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ディルムンdirumunはどこだ

ペルシャ湾の交易港

メソポタミア文明とインダス文明の船での交易ルートに、ディルムンdirumunという港を介していたことがシュメールの楔形文字に記録されウルクの神殿跡から発見されている。

メソポタミアからは錫、毛織物などを輸出し、宝石、瑠璃などを輸入していたらしい。紀元前3000年代のことであるからメソポタミアの葦船にて陸地沿いに季節風を利用しながら往復していたのであろう。

一般的にディルムンはバーレーンの港と推測されているいる。ただ、航海には新鮮な水が欠かせないことを考えると、ドバイの北東80kmオマーンのムサンダム半島の西側にあるアル・ジャジラあたりも有力な気がするのだが。ディルムンの記録上の表記はだんだん少なくなり、紀元前13世紀頃ではアッカド王朝に植民された記述もあるらしい。

ムサンダム半島

ホルムズ海峡に突き出たムサンダム半島は標高1800m以上の峰々が並び、ペルシャ湾南岸沿いで大半が平坦な砂漠地域のなかで、特別高い山岳に蓄積された氷河の量も多く、溶融して水になっても地下水でのボリュームも大きかったと想像できる。葦船で大きな船ではないの天然の良港より、新鮮な水と食料の調達が第一条件と考えると、ドバイの東側の平野は東側の大きな山脈の氷河の雪解け水を利用した小麦生育などに好条件を備えていると解釈できる。

ナバテア人の隊商ルート

ナバテア人の隊商ルートの地図では確かにバーレーンであるが、紀元前2世紀ごろから活躍した人の情報であり、1000年以上前の交易港が載せられるとも思えない。
このルート図は氷河を蓄積できそうな紅海沿いの山脈に沿った南北ルートはともかく、地下水が少ないであろうサウジアラビアの内陸部を縦横無尽に走破しており、現代の地理・気候感覚で2200年前のナバテア人隊商の状況を推測することがいかに困難かを思い知らされる。