見出し画像

【映画鑑賞】今月のベストムービーは「関心領域」(2024年6月 9本)

6月は節目の月であった。3月に2年寛解で本格的に通常勤務と思いきや玉蟲色の診断で6月のCT検査に判断は持ち越しで今月末が精密検査(CT)結果報告でした。

で結果は合格。やった〜〜!!

癌サバイバー以外の人には分からない話かもですが寛解で即リスクゼロになる訳ではない。これが殆どの人が他の病気の延長線上で聞くものだから2年寛解で今更何で喜んでんの?みたいになるでしょうが。

ほっとした次の日に遠出でBBQでした。古い人で15年、新しい人でも5年は知っている友達なので気の置けない友達どおしのBBQでした。結構昔から知っている一人の女性がやたら絡んできて「あ、そこまでこっちを粗末に扱うんや。舐めているんや。」ていうのが露骨に分かって心の中で縁を切る事にしました。発端の原因は自分にもあると後から気はついたのですがそれ以上のネチネチと人格否定というか「こいつ俺の何を知って言ってるんやろ」みたいな感じの態度を取ってきてそれが仲間内全体に広がって久々に嫌な空間に来たなあという感じでした。ジョークで切り返せる範囲を超えていて「で、こいつどうしたいの?」みたいにずっと思っていました。

病気前だったら「自分も悪いから関係性を作り直さなな」みたいに思ったかもですが友達関係、知人関係で変な執着がなくなりましたね。切れてしまうのも含めて縁だ、縁は繋ぎとめておかなければいけない、そんな思いも無くなりました。ここ数ヶ月心から素敵だと思える人の出会いが続いていたり20年以上も同僚だった人が相次いで会社を去ったのも自分の考え方を変えさせております。自分が変わっていくと友達って離れていきますよね。本間それ真実だと思います。上辺の友達は友達が変わらない事を是とするのですね。変わっていく事や進化していることをいち早く認め喜んでくれる友達は貴重ですよ。それが私にとっての今の良い友達の基準点であります。

川原拓己さんという方が「Be yourself」という本で仰られていた事で「置かれた環境で輝こう」も良いけど今の時代は「輝ける場所まで自分で歩いていこう」ということを書かれていてそれが自分にとってとても腑に落ちています。

その時のBBQで仲間内の男(と言っても結構な年齢ですが)が結婚するって告白してきたんですけどその仲間内で普通ならむっちゃ盛り上がる筈じゃないですか。でも全然盛り上がらないというかすぐに違う話題に移ったのですよね。「あれ?このコミュニティやばいんじゃない?」って思いました。誰が悪いっていうより停滞感を感じましてゾッとしました。仲間内だったら興味ある友達だったら色々死ぬほど聞く事ありますよね〜?

上記のコミュニティは自分が癌闘病している時支えてくれた友達達で大事に思ってたり感謝している人も何人もいるのでこれからも大事にしますがその嫌味を延々と言ってきた友達はその時も一番遠巻きに眺めていた子なのでこの子は切れるご縁だったのだろう。勿論今まで友達でいてくれた事は感謝です。

珍しく愚痴になりました。以下は今月の映画です。

【第1位】関心領域(2023年 映画館で視聴)

「非注意性盲目」

それは視野の中に入っているものの注意が向けられていない為に物事を見落としてしまう事情の事をいう。(見えないゴリラ実験が有名である。)

知覚と感覚というのはずれている。「人は見たいものを見る」というのは別に昔の人も今の人も変わらない。我々の認知はどこまでいっても決して包括的なものではない。アウシュビッツの収容所で行われた忌まわしい歴史的な出来事。その収容所の所長であるニスの家の隠し撮りを見ているような映像が1時間半ずっと続く。

その所長の家の模様は一見普通の人の家庭である。子育て、縦社会で働く働き者のニス、昔からの田舎暮らしを叶えてアウシュビッツを離れたくない妻。現在もある普通の家庭の出来事にしか見えない。だが鳥の鳴き声に時折り混ざる子供の鳴き声、女性の泣き声、モクモクとした人を焼く煙、遺灰が流れる川。忌み嫌いながらユダヤ人をこき使う妻、慰み物にする夫。

