見出し画像

ハマのプーさん 宮崎敏郎

51 宮崎敏郎とは?

佐賀県立厳木高等学校への在学中には、1年生の春から投手でベンチ登録。2年生の夏から「4番・投手」を務めるとともに、公式戦で通算24本塁打を放ったが、春夏秋を通じて全国大会と縁はありませんでした。日本文理大学への進学後には、1年生の秋から三塁手のレギュラーに定着。九州大学野球のリーグ戦では、2度の首位打者、3度のMVP、ベストナインを獲得しました。また、2年生から2年続けて全日本大学野球選手権に出場。3年生の時には、5番打者として、チームのベスト8進出に貢献しました。4年生の時には主将も務めています。高校大学の先輩はベイスターズで一緒にプレーした吉川投手です。就職活動で10社以上の企業から採用を見送られましたが、大学卒業後はセガサミーへ入社。入社の際には守ったことのない二塁手、遊撃手ができるといってチャレンジしました。同社の硬式野球部では、打線で1番や3番を任され、2年目にはチーム事情から二塁を守りました。東京第3代表として出場した第83回都市対抗野球大会では、初戦の日本通運戦の8回裏に逆転満塁本塁打を放った。チームに3年振りの勝利をもたらし、勝負強さを印象付けました。12年ドラフトではベイスターズが6位指名、セガサミーのチームメイト赤堀も4位指名だったため一緒に入団しました。13年は一軍公式戦33試合の出場で、2本塁打、5打点、打率.250を記録。三塁手として11試合、4試合で二塁手として4試合にスタメン出場しました(いずれも無失策)。また、61試合に出場したイースタンリーグの公式戦では、7本塁打を放ちました。14年は守備で首脳陣の信頼を失います。二塁手として阪神タイガース戦に出場した際、9回表無死1塁で大和の投前犠打に対して一塁のベースカバーへ入り、犠打を捕球した山口俊が二塁に送球すると思い込んで目をそらし、山口から一塁への送球を捕れませんでした。このプレーで一軍初失策を記録すると、一軍監督・中畑清から「野球の世界にないボーンヘッド」と酷評され、出場選手登録からわずか2日で登録を抹消されます。一軍での出場は5試合でした。15年は一軍公式戦通算では、58試合の出場で打率.289を記録。二塁手として35試合、一塁手として3試合、三塁手として1試合でスタメンに起用されました。16年は監督がラミレス監督に代わり宮崎を積極起用します。101試合の出場で打率.291、11本塁打、36打点とプロ入り後自己最高の成績を記録。守備面では、二塁手として36試合、三塁手として27試合、一塁手として20試合でスタメンに起用されました。チームのCS進出に貢献しています。17年はラミレスが宮崎をレギュラーとして認めるか判断するシーズンとなりました。三塁手専門となり途中怪我での離脱はありましたが、最終打率.323で首位打者のタイトルを初めて獲得しました。チームの2年連続レギュラーシーズン3位で臨んだCSでは、阪神とのファーストステージ突破を経て、広島とのファイナルステージ全5試合で打率.368、2本塁打をマーク。チームを19年振りの日本シリーズ進出へ導きました。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、全6試合で打率.400、2本塁打と好調を維持しました。三塁手としてベストナインも獲得します。18年はチームトップの打率.318、自己最多の71打点、自己最多にしてチーム3位の28本塁打という好記録をマーク。前年からのベストナインに加えて、ゴールデングラブ賞も獲得しました。19年はレギュラーシーズンの開幕から打撃が振るわず、4月終了の時点で打率.165、得点圏打率.048、4打点と低迷。その後打撃は回復してきましたが、8月に左手の有鉤骨を摘出する手術を受けシーズン絶望と思われました。9月に復帰し、シーズンでは打率.284(リーグ12位)、15本塁打、49打点でした。

フルスイング

席では左足を上げてからのフルスイングで、右方向を中心に広い角度にわたって長打力を発揮します。セガサミー時代の2年間に3番を任されたのも、「放っておけばずっと打撃練習(に明け暮れていたこと)」に加えて、「スイングが速く、(打席で)我慢できる分だけ、投球を捉える能力が高かった」からだそうです。また、バットを投手側に傾けるようにしながらタイミングを取る独特の打撃フォームは、小学生のときから変わらないという宮﨑のオリジナルフォームで、宮崎が小6の時に硬式クラブチームに入団しことを知った知人から大人でも扱いが難しい長く重いバットをプレゼントされ、それを扱う練習をしてきたため生まれたフォームです。長くて重いバットを扱うのは難しく、どうしてもヘッドは遅れ、ポイントが近くなるのでライト方向への打球が多くなり引っ張りが辛かったのが若き宮崎の悩みでした。

並みはずれた動体視力

宮崎は動体視力強化用のパンチングボールを購入し、ヘッドバンドで頭に固定し目の前にぶら下がるボールを打つ練習をし始めました。目が良くて、見えたものと体を共調させる能力が宮崎は素晴らしく、この練習を難なくこなしています。課題と言われていた守備もこういった能力からハンドリングのうまさを進化させゴールデングラブ賞が獲れるまでになっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?