石井琢朗お帰りなさい

お断り

今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

石井琢朗が戻ってくる

98年V戦士というより打撃コーチ職人

石井琢朗は広島、ヤクルト、巨人とセ・リーグ3球団で守備走塁、打撃コーチを歴任して攻撃部門のスペシャリストです。98年V戦士ということを除いても有能なコーチといえます。鈴木誠也、村上宗隆、岡本和真といった門下生を育てた実績と選手を守り、時には監督や周辺とも対話する姿勢は投手コーチ職人だった権藤博さんを彷彿させます。権藤さんと言えば大矢監督2年目後半戦は事実上守備に着いた際の監督をしていました。投手を守る兄貴が権藤さん。石井琢朗は野手を守る兄貴となります。


98年V戦士でありチームリーダー

89年にドラフト外で投手としてベイスターズに入団した石井琢朗。ベイスターズだけで2000本安打を達成したのは松原誠と石井琢朗だけです。石井琢朗は投手としてイースタンリーグ防御率1位を獲得するなど順調なステップを踏んでいましたが一軍では1勝しかできず入団4年目の1992年から野手に転向します。当初は外野手も兼任しながら内野手をしていたもののシーズン後半には三塁のレギュラーを獲得します。ベイスターズ初年度の1993年には盗塁王、ゴールデングラブ賞を獲得し遊撃手にコンバートされる1995年までゴールデングラブ賞を獲得します。1996年に遊撃手にコンバートされると2007年まで遊撃手の座を不動のものとします。故障が続き2008年打撃が不調になると遊撃手を石川に奪われ、シーズンオフに引退勧告されます。石井は引退を拒否し広島へ移籍します。広島では3年間現役を続け、2013年~17年は広島のコーチとして鈴木誠也などを育てます。2018,19年はヤクルトコーチとして村上の育成に成功、2020,21年は巨人のコーチとして岡本のタイトル獲得に貢献します。1998年ベイスターズ日本一に貢献した石井はセ・リーグ各球団で名コーチとして実績を残しました。

独自の練習方法

石井コーチの練習方法は選手が飽きずに続けられる「何を習得するための練習かがわかる」というユニークな練習法です。練習のボリュームが多く体に覚え込ませる練習方法のため巨人ではストップがかかるほどでした。選手によっても課題が違うので選手の特性で練習メニューが違ったりするそうです。こういった独自の練習方法は効果を生む反面、周囲からは練習が違うことなどで不平等に写り、平等教育を受けてきた日本人からは石井コーチに悪評が立つこともありました。選手それぞれに個性があり、課題が違うのは当然なのでベイスターズでは石井コーチの独自メニューをうまく取り入れて欲しいと思います。

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