野球好き坪井智哉

親子二代のプロ野球選手 坪井智哉とは?

15年にベイスターズコーチに就任して6年目になる坪井氏ですが、お父さんは元中日、太平洋で活躍した坪井新三郎さんです。親子でPL学園ですがお父さんは高校時代は野球部ではないという球歴です。坪井氏はPL時代甲子園には出場できず、青学で全日本大学選手権優勝などの輝かしい球歴を刻みます。大学時代に振り子打法に変えて打撃の確実性を増しますが大学4年時にプロから誘いはなく社会人東芝へ進みます。東芝でも活躍し、97年ドラフト4位で阪神に指名されます。1年目から打率.327という新人最高打率を残し、規定打席の打者で併殺打0というすさまじい記録を残しています。普通なら新人王獲得ですが、98年は中日川上、巨人高橋、広島小林が共にすごい成績を残し、中日川上が新人王、他3人が特別賞となりました。99年野村監督のもとでは守備でも貢献し1番打者として活躍します。00年は死球で故障し、成績が下降。01年からは赤星の登場もあり出場数が減ります。02年はケガのためほとんど出場できずオフに日ハムにトレードされます。03年に日ハムで復活し規定打席に到達し3割を達成します。04年からはまた徐々に試合出場数が減り、05年にヤクルトから稲葉が入団すると控えに回ることが多くなります。10年オフに戦力外通告されるとオリックスが獲得に動き11年オリックスへ入団します。オリックスでは後半は若手への切り替えで一軍登録もなく戦力外となります。12年からはメジャーを目指して米独立リーグへ入団します。3年近く独立リーグでプレーし、周囲が野球好きと認める中で14年8月に現役を引退します。そして15年からベイスターズでコーチをします。

練習の虫

大学時代からチームの練習の後個人練習を相当こなしており、プロを目指していることもあり社会人でも木製バットで練習していました。またアマチュア時代から食事の栄養管理に徹底して、成功するためにできることはすべてやり準備するのが坪井氏でした。

入来祐作とはPL学園時代に寮で同室

PL学園の先輩入来とはとても仲が良く、坪井が戦力外になった時に入来が練習相手になるなど協力関係にありました。新庄剛志、入来祐作、稲葉篤紀、イチローとも仲が良く、新庄が日ハム入りのきっかけは坪井氏がいたからということもあったようです。イチローとも公私ともに仲が良く、野球人としての絆が深いようです。

少年野球のバイブル

坪井氏はベイスターズコーチになる直前に「少年野球から中・高生球児まで ケガなく野球が上達するメソッド100+」という本を書いています。わかりやすく少年野球指導者のバイブル的な存在として有名です。指導者としてわかりやすいこと、そして長く野球ができるような上達方法を心掛けている坪井氏ですからベイスターズの選手ものびのび力を残すことができると思います。


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