塀の向こうで起きている事にニスは心は動かされないものの、身体は確実に反応している。最後の彼の嘔吐は彼の身体からの反逆だ。彼の妻はここにずっと住んでいたい、ヒトラーにそう言ってという凄い人。子供にもその残虐性は伝わっていてビニールハウスみたいな所に弟を閉じ込めて笑う。

最後いきなり現在に移り変わる。だがガラスの向こうのものを過去のものとしてしか見ない人達が行き来する。

この映画は満員の映画館で観たが居眠りしている人が沢山観た。映画から否応なしに観客に突きつけられる、浮かび上がってくるメッセージを自分ごととして受け取れない人にとってこの映画は退屈極まりないのだ。
人間の認知と世界平和についてこの上ない形で問いとして浮かび上がらせたクリエイティブなこの映画をこれからも時々考えるだろう。

【第2位】あんのこと(2023年 映画館で視聴)

私はコロナの1ヶ月前に癌にかかった。あの時感じた生まれて初めて「分断」を強いられた経験をした時根源的な怒りを感じた。

杏はネグレクトな母親に暴力を受け育てられ、10代半ばから売春や覚醒剤に塗れて生活をしていた。元々はこの毒親である母親との共依存によるものだ。母親役を演じる河井青葉という女優が綺麗なだけに凄みのある毒親を熱演している。この母親は杏をママと呼ぶ。これすなわち自分と娘に境界線を引けていない。この共依存という感覚は何も家族や恋人との間に起こるものではない。私は20年来の先輩と「共依存」の関係になっていた。その関係は癌とコロナの事態で彼が私の心からの思いより彼自身の立場やポジションを守る事へ動き、その時点で私の目が覚めた。貴方にも考えると胃が痛くなる人がいるかもしれない、その人達は貴方を助けてくれない。

多々羅という風変わりな刑事は彼女をその状況から救い出すがコロナと彼の罪により一つ目の「分断」が起こる。多々羅刑事が施設の女子に手をつけるのも(いずれ杏も手をつけられたかもしれない)この更生活動ボランティアに精を出すのも彼自身の一部なのだろう。理解しにくいがこういう人は確かにいて杏にとっては救いだったのだろう。そしてコロナ禍で押し付けられた子供の大変ながらも彼女にとっては「救い」だったのかもしれない。それを取り上げられた時の絶望、そして売りや薬をやめるという自分の積み上げたものを壊すということをした自責の念。彼女は刃を自分の母親に向ける事はできず自分に向けた。

世の中のシステムや有り様についてこの映画を見て疑問を持ち考える人が出てくるかもしれない、それだけが救いなのかもしれない。

【第3位】Animal(2021年 映画館で視聴)

地球交響曲の常連であるジェーン・クドールさんが出られていると知って観てみる事にした。シリル・ディオン監督の作品は最近「tommorow」を鑑賞したが今回の作品の方が断然良い。前回のtommorowは世界中の賢者に話を聞きにいっている構成は今回と同じだが前回は主張や論点が発散しているように見えたが今回は習熟度や考察が深まっているように思えた。

ジェーン・クドールは90歳を超えられているが品のある老婦人という感じで昔の彼女はまさにジャングルの中の妖精のようだ。どちらかと言えばレジェンド的な扱いでそこまで出番は無かったように思える。彼女の仰られていた事で印象的だったのはチンパンジーの世界にも縄張りや利己的な行動や争いがあると言う事だ。

この映画に出てくる女の子はかなり潔癖症で人間は動物に比べて醜いと言う先入観を持っているがケニアのディノ・マーティンスに「君は動物への愛を人間の憎しみに変換させているね。どちらが良いと言う話では無いよ。」と言う。

