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【個人的投稿】2022年振り返りと来年抱負

年末年始を振り返るというのはここ10年くらい行っている。がここ3年はその振り返りを敢えてやってこなかった。何故なら私は2019年年末に血液癌ステージ4である事が発覚しそれからの生活全ての目処が立たなくなった。そして一年後再発し去年の今頃は救援化学療法の3クール、自家移植の為のハーベストを終えて一時帰宅していたのが去年の今頃だ。

「多分1年を振り返る、来年の抱負を立てる」というのは平和だから出来るお気楽な事なのだ。私の知り合いの私と同じ癌を9回再発したIT経営者は3ケ月先しか予定を立てないそうなのだ。何故なら彼が次いつ再発するかいつ死ぬかわからないからだ。今も彼はそう生きている筈だ。

とは言え上記のことを知り合いや友達に言うとドン引きされるのは目に見えている。よってここで自分なりの考え方、感じ方をまとめておくのは有益でないかと思い綴っている。

今年の振り返り

今年の経緯

今年は1月に救援化学療法4クール目を行った後、2月頭から無菌室により自家移植を行った。自家移植とは自らの造血幹細胞を取り出し冷凍保存しておく。しかるのちに無菌室に入り抗がん剤を3倍〜5倍の量を投与する。通常抗がん剤治療は造血幹細胞に影響を与えない程度に投与するがこの場合は徹底的に抗がん剤で癌細胞を滅多撃ちにするので造血幹細胞も結果的に死んでしまい自分で血を作れなくなる。だから大量抗がん剤併用自家移植を行った後に元々造血幹細胞を移植するという訳だ。移植といっても手術ではない輸血のように点滴で戻すと何割かは骨髄に行き生着する、という訳だ。

自家移植は姉に来てもらいインフォームドコンセントを行いもしもの時にいかなる処置をするか細かい同意書を交した。危険な治療ではあったが何故か想定よりずっと少ない副作用のみでそこまでダメージを負う事なく退院出来た。

3ヶ月間の自宅療養を経て無事社会復帰をした。3ヶ月後とは言え血球レベルは正常な人の半分であり今なお半分くらいである。目に見えるダメージが少なかったとは言えそれはそれなりの治療を潜り抜けたので自覚症状がないところでダメージはある。だから在宅勤務中心を希望したのだがここで人事とえらく揉めた。上司に対しては事前にプレゼン資料まで作ってオンラインで状況報告をしたので病気や治療のメカニズムを多少なりとも理解して貰えた筈だ。とにかく理解が少ない病気なので先回りして理解してもらえるように取り計らうのが大切だ。うちの会社は主治医もいるので血液検査データを見せたら勿論主治医には理解はして貰えた。にも関わらず人事は不公平とかなんとか言い出して出社中心になる感じになった。程なくコロナがさらに第何波かが来て会社全体が在宅推奨となった。よって今復帰して6ケ月だがほぼ在宅中心で仕事は行っている。

プライベートは勿論盛場に出る事はなくひたすら身体の改善、身体について学ぶ事、睡眠、食事に気を配っていった。やる事を減らし付き合いも減らしていく。そんな毎日だ。人から見たら恐らく可哀想な人と思われるかもしれない。でも敢えて言おう。ここ三年で今が一番幸せである。それはDoimgでなくBeingに目覚めたからである。止まる事によって感じる力が増し生きている実感が湧いたからである。禅や瞑想などしなくても私はただちにマインドフルネスの状態に入っていける。

次に自分と自分の周りに起こった変化についてまとめておく

①社会との関わり方の変化

まず出世がなくなった。悪性リンパ腫は60歳を境にぐっと加速度的に罹患率が上がる。私も病院内ではダントツで若かったが会社では中堅・ベテランにあたる。三年間止まった事によるキャリアダメージはデカい。お陰でこの数年で若手は中堅に、自分より若い世代がどんどん出世していった。別に出世は望んでいたわけではなかったがこの上なくはっきりと今後の会社での立ち位置は判明した。当たり前の話で命にも関わる病気をして出世を望んでも仕方ない。仕方ないことではあるが全く無感情という訳にはいかず嫉妬の思いがあるのは否めないのが正直な所だ。だけどしょうがない。働きながらキャリアチェンジを今後も模索していく事になるのだろう。

友達や先輩、後輩との付き合い方も変わってしまった。若くして癌患者になった人は人の見方や付き合い方が変わってしまう。私が癌罹患して色々な人達がメッセージをくれたりお見舞いしてくれた。逆に知らんぶりを決め込まれた人もいるし余り適切とは思えない不快な言葉を投げかけられた事もある。近くにいて無茶仲良しと思っていた人が声をかけて来なかったり自分にとって全く遠い存在だった人がこまめにメールをくれたりした。

それは自分に大きな意識変化をもたらした。

去年癌でお亡くなりになられたセクシー男優の沢木和也さんも遺作の中で「あれだけ世話をしてやった後輩が何も連絡を寄越さない一方でそこまで接点のなかった人が自分の為に動いてくれて感激、感謝している」と言うことを書かれていてああ、この人も自分と同じようなことを感じておられるのだなと思ったものだ。

