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消える湖とシルクロード、死海

上の地図はローマ時代のローマ街道です。

このローマ街道の地図をみれば、当時の気候でどの地域まで人が生活でき、どこまで街が拡がっていたか推測できます。黒海から北の地域は地表を氷が覆い、穀物の生産も出来ず、まだまだ寒冷な気候で人が集団で住む「街」ができていなかったのではないかと推測できます。

氷河の溶融で出来た湖

世界的な巨大湖には、稀に地球の裂け目で水深が1500mにも及び、何百万年、何千万年以上(バイカル湖、タンガニーカ湖は最も古く約2000万年前)も消滅しないものもあるが、一方普通の湖は周囲の山脈での氷河の溶融した水が低地に集まり湖となり、それらが川や水蒸気として蒸発ののち雨となり海に流れ込み、海の流れ込んだ水は乾燥した地域では降雨として再び湖に還れないから湖の水位が下がり、消滅し、盆地状の砂漠などになってしまいます。
死海はもちろんカスピ海、アラル海などの巨大湖も長年にわたる水面の低下が伝えられており、一般的には淡水湖での水面低下は農業などの取水が主要因に考えられているが、むしろ、流入する河川からの給水の減少と蒸発に伴う水位低下が中心で湖が消滅していると考えたい。

寒冷な地域には湖が多い


北欧からソビエト、5大湖から北のカナダ北極圏に近いあたりには非常に湖が多く、南極に近いチリの南端部地方も湖が多く、高緯度ゾーンだけでなくチベット、ペルー、スイスなどの高い山々に囲まれた標高の高い国にも湖が多い。いずれも寒冷な気候で氷河の溶融が遅れていることや蒸発量が少ないことが原因でしょう。

人の作用もあるでしょうが


約1万年前の温暖化の始まりから太陽熱が強い地域において地表面を覆っていた氷河がより速く溶けて、河川や空中への蒸発を通じての海への流出や地下水となり、温暖な気候から人類が住みやすいことも加わり、牧畜、農業、文明の進化が地下水の利用を促進し、氷河溶融初期には多く散在したであろう湖の水量も減少し、徐々に乾燥し、ついには巨大な乾燥砂漠地帯となった。

シルクロードの発生と消滅


チベット高原の北側のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠も同じ経緯で、天山山脈、コンロン山脈、ヒマラヤ山脈などに蓄積された氷河が溶融した流水から川や湖があったからこそ初期のシルクロードの開設が可能であり、徐々に氷河の蓄積が減少し、湖や河川の水が減少して乾燥した後は、オアシスの深井戸などから水を補給して、東西交易ルートを維持できたものと考えます。川や湖が消えれば、シルクロードのラクダも歩けません。

死海はなぜマイナス400m以上なのか

死海やその北のガラリア湖がなぜ海抜マイナス200m以上かについてどこかに資料や記録はないものかと探してみましたが、どうも記録や資料はなさそうでした。

真水のガラリア湖はゴラン高原などからの流水量に比べてイスラエルの農業用水の取水が多すぎるのでどんどん湖の水位が低下したのだと理解できます。

一方、海水で、しかも超高濃度で魚も植物も全く生きることが出来ない死海の水は誰も利用していません。いつからマイナスの水位になったかの記録もなさそうです。イエスキリストのヨルダン川での沐浴も川幅5mほどの現状の流量では、どこかで歯車が狂ったとしか思えません。

ヨルダン川の上流部のヨルダン国側では深井戸ポンプで地下水をくみ上げ、大型ビニールハウスなどでいろいろな野菜を栽培していました。特に白い大きなジャガイモは印象的でした。表流水がほとんどないヨルダン川の平地は広大ですが、対岸はイスラエルで中間ゾーンには地雷が敷設されているのであまり歩いたりカメラを向けないようにと注意されました。

ヨルダン川を下流に下り、死海に近ずくと水が希少なため貧しい人が多くなり、皆さんあまり洗濯ができていない衣服を着ておられました。

集落部の道路脇には軽機関銃の完全武装の兵士から銃口を向けられた感じで検問を受けますので、平和ボケはいっぺんに治ります。

あちこちで湖の消滅が起きています。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27125420Q8A220C1000000?channel=DF260120166531&page=2