この映画のテーマは「多様性」だ。それも何故生物多様性が必要なのかと言うテーマだ。

最近オリンピアンが「日本人は年齢の多様性を保った方が良い。お勧めは異性の20歳の女子と友達になることだ」とtweetしX民よりキモいと炎上していた。また自分勝手に自由に生きることを「多様性の時代だからね」と御託を述べていた知人がいる。以前私がインフルエンサーと論争した時に「企業のトップは多様性に対し、下っ端より熟知している。何故なら世界のルールや規格などは大学生よりは知っているから」とそのインフルエンサーが返答してきて「どうしようもない愚かな人だ」と直感的に感じた。以前「多様性の科学」という本があり感心したが結局多様性のある企業やコミュニティの方がリスクヘッジやイノベーションを起こせると言った特定のコミュニティや組織にとっての利益面からであった。SDGsといってもそれは言葉や記号でしかない。上記のインフルエンサー達は言葉は悪いが多様性という言葉をまるで理解していない愚か者だ。

生物多様性は生態的なテクノロジーから考えて最適なように自然が設計したものだ。そこには経済や弱肉強食ではなくぐるっと回って循環している。それは今の人間には見逃しがちな視点だ。つまり人間の頭で考えるのではなく人間や動物の在り方を観測する事、まずは知る事が大切なのではないだろうか。自分自身はアリが生態系エンジニアで彼らが消えたら全生物が滅びることを知らなかった。

農場でのオオカミは生態系のバランスを維持している。彼らのおかげで鹿が繁殖しすぎないううに抑える事が出来る。そういえば自分の動きの師匠が鹿の解体をしに北海道に行っている。(何かこれも小さいセレンディビリティだな)

兎を狭い所で大量に育てている業者さんをこの映画のような形で映画として紹介してしまうのは気の毒だが費用を抑えて生産性を上げる経済が支配する世界でこの業者さんだけを責めるのは酷だ。注目すべきはこの業者さんもヒエラルキーの中で支配されていてこれらの構造はフラクタルなのだ。これらは現在社会に潜む「普通」にある「非道徳」なのだ。

コスタリカがここまでその生物多様性を理解し進めている国だとは知らなかった。(しっかり勉強して人生の何処かでコスタリカへ行ってみたい)。経済やGDPという尺度で推し進める事の罪を先進国は理解しにくいのかもしれない、それは今や過去の否定になるのだから。

【第4位】市子(2023年 Amazon Primeで視聴)

この映画感動した、良かったと言っている人いるけど本当だろうか。何にも刺さらなかったという人もいるがそれの方が好感が持てたりする。わかったふりをするんじゃない。

かくいう私はこの映画を見て色々考えれて良かった。ただ苦しい映画で楽しい映画ではないのだ。この映画はどん底に今いる人、そしてどん底にいた人に向けて描かれた作品だ。安易なハッピーエンドにせずバッドエンドにしたのも苦しいけど良かったと思う。

バッドエンドだったけど市子にも幸せと感じる時間があって良かった。好きと言えるものが生きてきてあって良かった。無戸籍の市子がどんな想いで敢えて市子を名乗っているか。彼女は自分の名前で自立したかったのだ。市子を「一生守る」と言った守永は市子に殺されてしまった。

寄り添うという言葉がある。

市子が求めた寄り添いは「守ってやる」と言った言葉よりケーキ屋を一緒にやろうと言ってくれた夢や何気ない温かい空気をくれた長谷川が彼女の救いになった。それは永遠で無かったにせよ。アドラー心理学では原因論でなく目的論で考えなさい、と言われる。市子のような境遇の人にとって原因論は地獄だ。森永君のように「市子みたいな可哀想な境遇の人は守ってやらないといけない」みたいな考えは市子にとって刃を突きつけられる思いだったのだろう。

市子は数ある好きを大事にした。花火が好き、浴衣が好き、アイスが好き。好きを積み重ねる事が辛うじて生きていける意味だったのだろう。それはとても重い「好き」だ。その事は地獄を見た人にしかわからない。この映画はそういう難しさがある。

【第5位】碁盤切り(2024年 映画館で視聴)

予定調和なのに随所に手数で魅せてくれる映画であった。画像が急に斜めになったりソフトフォーカスになったりドローンを使ったのかな?という映像もあった。

草彅剛君もハマり役だったね。格之進は清貧の武士。実は言われのない罪に陥れられて貧しい暮らしをしている、しかし融通が効かなくわざと囲碁勝負に負けたり更に助けた商人の源兵衛のお礼のお金も受け取らない。

