリカと日本のあいだでTVの宇宙中継の実験が成功し、日本はケネディ大統領が暗殺されたニュースを受けた。

日本がなりふりかまわずどこかへ向かっていたことは、確かな感触として伝わる。その日本に、僕は大学生として加担していた。



片岡義男
かたおか・よしお。作家、写真家。1960年代より活躍。
『スローなブギにしてくれ』『ぼくはプレスリーが大好き』『ロンサム・カウボーイ』『日本語の外へ』など著作多数。近著に短編小説集『これでいくほかないのよ』(亜紀書房)がある。 https://kataokayoshio.com



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