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ウェルカム手ほどき


私がこのごろ、人生の先達ともだちの皆さんから受けていると感じる あたらしい世界への「ウェルカムてほどき」的な感覚や、その後押しをする眼差しについて書きました。

私は先日20歳になった。

18歳から成人だよとは言われていたものの、実際にはお酒も飲めなければタバコも吸えない(法律上は)ということで、実質的な中身の伴わないフライング成人が二年くらいあった感じだ。

助走が長すぎて、今私はなにをやってるんだ?という感覚だった。なんか数日前にマラソン大会(公式)が始まりました!て言われたけど、二年ウォーミングアップで走ってたので、「は...はあ...🏃🏼‪」みたいな感じでぬるっと大人になった。
なんだろうはたちって。
でもなんとなく、私の中では「ようやく」な気がする、ようやっと仲間に入れてもらった気がする。
なんの仲間かはわからないけど、ようやく外部に広がっている世界が 自分のことも見てくれるようになる感じ。




大人の世界に仲間入りをする、という意味では、やはり色々なことが新しいスタートである。

私の交友関係では、さまざまな分野の見識にゆたかに長けた先達がいらっしゃる。
(仲良くしてもらっている先輩方から、このような要素をみせてもらえたり、きさくに分け与えてさえもらえたりする、これは本当にこの上なく 文字通りに有り難いことだといつもいつも思っている。)
そのような先達ともだち、の皆さんから、色々なことにウェルカム手ほどきをされているような場面がこのごろちらほらとある。

その大きなひとつとして、最近あった大学のお兄さんとおでんを食べたことの話がしたい。

🍢🍶

先日、大学で一緒に教職の授業を受けている男の子と一緒にご飯に行くことになった。

春に授業でたまたま隣に座って、それ以来その授業ではなんとなくずっと、きまっていちばん隅っこの席に一緒に座って受講している。

特段お喋りもしないで、お互い好きにまったりしながら座っているんだけど、なんとなく仲良しな気がするみたいな感じだった。
(その授業しか会わず、しゃべらないのに自然とかかさず一緒に受けてるのもなんか面白い。)

大して言語でのやりとり(会話)がなくて、なんか得体がしれぬひとだな〜とは思っていたのだが、話の流れでごはんに行く運びになったのだった。

(授業中、先方がふいに屈んで私の椅子の下にニューンって手を伸ばしていたからおおどうしたかなーと思ったら、私の櫛が足元に落っこちていたみたいで、黙って手渡してくれたことがあった。私も黙って片手をあげて(輩?)謹んで受け取ったのだけど、その時はなんか非言語のパスって、喋るよりも色気があるなと思った。)(なんのこっちゃ)

あらかじめ「何食べたい?」とLINEがきていたんだけれど、
日程決めのやりとりのなかで「俺は週一でしか大学行ってないから」と来ていて  且つそのひとが所属していると言っていた学部のゼミに 同じく所属している同級生数名と会話をしていたとき、彼の名前を出しても「だ、誰?」と狼狽えられたことなどを急に芋づる式に思い出した。
そこで私内での先方への得体の知れなさがものすごい勢いで加速し、私はおっかない人だったらどうしよう...と思った。前情報としては「得体が知れない」の種類がちょっととんがっているのでは? 何者かしら...と心配寄りになってきた。


そのような脳みその回転を経て、私は取り敢えず扁平足用のガチインソールを差したスニーカーで会いにゆき(いつでも走ることができる)、
また、ごはんの提案はおでんにすることにした。

秋、ほかほかのおでんを前にして、ノスタルジック&リラックス状態となった人間はやさしくなるのでは。あたたかおでんの前で悪いことができるひとはきっといないであろうという考えからである。(素朴たべものが人間の性善を引き出す説)


そんなこんなで(?)授業終わりに一緒におでん会となったわけだが、
そこでの空間はとてもおだやかだった。

先方はなんやかんやあって何重にも学年をだぶっていて、大学の座敷童子的な存在だねえと話してきた。
いまは教職だけ取り直すために大学に来ているようだけど、私のよっつか五つ上の、学年は一個上という面白い話だった。そうか... と思ったけど、大学って色々なひとがいるね。

同じ授業を受けながら、一年強タメ口で話していたので(というかほぼ会話がなかったけど) 急に振る舞いになにかが変わるというわけでもなく、授業中のそのままの温度感でたらたらと話していて、
でもやっぱり言われてみれば相手がグッと大人に見えてもくるのだった。

私はともだちが急に竜宮城に行っておじいさんになって帰ってきたみたいな思いで、いや〜じっさい歳は上になってきちゃったんだろうけど俺ん中じゃあおんなじ土俵だしなあ......みたいなちょっと不思議な気持ちでそこにおり、自分に近いところから無心で練り物を取って咀嚼していた。

そこで、お兄さん (でした)(大学生ってみな年齢不詳だからなあ) がおもむろに取った煮卵が半分に割れてこちらに転がってきたので、話のたねにも、と思って「あっ、卵食べたかったので分かれててよかった!」とへらへら話し掛けた。
そうすると いまのとこ2個あるやつしかとってないよ、ゆっくり食べてーとかるく言われた。私はまったくそのようなことは頭になく、結構ちょっと豪華目のねりもの(大きいやつ)も喜んで食った。一個しか無かった気もする。
くー、やっぱりお兄さんであったと思った。(?)