「嘘偽りなく」生き、碁に向かう格之進のエネルギーはどこに向かっていたのか。自分の感情を満たす為か、それとも自分の信じた世界を守る為か。前者なら4種、後者なら9種の生き方となる。江戸時代であったとしても現在であったとしてもこのような生き方は自分や周りにとってはたまったもんじゃないかもしれない。でも良い意味で「お前はそれで良いや」と言ってくれる人に愛される事でその人は救われる。

この話は所々ご都合主義な所が出て来る。特に弥吉とお絹が結局結婚する所やそもそも碁盤斬りという題目でオチがわかってしまう所など。だけどこの話は落語が原案となっているんだね。源兵衛が50両を掛け軸の裏に隠したのを忘れておりそれが12月31日に付け替えた時にポロッと出てくるなどは落語話ならではの粋さもあり、そういったものを残しつつカメラワークなどの新しさもあったので予定調和な筋書きだったけど楽しめたよ。

【第6位】星の旅人たち(2010年 Amazon Primeで視聴)

サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼を初めて知った。フランスからスペインの西側海近くの聖ヤコブの遺骸があると言われるサンティアアゴ・デ・コンポステーラまで約800kmの道程である。

息子を亡くしたアメリカのトム(マーティン・シーン)、デブで優しいが少しガサツなヨースト、セクシーだが気難しいカナダのサラ、アイスランド出身の作家のジャック。

4人ともお互いに印象は良くないものの何となく一緒に旅をする事になり徐々に友情が芽生えていくというお話。この4人はそれぞれに良い所もあるが痛い所もあり面倒くさい人達でそれ故に生きづらさを感じている。とにかく全員が交互に滑り散らかし、自己嫌悪に陥ったり許しあったりする。彼らには旅が必要だし神が必要なのだろう。

「宗教と信仰は別物だ」と道中あったジプシーが言う。この映画の中でセリフを聞いた同日に美輪明宏さんのyoutubeで同じセリフを聞いた。(最近はどうもこういうセレンディピリティが多い)

見えない自分を生かすエネルギーは地球の場にあり時にはそれに癒される必要がある。それが祈りであったり神への信仰なのだろう。

【第7位】ボブマーリー one love(2024年 映画館で視聴)

とても難しい映画であった、と観終わって思う。

この映画は2大政党の争いに巻き込まれ銃撃を受けた1976年から亡命した1978年までの僅か数年を切り取っている映画だからだ。

ボブマーリーは1962年にプロ活動をして1976年には世界的なミュージシャンであったからだ。だがそんなボブも最初から懐の深い人間だった訳ではない。

やはり制作に関わった妻リタ・マーリーの意思が大きいのだろう。彼の取り巻きも彼の心象風景に現れる男や焼け野原が何を示すのか一切説明はなされない。良くも悪くも誠実ではあるが開けた映画ではない。

白人のハーフである事のコンプレックス
自分を見捨てた父への怒り
銃撃された事の恐怖
数々の浮気
ラスタファリの過剰とも思える信仰
メラノーマという希少癌罹患

ボブマーリーも人の子で数々なネガティヴな人生の面に苦しんだ。それらを全て赦し音楽へと昇華した、そこにボブマーリーの真骨頂があったのだろう。

【第8位】地球交響曲第5番(2004年)

今回のテーマは「生と死」という事でかなりテーマとして分かり易かった。
過去出演されていた方の再会に加えて今回のメイン看板は沖縄県の西表島在住の世界的な染色家の石垣明子さんと世界的な音楽家でありながら未来学者であるアーヴィンラズロー氏である。

アーヴィンラズロー氏は本が多作であり大体の考え方は知っていた。彼の考えは宇宙論、量子物理学、生物学などを統合した考えを持った学者である。最近スピリチュアル系の人がやたら量子力学を唱えているがラズロー氏はそんじゃそこらのスピリチュアルの人とは違う統合した考えの持ち主である。途中で量子真空の話があってエネルギー高密度の場であると同時に情報の場でもあるそうな。これは多分Aフィールドの事だよね。これがいわゆる神と言われるものの正体だと思う。この映画ではそこまで言及されてはいなかったが。

