横浜DeNAベイスターズ誕生

2011年のオフにベイスターズはTBSからDeNAに譲渡され、横浜ベイスターズが横浜DeNAベイスターズになりました。初代監督は巨人の宣伝部長みたいな中畑監督。フロントは高田GMが就任。主力の村田がFAで巨人に移籍。そもそも最下位のチームはかなりつらい戦力になりました。そこに輪をかけてドラフトは前体制の候補者からリストアップ。なんと高校生中心のドラフト。2012年DeNAベイスターズの船出は厳しいものとなりました。巨人との契約が切れたラミレスを獲得したのがオフの大きな補強。前年からいる中村紀洋とラミレスの大ベテランがチームを引っ張る構成となりました。キャンプでは元気のない選手たちに中畑監督がカツを入れます。中畑監督はチーム内の規律を重視して選手たちの弛緩した雰囲気を引き締めます。スピード野球を求める高田GMは楽天から内村内野手をトレードで獲得しますが、後に放出した藤田が楽天日本一の立役者になるなどトレードもうまくいきませんでした。一方、フロントはファンサービスに力を入れます。新しいマスコットDBスターマンの就任や試合内容に満足しなかったら返金などいろいろです。ただファンサービスの妨げになっていたのが横浜スタジアムとの契約状態。池田球団社長はこれを打開すべく真剣に横浜スタジアムに向き合います。2012年オフには中日からブランコはじめ3人の外国人を引き抜くなど補強をしました。ただアメリカから戻ってくる福留は獲得できず、代わりに獲得したのがモーガンです。ラミレスは既に衰え、特に外野守備は投手陣からクレームがくるほどでした。途中から二軍生活となりましたが、外国人選手のサポートや二軍選手へのアドバイスなどでチームに貢献します。また多村もトレードで戻しました。前年から戻ってきた鶴岡、小池と共にベイスターズ回顧の補強も見受けられるようになりました。2013年は5年連続最下位から脱却しての5位でした。2014年はFAで阪神久保獲得、シーズン途中にキューバの至宝グリエル獲得などそれなりに補強しましたが5位。この年のオフのドラフトでクローザー山崎康晃が入団します。2015年は波乱のスタートでした。グリエルが弟共に契約延長のはずがなかなか来日しないままシーズン突入。ただチームは中畑監督の盛り上げで前半戦首位で折り返し。チーム初のクライマックスシリーズ進出かと思われましたが、最終的には最下位となりました。これにより中畑監督が辞任、ラミレス監督の就任となります。2015年オフには大きな出来事が起きます。チーム運営上の縛りとなっていた横浜スタジアムの運営会社をDeNAが買収しました。球団社長だった池田社長の熱意にスタジアムの鶴岡社長が応える形でTOBが行われ、スタジアムはベイスターズカラーのコミュニティーボールパーク化していくことになります。

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