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忘恩と不知恩は恥である

 恩とは、自分に対して何かをしてもらったときに「ありがたい」と感じる心である。

 そして、「恩を感じる」というのは、人間にしかできないことであり、「恩を感じない(不知恩)」と「恩を忘れること(忘恩)」は人として最低の行為である。

 君には今、世話をしてくれている人がいる。また、様々なことを教えてくれる人がいる。君だけでなく、多くの人は、そういう分かりやすい「世話」や「話を聞いてくれたこと」に感謝している。恩を感じている。

 が、それも実は「周りがやっているから」で、「こういうときは”ありがとう”と言うもんだ」と思って習慣的に口にしているだけ。結局、恩を”感じて”いないからどこかで無礼な振る舞いをすることになる。

 たとえばみんなでやっている当番。

 当番は指名されてやるものだ。そしてみんなが順番にやるものだ。だから、自分が当番でないとき、自分はのんびり過ごしているだけなのに、当番の者が仕事をして、結果として自分たちの環境が整うことには誰も感謝を口にしない。そういう者に限って「当たり前のことに感謝することが大事」と言っているのだから矛盾にも程がある。

 女性を食事に誘う。こちらは当然ごちそうするつもりで誘う。だから会計はこちらがすべて払う。だけどその時、少しもお金を払う素振りがない女性と、わかっていても財布を出したりして「私も出します」という雰囲気を出せる人がいる。当然、前者は二度と誘わない。「恩を知る人間」としての振る舞いができていない人とは付き合いたくないからだ。僕は、こっちが金を払う立場でも、コンビニの店員にすら礼を言います。

 事実として相手が「やろうとしていること」だとしても、それを当然のように受け止める人間とそこに感謝できる人間では、その後の人間関係や仕事に大きな差が生まれる。

 「親がもともと引越しを考えていた」からどれだけ費用がかかろうが、どれだけ手間がかかろうが、それは親の責任であり、こっちがその利益を受けるのは当然というような振る舞いは、「不知恩」そのものであり、人として最も恥ずべき行為である。その引越しが君の不健全な振る舞いの影響もあってのことならなおのことだ。

 そんなことを、こうして書かれなければ理解することもできない自分の内面もまた、恥ずべきものであることを理解しなければならない。

 恩は本来、「感じる」ものである。

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