星野君の二塁打にみるベイスターズ野球

指導者の言ことは絶対で服従しないものは罰せられる

道徳の教科書にある「星野君の二塁打」という話が賛否両論を呼んでいるようです。

星野君は少年野球チームの選手。ある公式戦でのチャンスに星野君に打順が回ってくる。ここで監督が出したのは、バントのサインであった。しかし、この日、星野君は打てそうな予感がして反射的にバットを振り、結果二塁打を放つ。この二塁打でチームは勝利し、チームは選手権大会出場を決めた。だが翌日、監督は選手を集めて重々しい口調で語り始める。チームの作戦として決めたことは絶対に守ってほしい、という監督と選手間の約束を持ち出し、みんなの前で星野君の行動を咎める。『いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことには変わりはないんだ』『犠牲の精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ』などと語り、次の試合に先発出場させないことを宣告する。

野球界では昔からよく聞く話で西鉄の豊田選手が三原監督のバントのサインを無視して逆転本塁打打ったら怒られたとかあります。「星野君の二塁打」は指導者の指示は絶対であり、選手以下は服従しなければいけない主と奴隷の関係であるという部分が示されています。(規律を守ることで団体行動を維持する。)「犠牲の精神の大切さ」についてはゼロ戦で亡くなった若き兵士のように自分の命より国が大事ということを示しています。(自分はチームの駒でしかないことを自覚する。)

例外を一切認めない社会

「星野君の二塁打」に限らず例外を一切認めない社会というのが日本にはあるようです。例えば路線バスの運転手が道端で倒れた人を救急車に連絡しても手配できないことで病院まで路線を外れて連れていくことは「星野君の二塁打」の世界では認めれません。人の命より誰かが作ったルールが大事というのが日本の戦後教育なのではないでしょうか?そして例外的な行動をする人間をどんどん集団から外しいじめの構造を作るという事態が起きています。ダイバーシティなどへの対応が遅いのも日本のルールが硬直化しており、指導者の絶対的支配という概念が強いからだと思われます。

ベイスターズの合議制

ベイスターズのフロントは合議制で選手獲得を決めています。このことで意思決定が遅くなる面もありますが、絶対的支配が存在しないことで多角的視野が取り入れられます。興行的にも普通なら思いつかないようなチャレンジが起きています。ルールが必ずしも正しくないと言うことを点検しながら進める組織って素晴らしいなと思います。

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