2001年の横浜ベイスターズ

レギュラーメンバー

1 中 金城龍彦
2 遊 石井琢朗
3 三 小川博文
4 左 鈴木尚典
5 右 中根仁
6 二 ドスター
7 一 佐伯貴弘
8 捕 谷繁元信
9 投 小宮山悟

森監督

西武監督時代9年間で8度の優勝6度の日本一という名将森祇晶が監督に就任。常勝ベイスターズが完成するかと思われました。権藤監督の放任野球を批判した野手陣の希望にも合った監督でしたが、放任野球の3年間で選手がサインプレーに慣れずにキャンプから苦戦します。次期監督候補として入閣した高木豊とも早々に意見の相違で口も利かなくなり、放任野球と森の緻密な野球両方を理解するかつての西武ライオンズ戦士の青山コーチを介して選手や元々いるコーチとやり取りする外国人監督のような状況が続いた。森の掲げる「野球は個人の犠牲の上に成り立つもの」という特攻隊の考えと海軍式管理野球と権藤がやっていたアメリカ式の選手個人の能力を自由に発揮する野球では折り合う部分はなかった。

シーズンの戦い

森は機動力とサインプレー重視の野球でチーム再建を図り、3年ぶりの優勝を狙いますが、権藤の放任野球からの転換に選手が慣れず開幕ダッシュに失敗。それでもチームは6月に12勝9敗と勝ち越すと、7月には12勝4敗1分の貯金8で終了。8月以降は中日がAクラス争いから離脱し、広島との一騎打ちとなるが最終的に勝ち星で振り切り、勝率は4位の広島より7厘低いも関わらずこの年のみ勝ち数優先というルール恩恵を受け5年連続のAクラス、3年連続の3位をとなりました。投手陣は小宮山悟や三浦大輔などが奮闘し、チーム防御率は3.75。打撃陣はマシンガン打線のメンバー駒田徳広が戦力外(その後引退)、ロバート・ローズも退団したことで打線の陰りが見え始めるが、それでも二塁打と盗塁、犠打はリーグ2位、打率は優勝のヤクルト、2位の巨人に次ぐ3位となりました。オフには1989年入団以来、正捕手として君臨した谷繁元信が森との確執で中日にFA移籍し、チームは過渡期を迎えます。石井琢朗が最多安打とベストナインを獲得。木塚敦志が最優秀中継ぎ投手を獲得しました。

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