お座敷のおでん屋さんは室内があったかくて、東京に居るのでは無いように思われた。
でも地元の山形を思い出すというわけでもなかった。概念としての「田舎」っぽい空間がそこにあり、おでんをつついている狭い店内が穏やかなことが嬉しかった。



元々これは、お酒を一緒にのもうという話があって、そこから「何食べたい?」と展開した会だった。
そのため、注文の際になんとなく酒類を飲まないといけないかなあ、でもビール(純粋なビール)って飲んだことないからなあと考えていたのだけど、初めて飲むんだったら味見にしてみようと 私は烏龍茶を頼んで、ビールは一口だけ分けてもらうことになった。

ビールはにがい、別に美味しくないと話に聞いていたけれど 私はまずくないなあと思った。ひとくち飲んで、私は「メッチャ麦!」と思ったのでそのまま述べさせていただいたらとても笑っていた。

そのあと、おでんを二人ですぐに美味しくつつき終えてしまったので もう一軒くらい食べに行こうかという話になった。
さっきはビールひとくちだったので、なにか折角だからちゃんとした(?)お酒を、弱くなかったら飲んでもらったらいいよねーと考えてくれていた。

私はもう割かしどこでもって思っていたけれど、先方が「お酒や呑みのお店が怖いものだとか、嫌なところだったって思わせたらすごく悪いからね」「責任重大やんこれ...」と一人かなり考えてはバーっぽい店のドアをちょっと開けたり店内を覗いたりして、ここは暗すぎ、とか 「いまねご婦人が旦那さんとディープにいちゃついているわ」とか言って なんだか奔走してくれていた。
やや面白い。優しいな。

私はただついて行って、旋回をすればそのように倣って歩いていた。(楽しかった)
道中で先方は 私がえぐい厳しいゼミに入っているのを知っていて、「A(先生名)ゼミの紐つきだから、変なとこ連れていって変につぶしたら俺にあすは無いしな...」と笑ってもいた。
(鬼ゼミにもこうして守られることがあるのだなあ)



結局あかるくて綺麗なカジュアル洋食屋さんみたいなところで、メニューを見ながらこのへんは強くて興味があるなら、この辺りなら弱めだよ、この辺りのお酒は味が甘くて美味しいんじゃないと話しながら  私が「桃だー」ということで惹かれたファジーネーブルをゆっくりのもうとなった。

希望のままに牛串とモンブランを頼ませてもらって、(異色)、水を飲みのみ初のファジーネーブルを飲んでお喋りをしていた。私は何杯かいただいたけど、自分がそうそうお酒に弱くなさそうということが判明した。しんどくないかと折々で訊いてくれたけど、私のほうが割とけろっとしていた。
ファジーネーブル、とても美味しかった。穏やかに、人とお酒をちゃんと飲んだ。

「きれいでそんなに強くないお酒を、ちゃんとしたとこで飲んでみよう」と言って 先方がわたわた探し歩いてくれていたところを見ていて、寧ろ私(本人)の方がボケッとしていて実感ナシという感じで着いて行ったような感覚だったけれど、帰り道でじわじわと とても有難いことだったなあと思った。


なにかの世界に、「ようこそ」と新人の来訪者を迎え入れるうえで その世界がおもしろいこと、まずは怖くないということを 伝えられたらいいと頑張ってくれるのは、
わたしの周りにそういう大人が(ほんとうに本当に有り難いことだ)ちらちらと浮かぶけれど なんとも尊く格好いいことだ。
とってもありがたい。

向こうは、同級生はみな働いていて、そもそもひとと食事をするのが遠く久しぶりだったと言っていた。だから、そのように誰かに思い遣りを渡すことを思い出したかったのかもしれないし、
なんかまあ長期的にみて何か小娘から頂戴したい要素があって、その前段階的な餌だったのかもしれないとか まず考えたらいろいろ分からないけれども、
やさしい先達に手を引かれて一緒にはたちのスタートを切れた(切れている)、大人の世界を お供に着いてきてもらいながらに探検させてもらえたという事実だけでも嬉しいことと言うのは変わらないような気がするし、たぶん単体の経験でも絶対に私にとって大きく幸せなことだった。
やさしい先達といろんなドアのドアノブに手をかけられている今って、それ単体でびっくりするほど幸せ者なのではないかなあ。


お酒の怖さ、飲みのお店の怖い面も必ずまだまだあるのだろうし、これからこの身でまた味わわなければいけないことだってあるのだろう。
でも最初にきれいで美味しいものを飲んだから、転んでもなんとなく戻ってこられる気もする。
私はよりそうだという感じがするけど、初めってとても大事だ。やっぱり。最初の土壌は大切なことだから、やはりどうしたっても有り難いことだったなと思う。ありがとう。

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