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島の聴キ記録、始めます

実家に帰ったら、押し入れの奥底に仕舞い込まれた写真を見つけてひっぱり出してきた。少しカビ臭い。

写真を見ながら、これは誰?いつ?何をしている?をひとつづつ掘り下げる。

はたまた、漁について行き、船の上。
録音しながら、インタビューまがいのことを父にする。色々な漁の方法があるが、父は一本釣り、祖父も一本釣り。地道に魚を釣り上げる。

「あの光は、徳島の眉山。あれは小松島。お、花火あがりよるぞ」

船の上で聴く、父の子供の頃の話から漁のことまでの色々。やっぱり、こっちから聞かないと何も出てこないなと。面白い。

島に人が生きた証拠を少しずつ系統だてずに残していこうと思う。ゆくゆくは記録映像を撮りたいが、今は月一程度、島へ帰る事から始める。

写真を見ていて面白いなと思ったのは、父でも母でもない誰かに抱っこされる赤ちゃんの頃の自分。

いろんな人に抱きかかえられ大きくなったんだ。島の人たちみんなに育てられた。それは島の人全員がずっと同じはず。
子供が、抱きかかえられている写真をまとめてみようかなとか思う。

そして、父と話をして思う事。父も50年、沼島で生きた人だという事。私の知らない沼島の事、父のことがまだまだたくさんある。
そういう意味で、やはり母は淡路島の人だ。そして、私のアイデンティティは沼島以外にない。

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