見出し画像

OB中塚政幸さんが感じた名将の傲慢とパワハラ



お断り

今回の記事の中には一部の方に不快な印象を与える記述がございますことを予めお断り申し上げます。あくまで1ファンの私見ですので科学的根拠や歴史的史実に裏付けられた記述でないことをお詫びいたします。

中塚政幸とは

PL学園から中大に進学し、全日本大学野球選手権を制しました。在学中はリーグ通算104試合出場、打率.286(336打数96安打)、4本塁打、36打点を記録したほか、一塁手としてベストナインに3回選出されました。1967年大洋にドラフト2位で指名され、入団1年目は二軍生活もありましたが、それ以降は一軍しかいないレジェンドです。プロ入り後一塁手から外野手に転向して、1974年には盗塁王のタイトルを獲得しています。通算1440安打で1982年に引退しています。引退後は横浜大洋でスカウト(1983年 - 1984年)→一軍守備・走塁コーチ(1985年 - 1986年)→一軍打撃コーチ(1987年 - 1988年)→二軍監督(1989年 - 1992年)を歴任。チーム名が「横浜ベイスターズ」に改められた1993年からはスカウトに復帰し、東都大学リーグを中心に関東・東海地方を担当しています。古木克明、村田修一、那須野巧の入団を担当しています。しかし2007年ドラフト2位で指名した東京ガス木村投手が入団拒否したことで退団を強いられました。

中塚さんが経験した古葉監督、森監督という名将について

中塚さんは古葉監督時代にコーチでしたが、古葉監督が連れてきたコーチスタッフがチームを牛耳っていたために、「何かあったらアドバイスを、試合中はスタンドで見てていてくれ」といわれる中途半端な存在でした。古葉監督自体の野球に関する考え方には同意するものの、連れてきたスタッフが互いを庇い合い、チームの改革はできなかったそうです。スカウト時代にやってきた森監督は自分が全てで、選手やスタッフをバカにした態度とチームを暗くするような嫌味しか言わないことで、暗黒代の原因を作ったというニュアンスが出てきます。結局、名将が来てもチームが急に変わるわけでもなく、チームが一体となるような雰囲気作りが大事だということです。

暗くて笑いがない野球チームは衰退する

山口俊も語っていますが、中畑さんがチームを明るくしたことがベイスターズの人気が出たきっかけだということです。暗いパワハラ野球が好きな昭和生まれのパワハラにどっぷり漬かった「甘い」とか「ぬるい」とかしか言わないパワハラ野球通が好きな野球はチームをダメにするのです。もちろん、パワハラ教育しか受けていない世代には到底受け入れられないことでしょうが、適切で明るいファンサービスがベイスターズを上昇させていることはOBの中塚さん、山口さんの証言でわかります。DeNAにはこういったことを継続して欲しいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?