“やったこと”は認めてほしい話。
昔から私は「やったことをやらなかったことにされる理不尽さ」が嫌いだった。
なぜこんなことが起きるかというと、
「やり方はどうであれやった事実」を、
「やり方が違うからやったことにならない」
というすり替えにあたることをする人が平気でたくさんいたからだ。
例えば「お風呂洗って」に対して、
“頼んだ人のやり方でやらないと洗ったことにはならない”
っていうやつ、あるよね?
洗って同じようになればいいはずなのに、
「お風呂を洗った」という事実を、
「(やり方が)完璧じゃないから」と否定するってことね。
うちの家族これ多かったわけ。
「あーせっかくやったのに認めてもらえないんだ、やるのやーめよ」って思うでしょ?
「やって怒られる」のなら、
「やらずに怒られた方がいい」と。
だって時間の無駄じゃん?って。
やったことを否定されるならやらない方が得。
だから実家にいた頃は進んでいろいろやらなかった。
「ここはおじいちゃんの担当」みたいな暗黙の了解は手を出さない。
(ただおじいちゃんは「おー!やってくれたのかぁ!」と言ってくれるので否定する人ではなかった)
だから私は例えやり方にアホさが入っていても、
なるべくやったことを否定しないように指摘するようにしている。
「これもいいですけど、こうするともっといいですよ」って。
「あ!そうですね!!」って言いやすいじゃん?
まあこういう否定のされ方って、
「仕事をしない上役」ほど多くないですか?←
理不尽な上司ってこうだよね?←
やり方が違う、適当ってこと1つにしても、
やるとやらないは大違いなわけ。
否定するのではなく、認めた上で注意するっていうの、
理解してくれる人が結構少ない…!