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持たないことは罪じゃない。持たせることのが罪だ。

『将来の夢』を語る。小学生の授業や参観のテーマに必要?「なりたいものがないから言えない」ほら、そんな少年が申し訳なさそうにしてたりだよ、せんせー。

「僕は医者になりたいです!」(いや、おまえそれより算数、平均点以上取ってからにしろ)「人を助ける仕事に就きます」(キミ、この前 大工になるって言ってたー)「僕も医者になります」(僕も?ドラマの見過ぎだ)「YouTuberになって..稼ぎます!」(がんばれーとしか言いようがない)

正直、嘘くさい、参観が過去に。泣いてる子もいたし、保護者も拍手喝采、感動してたり。うちの学校は医者家庭が多いので、自分(親)の背中を見てくれてると思ったのか。 そんな中、「何でも努力できる努力家になります」(職業ではないし、なりたいものがない?というアレレな視線を浴びせられる子)なんて発表した子どもが。

学校の教科書にはイチロー⚾️が載ってたりするので小さい時から自分の夢に向かうことは、イチローのようにきっと花丸なのである。対に「とくに夢などない子』は、時に「夢を見つけなきゃ」と急かされ、「夢は持たなきゃいけないんだ」と勘違いを生ませてくれる。終いには、罪悪感まで持たせてくれる。周りの大人が子どもにそうさせてるのだ。


夢がある子→偉いね

夢がない子→(残念そうに)そのうち見つかるよ


小学生のうちから将来の夢を持つ子の方が稀ではないの。将来の夢=目標 の道のりがサポートされ、なおかつ自分がその目標を持ち続け、努力し続けられる子なら..なんだか重っ苦しいし逆に夢がない。

夢なんて語るもんじゃない叶えるものだから。いや、叶えるもんでもない。『気づいたらソコにいた』それくらいでヨシとしませんか。先を見ずに今をコツコツと頑張ることが何より大事で、結果、気付いたら花丸なんだと。今ココとしっかり向き合って。それは、楽しいこともだし、泣きたい位の不幸なことも然り。不幸到来なのに笑って消し去り前に前にlet's go♩はもうgoodnight♩

ご褒美があるから頑張って♩なんてのも子供にはもうgoodnight。アイツら〜それに慣れてるからー。ご褒美なんて前置きいらない。あろうがなかろうが今ココ!今ココなんだよっ!将来の夢より目の前の宿題ー。


「何でも努力できる努力家になります」と言った少年の机を見た。なんとそこには..


『将来の夢、努力科』

努力家じゃなくて努力科⁈ 間違いなのか、そういう『科』が本当に存在しているのか悩む母..長男よ..期待を裏切らない残念な回答、ありがとうございます。








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