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フィリピン人女性の日本での苦悩〜エンターテイナーとしての人生〜

(前回あげた記事と同じ内容です。当時、著作権に疎かったため、写真を変えました。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。)

こんにちは!

今回の記事では、フィリピン人女性のエンターテイナーとしての生活を、歴史をたどって書こうと思います。読んでいただいたら、どう日本は多文化社会に進んでいるのか、そして個人として、どう違う文化の人と共存していけばいいのかの皆様へのヒントにもなると思います!自分のお母さんも、このエンターテイナーの一人だったので、母の実話も交えながら書こうと思います!

なぜフィリピン女性は日本へ?

そもそもなぜフィリピン女性は日本で働くことになったのでしょうか?それは、オイルショックと関係があります。ここでいうオイルショックとは、1973年に起きた第四次中東戦争への対応として、石油輸出国の国々が石油に輸出を急激に引き上げたことによる不景気の呼び名です。フィリピンも、これによる経済的な影響を受けていました。これを受けて、当時のマルコス大統領は、海外での雇用を促進する政策を打ち出しました。経済的に発展した国で働き、そこで得た技術をフィリピンにも輸入し自国を発展させることが狙いでした。これによって海外で働くフィリピン人の人数が増えました。さらに、1986年に大統領に就任したアキノ元大統領は、海外で働いているフィリピン人の安全を保障する政策を打ち出しました。この結果、海外で働くフィリピン人女性の人数が急激に増えました。自分のお母さんもこの時期に、日本で働こうと決意していました。家族を養うために、自分が日本で働いてお金を稼ごうと思っていたらしいです。日本で働くために、田舎にある実家から飛び出し、大学での勉強をあきらめて、フィリピンの都市、マニラでエンターテイナーになるためのスクールに通って、日本でエンターテイナーとして働くようになりました。

エンターテイナーとは?

では、そもそもエンターテイナーとはどういう仕事なのでしょう?そして、どうやってなるのでしょうか?まず、エンターテイナーとは、人をエンターテイン(楽しめませる)人々のことを言います。フィリピン女性のケースだと、踊りや歌を歌って、人々を楽しませることが仕事でした。(そのこともあり、フィリピン人の歌がうまいという話が広がったのかも、笑)そして、それをしっかりと仕事として成立させるために、彼女たちはスクールに通って、エンターテイナーのプロとしての資格を得るために、日々勉強と練習をしていました。ライセンスを取得した後は、スクールなどの紹介を通して、エンターテイナーとして仕事をし始めるのが多くのケースだそうです。私のお母さんは、スクールの紹介で秋田に行って、仕事をしていました。そして、歌を歌ったり、ダンスを披露して、日本人を楽しませるお仕事をしていました。 

エンターテイナーの現実

しかし、一見華やかに見えるような仕事ですが、実際は非常に厳しい仕事でした。まずは労働条件の厳しさ。月曜から土曜日の午後7時から午前4まで働かなくてはいけません。さらに給料は10万から15万しかもらえません。売り上げの多くは経営者に取られてしまいます。しかもその給料から彼女たちが住んでいる寮にもお金を払わなければなりません。最悪のケースは、お客さんに体を売ってお金を稼いで、寮の宿泊代を賄うこともあります。そして、日本人からのフィリピン人女性に対する差別も、彼女たちの生活を精神面的に苦しめていました。「じゃぱゆき」という差別的な呼び方をされ、経済的、文化的な違いから、日本人から見下されたというフィリピン女性はとても多かったです。こんな過酷な状況でもエンターテイナーを続けていた理由は、不法滞在のフィリピン人女性が多かったからです。フィリピンに戻ってしまったら、またお金のない生活に戻り、自分も自分の家族も生きていくのが大変になるという考えで残る人が大半でした。そのため、不当な扱いをされても警察にも訴えることができず、現状を維持したまま生活を送っていました。

そしてエンターテイナーからの脱却へ

しかし、彼女たちも人間です。同じ人間なのに、違う扱い方をされるのは、人権に反しているのではないかという世論も広まり、彼女たちの人権を守る人々や団体が増えていきました。その流れで、彼女たちの新しい職業も生み出されました。その一つが、介護職、ケアギバーと呼ばれるものです。高齢化によって増えた高齢者の方をサポーとするという立場に立って、不平等な扱いを強いられるエンターテイナーとしての生活から抜け出すことができる人が少しづつ増えていきました。まだこれが完璧かどうかはわかりませんが、このような異文化の背景を持った人が徐々に活躍できるようになるのは、今後のグローバル化にはとても必要なことです。

今回はここで終わりたいと思います。エンターテイナーとしてのフィリピン人女性の生活、どう思いましたか?なにかと元気で明るいフィリピン人というイメージを持っている方も多いと思いますが、かなり大変な人生を送っている人はかなりいます。あまり知ることのないフィリピン人女性の過去(まだ現在進行形でもあるかもしれませんが、、)知って、なにか思ってくれることがあればと思います。個人的には、この話は、今後の日本の移民受け入れについて非常に大きな役割を果たすことができると思います。今、過去を学び未来を創る。この言葉を、フィリピン人女性のストーリーは表してくれるのではないかと思います。またいつか、日本のフィリピン女性についての記事を書いてみようかと思いますので、楽しみにしてください!

では、最後までご覧いただきありがとうございました!

長谷川 大知 

私が代表を務めている、英語でプレゼン、イベントをしたい人をサポートする団体も是非チェックしてみてください!

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