今回の上映会で彼の弾く月光はいいね!という人が結構いた。自分は昔少年の頃何故かクラシック音楽好きだったが大人になって聴く月光は哀しくも希望や豊かさを感じるよね。

このラズローの双璧として何故石垣明子さんがチョイスされていたかをずっと考えていた。彼女の生活はyoutubeの「生生流転」を観て何となくわかった。彼女の生活には今の人達が失った自然との共生がある。そして何処か見えない魂(マブヤー)などあの世への想いがある。彼女はマングローブを育てて生物多様性を実現させているのが「生生流転」でも見える。彼女の言う事ではなく彼女の成す事に生と死の豊穣さが見える。彼女の染色は生命が見える。不思議なのは緑の葉で染色を染めても緑は出ないそうだ。色って不思議だなあとぼんやり思った。

この「生生流転」で印象的な言葉があった。百聞は一件に如かず、という言葉があるがその続きを知る人は少ない。

百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一果に如かず
百効は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず

途中で自然分娩で出産する明日香医院が今回の上映会を観た人達は心に残っているようで特に自然分娩で女の子を出産したお母さんが「嘘みたい、嘘みたい」と狂乱状態で感激している横で小学生くらいの男の子が泣きしゃぐっていたのは感動的。
人間は生まれるまでお母さんのお腹の中で魚(脊椎動物)→両生類→四つ足動物までの進化をとげる。つまり人類の歴史をお母さんのお腹の中の宇宙で体験する。

この今回の交響曲を見る準備で「宇宙からの帰還」(立花隆)という名著を読んだ。宇宙飛行という体験は特別なものでありそれらを成熟させる事が出来た人は人生観を変え人生そのものを変える事になる。ここで出てきたラッセル・シュワイカートはこのガイヤという考え方に共感する一人だ。彼によると「地球と人間の関係は人間と人間の体内にいるバクテリアみたいなものだ。宇宙体験はバクテリアが体外に出て地球の全貌を観たようなものだった」そうだ。そして彼の妻はウーマンリブの主導者であったナンシーだが凄い綺麗な人だったな。彼女が広島の貞子さんを思い涙ぐむシーンを見て心も美しい人なんだなとジーンと来た。

これが制作されたのは2004年で今から20年前だ。そして撮影はあの2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの起こった最中である。ジェーンクドールはこの惨劇を自然の中の動物、鳥の蠢きで直感的に感じたそうだ。やはり集合的無意識というのはそこに存在する。彼女は自然の中でそういった能力を開花させた人のように感じたのだ。

あれから20年以上経ち技術は進化したが人間はますます自然から離れるようになった。自然を機械とみなし、そして人間すらも機械とみなし扱っている。だが人間の身体は自然なので何処かで反乱を起こすはずだ。環境問題と言った問題は論じられる事は多いがそれずらもビジネスに組み込まれている。気づく人と前時代を引きずる人の二極化はこれからますます進むのではないだろうか。この映画のいうように激動の時代はバタフライ効果が凝縮される。カオス理論ではそれはチャンスなのだ。

【第9位】アイリス・アプフェル 94歳のニューヨーカー(2014年)

90歳のカッコ良いおばあちゃんアイリスアプフェル。

自分の美人ストレッチ先生が130歳まで生きるとか言っていた。そこから長生きというのはどれだけ意味があるか考えていた。そして色々調べてこの映画に辿り着いた。

長年デザイナーに従事してきたが彼女が一世を風靡したのはメトロポリタン美術館の展覧会でこの時齢83歳。世界的なデザイナーであるかもしれないが90歳の彼女からは終活の雰囲気は付きまとう。病院、疲労、少しずつ身辺整理。

彼女から学んだ事。歳を取っても生き生きするのは美容整形ではなく好奇心、ユーモア、少しの気力なのだろう。彼女曰くファッションは政治など社会的風潮と強く結びついているのだそうだ。

彼女は今年102歳でこの世を去った。どう歳を重ねるかという事ほどマニュアルが無いものはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?