私が思うに社会人になり会社に入ればお酒を飲んだり、プライベートでも付き合うのが仕事場の人間関係が多いと思う。だが私の仕事関係で声をかけてくれたりメッセージをくれたのはほんの一部だった。上司も後輩も同輩も私の休職による会社内での影響しか目を向けていなかったし私と言う人間の言う事は重要視してはくれなかった。

考えれば逆の立場だったら自分はどうしただろうか、と言う事である。不快感は感じたがそれは私が過剰に仕事絡みの人間関係というものを過剰に評価していただけのような気もしているのだ。執着があった。期待という病があった。少しドロドロとした人間関係を築いてしまった。その発端や要因となる人物はわかっているが彼らからは今私は距離を置いている。

2回の休職で社内の人間がいかに社内の人間関係や愛憎に支配されているかがわかった。命からがら治療を終え復帰しても彼らは会社という箱の中の半径5m範囲の人間関係に常に支配されている。それは自分の地域や周辺の人間関係しか興味のないマイルドヤンキーそのもののメンタリティだ。

もうそんなのは沢山だ。

それとは別に六年間在籍していたとあるコミュニティからも脱退を決める事にした。その人達はお見舞いにも来てくれたり声をかけてくれたりしていたので出来れば離れたくなかった。その男性コミュニティは「女性・お金・筋肉」を得ることを主眼に置いたコミュニティだった。そこからの学びはあり楽しみもあり思い出もあったがどうにもこうにも自分の考え方が変わってしまったのが原因である。そのコミュニティの真髄である思想と自分の思想に埋めようもないギャップが生まれてしまったのだ。

健康とは単に病気であるかそうでないかという話ではない。自分自身の幸福観、人生観とも関わってくるのだ。

自分はある種目を背けられない真理を知ってしまった人間であり今後はそこから学んだ事やどん底で感じた願望を突き通す人生を送る事となる。

②身体の事についての理解向上

再発したら数年後にこの病気で亡くなる可能性が高いと主治医に言われている。私の考えは癌を消す方法を考えるのではなく今ある残存資源をどれだけ有効に活用できるかあるいは伸ばしていくか、そしてそれを如何に最速でアップさせるか、これを考えている。これが自分が闘病で導き出したこれからの生存戦略である。

身体を考える上で「身体能力」と「身体操作」は分けて考えるべきであるという事をここ数年で理解した。殆どの人は身体改造、リハビリをする時に筋トレを考える。ここ数年色々学び続けた結果、筋トレってかなり副作用が強い。単一筋群、決まった動作で筋肥大を目指す方法は「動き」を目的にする時は弊害が大きい事が分かっている。その弊害を理解した上で筋トレをするべきだが今の世の中は悪しき「筋トレ万能説」が蔓延っている。

次再発しようとしなかろうと自分はまず身体を最大限大事にして能力を引き出さなければいけない。自分は前提として体力を失った、背骨を骨折した、偽痛風で膝の動きが不自由という現時点での制約条件がある。そして目的として何処を目指すのか。私はもし許されるなら趣味のブレイクダンスをもう一度して願わくば病気前以上のパフォーマンスをしたい。だが私に接してきた巷のトレーナーさんは自分の目的、目指す方向を見ようとしてくれなかった。要はべやっちという人間を見てくれなかった人達が殆どだったのである。

だから私は誰にも頼らない。

自分で考え、「この人!」と思える人に体の使い方を習いに行ったと言うわけである。

今年やった事はロルフィング、アシュタンガヨガ、魔女トレ、そして頑張らない動き方を推奨する二人の師匠にオンラインで学ぶという事である。自分の身体のポテンシャルがまだまだある事が実感出来るし、こうなると楽しみが増えてくる。

その身体の使い方を学ぶ途中で思考回路も切り替わって色々なことで悩まなくなったと思う。身体と心は繋がっている。だがその媒介を果たしてくれるのは筋トレではない。

③私生活の変化

病気によって色々なことを辞めざるを得なくなった。旅行も行けなくなった、柔術などのコンタクトスポーツも止めた、お酒も止めた、夜更かしも止めた。盛場に出る事も無くなった。全ては自分の身体と心の為である。

趣味はオンラインが増えた。格闘技を見る趣味、麻雀を見る趣味、映画を見る趣味とオンライン趣味が増えた。

これはメリットもあるがディメリットもあると見ている。今まで脳や身体に蓄積されていたノイズがとても減った。それはお酒や過剰な運動、睡眠不足、食生活の不安定、人間関係のいざこざなどが一旦リセットされた。それは凄く感じるので今周りから見えるほど今の自分は不幸ではない。

だが人と触れ合う事がなくなるのは同時に弊害も生み出しているとは思う。触れ合うという事は人からエネルギーを奪われることもあるが得られる事もあるからだ。セックスなんて最たるものだと思う。

今はオンラインで比較的メリットは感じているこれは割と自分の体質・性格による事も大きいです。だが今後はどう私生活を運営していくか熟考したいと思う。

来年に向けて

来年は後半は人にリアルに出会いにいくことを考えたいが前半は制御をかけると思う。その間にさらに今年身体の使い方で学んだことを実際に動きや表現、自分の言葉に落とし込んでいくという事を考えたい。それが来年後半以降の起爆剤になるということを確信している。

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